男は戦、女は婚礼 2
これまでにも阿茶はたびたび殿の要請で重臣たちとの会合の際、小姓たちと共に殿の側近くに侍ることがあったが、太閤が亡くなってからは、ほぼ毎回のことになった。
(政事のことに他家との婚姻がからむので、表のことをいちいち奥の私に説明するのが面倒なのであろうな)
と、阿茶は感じている。
かつての重臣たち――殿が今川家での人質時代、家を保つことに尽力してくれた鳥居忠吉さまは元亀元年(一五七二)に、殿が生まれたとき胞刀役を務めた酒井正親さまは天正四年(一五七六)に、蟇目役だった石川清兼さまは天正六年(一五七八)に逝き、「武功武辺無双の人」と呼ばれ、長篠の戦で織田右府さまにその勇猛さを称賛された大久保忠世さまは文禄三年(一五九四)に、頑固な三河者の「鬼作左」と呼ばれた本多重次さまは大政所さまへの無礼な仕打ち等々で関白秀吉の怒りをかい、徳川家が関東移封の後には秀吉の命を受けた殿によって蟄居を命じられ、そのまま文禄五年(一五九六)に、さらに徳川家の重鎮で殿の義理の叔父であった酒井忠次さまは目を患い、天正十六年(一五八八)に隠居したのち、慶長元年(一五九六)十月に、そして「伊賀越え」に付き従った一人、「鬼半蔵」の異名を持つ服部半蔵正成さまは同じく慶長元年十一月に亡くなっている。
それを埋めるように、三傑と呼ばれる者たちを中心に密議がなされている。
(宿老たちがいなくなっても、次の世代が調略を行うとは、殿は良き家臣たちを持たれた。三河にいた頃は、酒井忠次さまが東の旗頭、石井家成さまが西の旗頭として他の大名家との取次をなさっておられた。そのころ武者働きをしていた方々が、いまでは殿の意向を受け、諸大名の当主たちへ、我が方へお味方するよう働きかけをし始めておられる。文武に秀でた榊原康政さま、「井伊の赤鬼」と戦場では畏れられるが殿中では人当たりの良い井伊直政さまは、さもあらんと思われるが、意外なのは本多忠勝さまじゃ。武辺者で無骨であるという印象であったが、うまく周旋しておられる)
殿が五十七歳。榊原さまは五十一歳、井伊さまは三十八歳、本多さま、五十一歳。井伊さまはまだお若いが、他の方々は酸いも甘いも噛分ける御歳であるなあ、と阿茶は感心しながら、謀を巡らす面々を眺めていた。
三河の小豪族であった安祥松平氏だが、三河一向一揆のあと、三河を統一した以降、徳川と改姓した家康の直臣団は、直属の馬廻衆、先陣を務める旗本一手役、二、三か郷を領有する三河譜代の城持衆から成っていた。そして他、松平一族と国衆は東西の旗頭の許に集約させた。
三河から遠江・甲斐へと領国を広げていくうち、一手役[一部隊]は家康の居城が岡崎、浜松、駿府と移動すると、それに応じて居城に住し、いつでも戦に出られる常備軍として存在した。
旗本一手役の侍大将として、本多忠勝、井伊直政、榊原康政、大須賀康高らがいた。関東移封後、彼らは大名領主となり、中でも本多忠勝と榊原康政は十万石、井伊直政は十二万石の大名となった。
これによって、旗本一手役はなくなり、家康直轄軍は旗本、つまり親衛隊のみになり、これは大番という軍制に編成された。
大番は最初、六組に分けられ、各組に大番頭・小頭(組頭)がいる。番頭は二万石ほどの大名が動員する兵力を指揮する部隊長で、組頭・番衆に指示して戦陣では家康直轄軍の先手として出陣し、平時には徳川家の居城・番城(直轄城)を警固した。
(お三方は、徳川の一武将というだけでなく、今では大名。豊臣家恩顧の大名衆とも対等に話ができます。石高が大きくなったのは、太閤の命ですが、それが今になって皮肉なことに役に立ちました)
殿の後方で、陰から合議を見守っていた阿茶は、それが終わると、お梶さまに殿のお世話を任せて部屋に引き取った。そこで松木五兵衛宛ての文を書き、使いに持たせて遣った。奥の女なりに、すべきことがあるのだ。
