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姉に無職だと思われているAランク探索者の俺、企業VTuberの初ダンジョン配信を“ヒーロー見参”で救ったら謎ヒーローとしてバズった  作者: 黒瀬りつ


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第15話:【達者でなレディ】名乗りは防いだ男と、防げなかった余計な一言

【六】


 心臓が止まりかけた。


 違う。


 違うと言いたい。


 だが声を出すと、また能力が余計な台詞を差し込んでくるかもしれない。


 昨日は「レディ」。


 今日も「レディ」。


 三度目があったら、俺の尊厳は完全に社会的絶滅危惧種である。


 姉貴は俺を見つめたまま動かない。


 黒銀のバイザー越しでも分かる。


 あれは勘が働いた顔だ。


 普段はコンビニへ行って別のコンビニから帰ってくる方向音痴のくせに。


 こういう時だけ鋭い。


 能力のカウントだけが、無情に進む。


【五】


 解除まで、あと五秒。


 無理だ。


 五秒でここから消える方法なんてない。


 右。


 ドローン三号。


 左。


 スタッフ。


 前。


 姉貴。


 後ろ。


 壁。


 完全包囲。


 探索者協会でも、ここまで綺麗な包囲網はそうそう見ない。


 コメント欄も異変を察していた。


:ハルカちゃん、どうした?


:止まってる


:ヒーロー見てる


:知り合い?


:まさか正体……


:弟説また来る?


:いやいやいや


 来るな。


 その説は埋めろ。


 永遠に埋めろ。


 姉貴が、ゆっくりと一歩近づく。


「あなた……」


 俺は反射的に一歩下がる。


 壁だった。


 逃げ場が、本当にない。


 ドローン三号が俺の真正面まで滑るように移動してきた。


 レンズがきらりと光る。


 撮るな。


 今日のお前は本当に仕事熱心すぎる。


 その情熱を別部署で発揮してくれ。


【四】


 能力が淡々と告げる。


【変身解除まで四秒】


「延長」


 小声で頼んだ。


【受理できません】


「そこを何とか」


【受理できません】


「有給」


【ありません】


「労働基準法」


【適用外です】


 ブラック企業だった。


 俺の固有能力は、今日もブラック企業だった。


 姉貴がまた半歩近づく。


 まずい。


 この距離で解除されたら、バイザーが消える瞬間まで見られる。


 完全終了である。


 俺は必死に頭を回した。


 逃げる。


 変身解除前に。


 それしかない。


【三】


 ――行くしかない。


 俺は喉に力を込めた。


 長く喋るな。


 短く。


 一言だけ。


 余計なことを言う前に逃げる。


 地を這うような低い声を作る。


「……達者でな」


 よし。


 短い。


 余計なことは言っていない。


 これなら能力も割り込めない。


 そう思った。


 その瞬間だった。


 能力が、最後の最後で余計な一単語をねじ込んできた。


「……レディ」


 終わった。


 なぜだ。


 なぜそこだけ学習している。


 なぜそこだけ毎回成功率百パーセントなんだ。


 コメント欄が、一拍置いて爆発した。


:またレディwwww


:達者でなレディwwww


:名乗りキャンセルできてもレディは言う男


:語彙だけ昭和


:見参未遂ニキ、今日もブレない


 ブレてくれ。


 そこだけはブレてくれ。


 俺は姉貴の目がさらに大きく見開かれるのを確認する前に。


 床を蹴った。


 ズバァンッ!!


