太閤の死 2
土井さまが去ってからすぐに、阿茶は白須局と市島局、そして秀忠邸にいる笹尾局を呼び出した。
三人が揃うと人払いをし、秀忠さまが出奔されたことを話す。
「笹尾局、大姥局さまはどうしておられますか」
「若さまをお見送りしてから、あとを追うため、御新造さまの侍女たちに気づかれぬよう旅支度をしておられます。じきに旅立たれるはずです。わたくしは後始末をしてから、追うつもりでございます」
「警固の者は?」
「わたくしの実家の者を使うつもりでございます」
「抜かりないこと」
阿茶は微笑んだ。大姥局さまと大久保さまは若さまを京から逃がすと決めたときから後のことを考えていたのだろう。
「白須局は御新造さまの侍女たちの監視を続けてください」
「御意に。若さま付きの女たちがいなくなっても、端女は我が徳川の者たちですので、見張るのは容易いかと。その任もあっての勤めでございますれば」
と、甲賀出身の白須局が頭を下げた。
「市島局は松木家に連絡して、わたくしの荷――大姥局さまと侍女たちがとっさに持ち出せなかった物――を江戸まで運んでくれるよう手配してください」
「かしこまりました」
と、松木家縁者の市島局が一礼した。
「笹尾局、侍女たちの私物の荷はある程度まとめてくだされば、松木の者が運びます。若さまは当分、上方には戻って来られないでしょうから、すべて引き上げたほうが良いでしょう。本当なら、直接お話したかったのですけど、江戸での奥向きは大姥局さまにお願いいたしますと、お伝えください。あとから詳しいことを書いた文を届けましょう」
と、各人に指示を出した阿茶は手を叩いて隣の部屋に控えていた幸を呼んだ。
「若さまの邸へ使いを出して、御新造さまへ面会したいと話を通してください」
そう告げてから、側近たちへ言った。
「御新造さまへ若さまが残した文を届けます。それまでの間に、すべてを終えてください」
一同が頭を下げ、散った。
秀忠邸から返事が来たのは、それから一刻ほどしてからだった。
(御新造さま付きの大野さまが若さまの不在に気づくのは今日中か?)
そんなふうに予想しながら、「夕餉前に伺う」と返事をし、身支度をした。
その間、笹尾局からの使いの侍女が、「委細承知と、大姥局さまからのお返事。先ほど出立されました」との報告が届き、市島局から「松木でも了承いたしました。荷は日暮れ前までに運び出せます」と、白須局からは「荷の運び出しの立ち合いをいたします」との連絡があった。
「では」
と、阿茶は立ち上がり、幸と最近、側付きとなった芽衣を連れて隣の秀忠邸へ向かった。
徳川家世継ぎの屋敷は庭でつながっており、その通路を伝って阿茶たちは邸内へ入った。
廊下では民部卿局が侍女を連れて待っていた。
「阿茶局さまには、わざわざのお運び、かたじけのうございます。あの……表の局で何ぞありましたのでしょうか。急に人けがなくなりまして、使いを出しても役人が通してくれません」
表の局とは、秀忠付きの侍女団のこと、そしてその筆頭侍女のことを指す。この場合、若殿付きの侍女たちの姿が見えないことをいぶかしんでのことだろう。
「ええ、そのことでお話に参りましたの。御新造さまの御前で詳しく述べさせていただきとうございます」
挨拶を交わしてから、民部卿局の先導で阿茶は御新造さま――お江さまの部屋へ入って下座に坐った。上座には、御新造さまがいて、部屋の隅には豊臣家からついて来た侍女たちが十人ほど、ずらりと並んでいる。
幸と芽衣は廊下に控え、まだ暑い時期でもあるので、障子は開け放たれていた。
(子を産んで、ますます美しゅうなられた。若さまより六つ年上とは思えないほど)
阿茶は目礼した。
端に控えている豊臣方の侍女たちがざわめく。
「お静かになされませ」
民部卿局が戒め、御新造さまの側へ行って控え、語りかける。
「阿茶局、参りました」
うなずいた御新造さまが鷹揚に述べる。
「して、用とは何ですか」
「これを」
と、阿茶は懐から藤色の袱紗に包まれた文を取り出した。
「若殿から御新造さまへ宛てた物でございます」
それを民部卿局へ差し出した。
民部卿局は膝行して文を受け取り、御新造さまへ渡す。
袱紗を開いて中を見た御新造さまは驚いた表情になり、急いで文を読んだ。
「これは……何があったのですか」
(どうやら太閤の死も、何も知らされておらぬか)
そう察した阿茶だが、とぼけた。
「詳細は存じませぬが、江戸で若殿のご判断が必要なことが出来いたしたようです。御新造さまにもお話する時間がなかったようで、わたくしに文を託されたのでございます」
「そう……背の君」
ほうっと息を吐いて、御新造さまは文を両手で胸の前でかきいだいた。唯一無二の宝物のように。
(恋する乙女ですか。若夫婦の仲が良いのは、よろしきこと)
微笑ましかったが、阿茶にはもう一つ用事がある。
「阿茶局、ご苦労――」