三日後、宿下がりで松木家の京の宿へ赴いた阿茶は、義弟の出迎えを受け、奥へ導かれると、そこにはすでに亀屋栄任がいて頭を下げている。
「亀屋どの、楽になされて。早々に日にちを合わせてもろうて、かたじけのうございます」
阿茶が松木五兵衛に導かれて上座に坐ると、亀屋が頭を上げた。
「なんのなんの。阿茶局さまのご要望ならば、この亀屋、何があろうと、いの一番に駆けつけますゆえ」
「まあ、お上手」
ほほ、と、いつもの掛け合いを演じた後、阿茶が切り出した。
「実はまた婚礼がありますの」
「ほう。それはめでたいことで」
亀屋がえびす顔になった。義弟も目を瞠っている。
「でも、まだ決まったわけではありません。先方の事情など、ありますでしょう? そこのところを他家にも出入りしている亀屋どのに、お聞きしたくて義弟にこの場を設けてもらったのです」
「なるほど。なるほど」
うなずく亀屋の横で、(聞いていませんぞ)と義弟が口をぱくぱくさせている。
「謝礼はお支払いいたします。内密にお願いしたいのですが。漏れて縁談がだめになってはいけませんでしょう?」
「その機微、よう分かります。でも、謝礼などいりませぬ。うちとこにも噛ませていただけるなら、それくらいのこと何ともあらしまへん」
「あら、『タダより高い物はない』と申しますけど?」
「ことに寄りけりでございましょう。うちとこは、徳川さまの御用を務めれば良いので、〝世間話〟に値段をつけるなど、野暮は申しません」
「まあ、〝世間話〟?」
「さよう。呉服を買っていただく際の、たわいのないおしゃべりでございますよ」
あはは、うふふ、と互いに笑い合って、阿茶は亀屋栄任に加藤清正と福島正則の家の奥向きの事情と当人の嗜好などを調べてもらうよう頼んだ。
「よろしおす。お任せくださりませ」
と、頼もしく引き受け、亀屋はそこを辞去した。
玄関まで送って行った松木五兵衛が戻って来て、使用人から供された白湯を飲んでいた阿茶にこぼす。
「姉さま……大事なことは、先に報せてもらわんと」
「あら。大名同士の勝手な婚姻は禁止、と太閤殿下の御遺言ですもの。あまり大っぴらには出来ませんからねえ」
「御遺言って……あの噂は、ほんまのことやったんか」
へなへなと義弟が腰を下ろす。
「えらいことを聞いてもうた」
「年明けには公になることです。少し早まっただけですよ」
「姉さまに関わると、命が幾つあっても足りまへんなあ」
「最初に私と息子を助けてくれたのは、そなたです。感謝しております」
「いやあ。徳川さまンとこの奥勤めを勧めたときには、ここまで出世なさるとは想像もできませんで」
はああ、と義弟が大きく息を吐いた。
「私も同感ですけどね。よい機会ですから、松木も商売をなさい。大口の物は茶屋さまと亀屋どのが請け負いますけど、従者や侍女の持ち物など、他の小物などは他の商人も食い込めますからね。それに、松木の伝手でも情報が欲しいのです。もちろん、今までのように謝礼はお支払いいたします」
「はい、なんなりと」
松木五兵衛は坐り直し、真剣な表情で阿茶の言葉を聞いていた。
そして用件を終えた阿茶は軽食を摂ってから、そこをあとにしたのだった。
本多正信さまから教えてもらうだけでなく、自分なりに情報収集するのが阿茶の流儀だ。しかし、この件で、殿の御前に呼び出されるとは思わなかった。
「阿茶よ。茶屋四郎次郎清忠だ。そちも代替わりの挨拶のとき、目にしておろう」
殿を若い頃から買い、三方ヶ原の戦で商人として支援し、伊賀越えの際にも物心両面から支えた初代茶屋四郎次郎の清延さまが慶長元年(一五九六)に五十二歳で亡くなると、あとを継いだのが嫡男のこの方だ。二十代の半ば、すらりとして姿の良い人物だった。