 時速百キロを超える勢いで後方へ跳ぶ。


 配信ドローンの画角から消える。


 姉貴の視界から消える。


 スタッフたちの叫び声も置き去りにする。


 今の俺に必要なのは説明ではない。


 逃走だ。


 社会的生命を守るための、全力撤退である。


  非常退避路へ飛び込む。


 配信ドローン三号が追ってくる。


 しつこい。


 俺は曲がり角を一つ。


 二つ。


 三つ。


 連続で駆け抜けた。


 壁を蹴る。


 天井の結晶を足場にする。


 配管をかすめるように身体をひねる。


 追尾カメラの予測軌道を外し続ける。


 七年間、Aランク探索者として磨いてきた機動力。


 その全てを。


 今、配信ドローン一台から逃げるためだけに使っていた。


 悲しい。


 能力の無駄遣いにもほどがある。


 背後から電子音が聞こえる。


 ピピッ。


 ピピピッ。


 ドローン三号が追尾対象を再計算しているらしい。


「計算するな!」


 俺は叫びながら、最後の角を曲がる。


 その先。


 事前に目を付けておいた保守用スペースへ飛び込んだ。


 よし。


 ここなら誰もいない。


 ドローンの視界も切れた。


【変身解除】


 黒銀のスーツが粒子となって消えていく。


 身体が一気に軽くなる。


「はぁ……」


 助かった。


 いや。


 まだ助かっていない。


 ここからが本番だ。


 俺は壁際へ置いてあったバッグを引き寄せる。


 中には予備のスタッフジャンパー。


 帽子。


 マスク。


 手袋。


 全部、昨日のうちにここへ隠しておいた。


 七年間探索者をやっていると、最悪の事態を想定する癖が付く。


 今回は、その最悪が普通に来た。


「頼む……間に合え」


 ジャンパーを羽織る。


 帽子。


 マスク。


 ジッパー。


 全部ほぼ同時。


 過去最速記録だった。


 だが。


 焦りすぎた。


 帽子が前後逆。


 マスクが上下逆。


 ジャンパーのジッパーは途中で噛んでいる。


 靴紐は左右で結び方が違う。


「雑ッ!」


 自分で自分にツッコミを入れながら直していく。


 直す。


 直す。


 ……もういい。


 八割で行こう。


 人間、完璧を目指すと死ぬ。


 社会人は八割で走る生き物だ。


 俺は鏡代わりにスマホの画面を開く。


 よし。


 顔は見えない。


 マスク最強。


 文明の利器である。


 ただ。


 喉だけが痛い。


「げほっ……」


 セルフミュート。


 やりすぎた。


 鏡がないので確認できないが、たぶん赤い。


 いや、かなり赤い。


 喉仏だけが労災認定されそうだった。


 俺は深呼吸を一つして、スタッフ用通路を駆け戻る。


 大事なのは自然さだ。


 何も見ていない顔。


 何もしていない顔。


 ただ安全確認を続けていましたという顔。


 俺は人生最高レベルの「普通」を演じながら合流地点へ歩き出した。


 その瞬間。


「黒瀬くん!」


 チーフマネージャーの声が飛んできた。


 しまった。


 早い。


 もう見つかった。


「どこにいたんですか!」


 俺は一切動揺せず答える。


「退避ルートの確認です」


「今、黒銀ヒーローが出ました」


「そうですか」


「見ました?」


「見てません」


 チーフマネージャーは眼鏡を押し上げながら、じっと俺を見た。


「あなた、毎回一番大事な場面だけ見逃しますね」


「タイミングが悪いんです」


「芸術的なまでに悪いです」


「裏方なので」


「裏方でも普通は巨大ゴーレムの消滅には気付きます」


「音は聞こえました」


「では、なぜ見ていないんですか」


「安全確認を優先していたので」


 チーフマネージャーは数秒黙った。


 そして。


 俺の頭から足先までをゆっくり見回す。


 嫌な予感しかしない。


「……黒瀬くん」


「はい」


「帽子」


「はい」


「前後逆です」


 しまった。


「マスク」


「はい」


「上下逆です」


 しまった。


「ジャンパー」


「はい」


「焦げています」


 しまった。


「靴紐」


「はい」


「左右で結び方が違います」


 全部見つかった。


 高速着替えは成功した。


 だが。


 高速すぎて品質管理が死んでいた。


 俺の偽装工作は、遠目には完璧。


 近くで見ると、文化祭のお化け屋敷のスタッフレベルだった。


 我ながらひどい。


 チーフマネージャーは小さくため息をついた。


「黒瀬くん」


「はい」


「退避ルート確認は大事です」


「はい」


「ですが、その格好で説得力はありません」