「つきましては」
と、阿茶は御新造さまの言葉を遮った。
「無礼な!」
襖の前にいた侍女の一人がいきり立つ。
と、次の瞬間、廊下にいたはずの芽衣に右腕をねじられ、押さえ込まれていた。芽衣は武芸の腕を見込まれて、警固役として殿がつけた侍女だった。
「主さま、これをどうされますか」
驚いて声も出ない御新造さまと民部卿局など無視だ。
「しばらくそのままで」
阿茶の返事をかき消すくらい大声で、侍女たちから悲鳴が上がる。しかし、その中の一人が殺気立ち、阿茶へ向かって来ようとした。それを幸が足払いをかけ、みぞおちにあて身をくらわした。
「な、なんですか。この狼藉は。そなたたち、御前ですよ!」
民部卿局がわなないた。
「ご自分の身に置き換えて、考えてごろうじませ」
ひたりと御新造さまに目線をあてて、阿茶が静かに言う。
「格上の家から嫁いできた妻が、夫の養い親を下座に坐らせて家臣のような扱いをし、さらにその侍女が罵り殴ろうなど、婿君が聞いたら、何と思うか。恋情など、吹き飛んでしまうでしょうな」
はっとした御新造さまが固まる。
「わたくしはご正室のいない殿の奥向きを取り仕切る老女の役を務めておりますが、若殿のご生母・宝台院さま亡き後、養母となるよう殿から仰せつかり、ご養育に心を砕いてまいりました。しかし身分としては、太閤殿下のご養女の御新造さまより下でございます。このような扱いになるのはいたしかたないこと。ですが、徳川の者を下に見て、端下の者まで威張り腐るのはどうかと思いますね。これでは豊臣と徳川の架け橋として、御新造さまが嫁いでこられた意味がなくなります」
「ひらに、ひらにっ。お許しくださいませっ。すべてはわたくしの監督不行き届きでっ」
恐慌状態に陥った民部卿局が平伏した。阿茶のこれからの行動いかんによっては、大事になると気づいたようだ。
御新造さまが慌てて立ち上がって、下座へ行こうとする。
「末席に行かれることはございません」
と、阿茶は止めて「ここへ」と、隣に坐らせた。
「民部卿局さまは公家の出ですからご存知と思いますが、公家では家の格で正室を迎えます。ほどよい者がいない場合、もしくは嫁取りの資金がない場合は、それより格下の家から妻を迎えますが、正式な妻ではなく、仮。出身家の名ではなく、ただ〝家女〟と書類には記されます。殿に正室さまがおられないのは周知のことですから、その仕事は主にわたくしがしております。通常、正室の仕事は、妻から後継の妻へ伝えられます。若殿が御新造さまを江戸へお呼びになる少しの間、これを好機に、〝家女〟たるわたくしは御新造さまに徳川家の奥向きのことを伝授したいと存じます。よろしいか?」
「は、はい」
阿茶の勢いに気を飲まれた御新造さまが頭を何度も振った。
「民部卿局さま、お支えするそなたも一緒に学ぶのですよ」
「はい、よろしゅうにお願いいたします」
平伏したまま、民部卿局が答えた。
「この侍女たちは、わたくしどもで再教育いたします。戻すまで、こちらの者たちをお使いください」
阿茶が言ったとき、白須局をはじめとする数十人の侍女がやってきて、廊下に控えた。
「明日から、お時間をとっていただきます。いつにするかは、この白須局と打ち合わせてください」
と、言い置いて、阿茶は席を立った。
豊臣方の侍女たちは、入ってきた徳川方の侍女たちに引っ立てられるように連れていかされる。
それを御新造さまと民部卿局は、ぼう然と見ていた。
(〝先手必勝〟か。これで間者とそうでない者が選別できる。まあ、〝姑〟というのは、嫁にとって嫌なものだから、しばらく我慢してもらうほかあるまい)
お梶さまに教えているのは、阿茶の後継として。御新造さまには、次代の正室としての仕事を覚えてもらうつもりだ。しかしまだ、徳川がどこと付き合っているという詳しいことを教えるつもりはない。
(とりあえずは、仕事の概要とご親戚衆との付き合い方、徳川家の〝正室〟としての在り方を覚えていただきましょう)
次代を育てる時期に来ていることを、阿茶は自覚していた。
結局、双方の都合が合わず、御新造さまと民部卿局に奥向きの仕事を教えるのは、翌々日からとなった。そのため、阿茶は覚書を作成して、約束の時間に合わせ、隣の屋敷へ向かった。
徳川方の侍女たちは御新造さまに誠心誠意お仕えしているようで、民部卿局からは礼を言われた。
「わたくしは京者。しかし他の侍女には浅井の旧臣の娘や太閤さまから差し向けられた者などが混在し、新参者ばかりの上、姫さまに馴染のない者が多うございました。白須局さまがおいでになって、侍女たちの統制をとるとは、どういうことか、よく学ばさせていただいております」
「うちの者たちがお役に立ち、ようございました」
阿茶は柔和な笑顔を向けた。
どうやら民部卿局は一部のものたちから、舐められていたらしい。
(そのあたりもよく教えねば)