曽祖父が信濃守護の小笠原長時さまの家臣で、祖父の明延さまが武士を辞めて京に上り、呉服商を始めた。茶屋の屋号は、足利家十三代将軍の義輝さまが明延さまの屋敷に茶を飲みに立ち寄ったことに由来すると、聞いている。所作が上品なのは二代前までは小笠原さまの家中であったからか、と阿茶は感じた。
茶屋家の若当主は、このとき手代らしき三十前ほどの男を連れていた。
「殿からご紹介にあずかりました清忠でございます。阿茶局さまには、ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」
おおげさな、と思いながら、阿茶も挨拶を返した。
「こちらこそ、よしなに」
阿茶に目線を定めながら、清忠さまがさらに言う。
「これまでお出入りの手代は番頭に格上げいたしました。以後は、こちらの新次郎が御用を承ります。〝世間話〟にも長けた者ですので、よろしゅうお頼み申し上げます」
「ま、それは楽しみですこと」
と、答えながら、亀屋との関係がばれているな、と察した。
「手代が変わるか。阿茶よ、あとで顔合わせをせよ」
殿も勧めるので、阿茶はうなずいた。
二代目茶屋四郎次郎が手代を伴って退出すると、殿の側らに控えていた本多正信さまが言う。
「阿茶局さま、商人を使うとは、よい目の付け所ですな」
「恐れ入ります」
褒められて、阿茶は会釈で返した。
(殿と本多さまは何か思惑があるのでしょうけど)
堺の商人や京・大坂・長崎の豪商など、殿なら知っている者も多く、使い方も自在だろうが、奥向きにいる阿茶が接することが出来るのは、呉服商くらいだ。義弟の松木五兵衛は身内なので何かとしてもらっている。あとはお亀さまの件で知り合った亀屋栄任。茶屋家は殿と懇意なので、表の用事のみであろうと思い、呉服商として手代には衣類のことなどを訊くだけで、情報収集には使わなかった。それがどこから感づいたのか、自分たちもそちら方面で加担させよ、と殿を通じて言ってきたのだ。
(茶屋家の二代目、油断ならぬ御人のようじゃの)
ともあれ、殿公認であるので、使えるものは使わしてもらうつもりだ。
「阿茶よ、お愛に仕えていた者らを引き受けてから、ずいぶん経つであろう」
殿の思いがけない話に、阿茶は思考から引き戻された。
「はい。そうでございますね。小者など年を取り、実家に戻って隠居した者もおります」
奥勤めをしている阿茶は宿下がりのとき以外、外出することはない。そのときの行列も、侍女たちは阿茶の配下だが、警固の侍と小者たちや駕籠かきは奥勤めの者を借りて使っている。お愛の方さまに仕えていた小者たちは、御方さまが亡くなってから、若さまにお仕えしたり、奥勤めとなったりした。そのうち数名を阿茶の許に置いてお使いなどの雑用に使っていたが、その者たちが老いてきて、しかし交代要員を決められないでいた。
(隠密のことを頼むこともあるから、信用できる者でないと。でも、松木家ばかりに頼るわけにもいかないし)
と、直近の頭の痛い問題でもあった。
「このところ、京も物騒になってきた。ゆえに外出するときは、この者を連れて行くがよい」
殿の言葉が終わると、本多さまが手を叩く。
すると、庭の方にうずくまる人がいる。
「服部の一族で五郎衛門という。嫡男に家督を譲って隠居していたところを呼び出した。笹尾局の伯父だ。奥で庭仕事をさせておくから、用があれば、呼び出すとよい」
殿の言葉に、
「かしこまりました」
と、阿茶は頭を下げた。
今回も殿の手のひらの上か、と思いながら返事をし、庭にいる男に、
「よしなに」
と、声をかけると、平たい顔をした五十過ぎと見受ける茶色のたっつけ袴を履いた男は、「ははっ」と平伏した。