「現場は混乱していましたので」


「混乱すると帽子は前後逆になるんですか」


「人によります」


「マスクまで上下逆になりますか」


「かなり混乱していたので」


「靴紐まで左右違いますか」


「個性です」


「個性が非常時すぎます」


 ぐうの音も出ない。


 社会人の正論は、ゴーレムの拳より重い。


 俺は無言で帽子を直した。


 マスクも直す。


 靴紐は……もういい。


 しゃがむと余計に怪しい。


「それより」


 チーフマネージャーが真面目な顔になる。


「星宮さんが探しています」


 心臓が嫌な音を立てた。


「俺を?」


「ええ」


「何で」


「『玲司見なかった?』と」


 やめろ。


 配信直後に弟探しを始めるな。


 俺はできるだけ平静を装った。


「たぶん心配してるだけですよ」


「そうでしょうね」


「現場に弟がいたので」


「そうでしょうね」


「俺は無事ですし」


「そうでしょうね」


「だから問題ありません」


「黒瀬くん」


「はい」


「その"そうでしょうね"を全部自分で言うの、やめてもらえますか」


「癖です」


「今日は便利な癖が多いですね」


 その時だった。


「玲司!」


 姉貴の声。


 近い。


 ものすごく近い。


 俺は反射で姿勢を正した。


 逃げたい。


 でも逃げたら黒だ。


 逃げなくてもかなり黒い。


 詰んでいる。


 姉貴がこちらへ小走りでやってくる。


 配信中とは違う。


 VTuber星宮ハルカではない。


 ただの姉だ。


「無事だった!」


「見ての通りだ」


「よかったぁ……」


 そう言って、俺の肩をぽんぽん叩く。


 そのまま。


 首元へ視線が止まった。


 まずい。


「玲司」


「何だ」


「喉」


 来た。


「赤くない?」


「気のせいだ」


「でもさっきより赤い」


「照明だ」


「ダンジョンの照明?」


「反射だ」


「何が?」


「……結晶?」


 語尾が疑問形になった。


 自分でも苦しい。


 姉貴はじっと見つめてくる。


「痛い?」


「痛くない」


「本当?」


「本当だ」


「じゃあ触るね」


「待て」


 一歩下がる。


 姉貴が一歩詰める。


 俺が下がる。


 姉貴が詰める。


 完全にボクシングのロープ際だった。


「玲司」


「近い」


「確認するだけ」


「しなくていい」


「でも赤い」


「乾燥だ」


「また?」


「今日は心が特に乾燥してる」


「喉だけ?」


「心と喉は繋がってる」


「初めて聞いた」


「最近の研究だ」


「どこの研究?」


「俺の中だ」


「論文一本も出てないじゃん」


 痛いところを突いてくる。


 姉だけに。


 いや、うまいことを言っている場合じゃない。


 俺はさらに半歩下がる。


 すると。


 コツン。


 背中が壁に当たった。


 終わった。


 退路なし。


 姉貴はゆっくり右手を伸ばしてくる。


「ちょっとだけ」


「嫌だ」


「怪我してるなら消毒しないと」


「してない」


「じゃあ触れるよね」


「理屈がおかしい」


「大丈夫」


 大丈夫じゃない。


 手形が残っている。


 セルフ喉仏ミュートの証拠が。


 あと数センチ。


 あと数センチで触られる。


 その瞬間。


「星宮さん」


 チーフマネージャーがすっと間へ入った。


「先に配信の一時終了アナウンスをお願いします」


「あっ」


「視聴者の皆さんも心配されています」


「……そうでした」


 助かった。


 本当に助かった。


 今日二回目の命の恩人である。


 ゴーレムより、この人に救われている気がする。


 姉貴はまだ俺を見ている。


 少しだけ名残惜しそうに。


「玲司」


「何だ」


「後でちゃんと見せてね」


「何をだ」


「喉」


「断る」


「心配だから」


 その一言だけ残して、姉貴はスタッフたちの方へ走っていった。


 俺は壁にもたれたまま、大きく息を吐く。


「……危なかった」


 正体バレまで、あと数センチ。


 ダイヤモンド・ゴーレムより接近されると、本当に逃げ場がない。


 チーフマネージャーはそんな俺を見て、小さく笑った。


「黒瀬くん」


「はい」


「今日はゴーレムより、星宮さんの方が強そうですね」


「……否定できません」


 少なくとも。


 精神ダメージだけなら、完全敗北だった。


 ……いや。


 まだ終わっていない。


「黒瀬くん」


 チーフマネージャーが真面目な声で呼ぶ。


「はい」


「現場確認をお願いします」