自分の行動が女主人にいかに影響するか、徹底させるよう白須局には改めて指示を出すつもりだ。
白須局によると、豊臣方の大勢の侍女たちはおとなしくこちらの指導に従っているようだが、芽衣と幸に取り押さえられた者らは強情で、どうやら間者の気配がするため、身分を下働きに落とし、監視するという。
この仕置きについて、豊臣家から付いて来た大野治純さまが本多正信さまに抗議したようだが、
「奥を取り締まる阿茶局どのに狼藉を働いたのだ。手打ちにならなかっただけでもよかろう。奥の女たちのことは、あまり口を出されぬが御身のためであろう」
と言ったら、黙ったそうだ。
豊臣家に報告がいっただろうが、今のところ反応はない。
「では、さっそく」
と、御新造さまに挨拶したのち、前に坐って持参した覚書を広げた。民部卿局は阿茶の横にいる。
「徳川家の年中行事は……」
「季節の贈答は……」
「お付き合いのお相手はまた変わって参りますゆえ、代替わりのとき、お教えいたします。そのときは表役人の引継ぎもございますれば」
「人質、といっても数年前までの世が乱れていた頃ほど、殺伐としておりません。太閤殿下が各地で〝惣無事〟を命じられてから、人質を殺すような事態は起こっておりません。しかし、正室の仕事に人質の管理もございます。大方は表役人がいたしますが、奥の主として人質となった方たちに気遣いをしてくださるようお願いいたします。そのご親族は徳川の御味方となられる方々ですので」
等々、過去の例を交えながら説明した。
御新造さまは熱心に耳を傾け、分からないことは尋ねた。
(善良で素直な方……。飲み込みも早い。しかし、今川家の寿佳尼さまのような政務の能力も、武田家のお裏さまのような教養もない。むしろ、年齢より精神が幼いような。生まれた年に父君が討たれ、十一歳で母君と死に別れ、四歳年上の姉君の庇護のもとで、お育ちになったせいか……。ともあれ、御新造さまには、若さまとよき夫婦となり、お幸せになっていただきたい)
織田右府さまの姪として生まれ、権力者の都合で嫁がされたこの若い女人に、阿茶はそう願った。
御新造さまは、姉の西の丸さま(淀殿)の養女になった前夫との間にできた娘御に、着物や玩具など、それに文を添えて贈っている。秀忠さまの了解の上のことだ。
その切ない思いを察すると、この若妻の幸せにいらぬ横やりを入れようとする者たちを排除するのは、自分の役割である、とも阿茶は考えるのだ。
この〝伝授〟は一日半刻、七日間続いた。この間、御新造さまは阿茶に打ち解けるようになった。侍女たちも教育が終わり、元に戻された。
一方、江戸へ出奔した秀忠さまだが、太閤の覚書(遺言書)に、「領地でやるべきことがあるときは、中納言(徳川秀忠)が下ること」とあったので、特にお咎めはなかった。
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秀忠の京脱出から六日後、八月二十五日に、太閤の死を公表しないまま、大老筆頭の徳川家康と前田利家は渡海していた軍の朝鮮からの撤退を決定した。
朝鮮半島では年末から明軍に苦戦を強いられていたが、年明けの一月三日に蜂須賀家政・鍋島直茂・黒田長政たちの援軍が到着すると、日本軍優勢となり、退路を失うことを恐れた明軍は加藤清正・浅野幸長が守る蔚山城から撤退した。また、小西行長らは順天城で戦い、泗川城では三万六千の明軍を相手に、島津義弘・忠恒父子が奮戦し、島津勢一万たらずで明軍三万以上を討ち取り、明・朝鮮軍から「石曼子」と呼ばれ、恐れられた。
この渡海していた大名たちに石田三成ら奉行衆から太閤の死が伝えられ、九月四日に大老たち連署で明軍との和議が指示された。十月十五日には大老らの連署で撤兵が命じられ、明国との講和交渉の結果、十月二十五日には休戦が成立した。
しかし十一月に入って、明軍は太閤の死を知り、休戦を反故にして追撃を始める。李舜臣が率いる朝鮮水軍も順天の小西隊の退路をふさぎ、島津・大友隊が救援に向かって、露梁海峡の戦いで李舜臣の水軍を撃破した。そして朝鮮に駐屯していた日本軍は釜山に集結し、順次撤退を開始して、十一月二十六日までにすべての将兵が帰還したのだった。
慶長の役の際、奉行衆の配下の軍目付は渡海衆の行動を厳しく太閤に報告した。それによって太閤の怒りをかい、名のある大名は謹慎処分を受けたり、石高の低い大名は改易され、その領地は豊臣家の直轄領となったりした。これは、太閤の後継・秀頼を中心とした政権をつくるため、石田三成ら奉行衆が動いた結果だった。
このことで、太閤の許にいた奉行衆と渡海衆の間に大きな溝が生まれ、それはやがて国内が二つに分かれる大きな戦へとつながっていく。
また次の更新まで間があきます。
次は家康の五大老時代の話、「男は戦、女は婚礼」です。
引き続きよろしくお願いいたします。