「了解です」


 助かった。


 仕事だ。


 仕事なら逃げられる。


 俺は即座に端末を取り出し、崩壊した戦闘跡へ向かった。


 結晶床。


 退避ルート。


 壁面。


 魔力濃度。


 全部を確認する。


 姉貴もこちらを見ていたが、チーフマネージャーが何か説明してくれているらしい。


 今だけは、本当にありがとうございます。


 社会人仏。


 現場は、静かだった。


 さっきまで暴れていたダイヤモンド・ゴーレムは跡形もない。


 残っているのは、細かな結晶粉だけ。


 俺が内部崩壊させた証拠だ。


 破片による二次災害はゼロ。


 負傷者もゼロ。


 俺は小さく頷いた。


「……よし」


 今回も守れた。


 それだけで十分だ。


 だが。


 十分ではないものが、一つだけある。


 俺はしゃがみ込み、壁際へ視線を向けた。


 魔力探知端末が小さく反応する。


 ピッ。


 ピッ。


 弱い反応。


 誘導核は回収した。


 なら、この残留魔力は何だ。


「黒瀬くん?」


 協会の立会人が近づいてくる。


「何かありましたか?」


「……少し気になる反応があります」


「魔獣の残留ですか?」


「違います」


 俺は端末を見つめる。


 この反応。


 昨日も見た。


 クリスタル・クラブの巣穴付近で。


「人工魔力です」


 立会人の表情が変わる。


「人工……?」


「ええ」


「そんなものが?」


「断定はできません」


 俺は言葉を選んだ。


 ここで全部話すわけにはいかない。


 胸部から抜き取った誘導核。


 あれは、まだ俺のスーツ内ポケット……


 じゃない。


 変身解除後に、慌ててジャンパーの内ポケットへ移してある。


 危なかった。


 変身解除と一緒に消えたら泣くところだった。


 いや。


 あのスーツなら収納だけは優秀だから、案外残るのか?


 試したくない。


 一生試したくない。


「黒瀬さん?」


「あ、すみません」


 思考が脱線していた。


 収納性能のことなんて、今考えることじゃない。


「こちらでも現場を封鎖します」


 立会人は真剣な顔で頷く。


「魔力分析班を呼びます」


「お願いします」


「配信映像も提出していただきます」


「それがいいでしょう」


 提出。


 その一言に、俺の胃が痛くなる。


 配信映像。


 つまり。


 セルフ喉仏ミュート。


 見参未遂。


 達者でなレディ。


 全部、証拠映像になる。


「……」


 俺は少しだけ空を見た。


 いや。


 ダンジョンだから天井だった。


 どちらにしても現実は見たくない。


 その時。


「玲司ー!」


 また来た。


 姉貴である。


 仕事が終わるタイミングだけ異常に察知能力が高い。


 索敵スキルでも持っているのか。


「何だ」


「今日、本当にありがとう」


「俺は何も」


「裏方スタッフとして」


「……ああ」


「すっごく助かった」


 その笑顔は反則だった。


 配信者の営業スマイルじゃない。


 家族に向ける笑顔。


 俺は少しだけ目を逸らした。


「仕事だから」


「うん」


「俺は短期スタッフだ」


「短期でも」


 姉貴は笑う。


「頼りになるね」


 ……ずるい。


 そんなことを言われると。


 全部ばれそうになる。


「玲司」


「何だ」


「あと」


「あと?」


「ヒーローさんにも、お礼を言えたらいいな」


 俺は肩をすくめた。


「その人、人前に出るの苦手そうだったぞ」


「だよね」


「だから」


「うん」


「そっとしておいてやれ」


 姉貴は少しだけ考えて。


 静かに頷いた。


「……分かった」


 それでいい。


 それだけで十分だ。


 本人は今、目の前にいる。


 でも。


 知らないままでいい。


 知らないから守れるものもある。


 俺は小さく息を吐き、現場をもう一度見渡した。


 安全確認。


 完了。


 救助。


 完了。


 事件。


 未解決。


 そして。


 俺の尊厳だけが、現在進行形でネットへアップロードされ続けている。


 そのことを。


 この時の俺は、まだ知らなかった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

一章終了まで毎日投稿します。

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次回もよろしくお願いします。

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