秀忠の再婚
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殿に従って五月に江戸へ戻った阿茶は、まず帰国の挨拶をするため、お竹の方さまの許へ赴いた。
「ご苦労でありました」
挨拶を述べた阿茶へ、お竹の方さまは機嫌よく返した。留守を預かったことと、娘の振姫の輿入れ先が蒲生家に決まったことで自信がついたのか、余裕ある表情だ。
「振が正室になるのなら、国元でなく京の屋敷に住まねばならぬのでしょう? 督姫さまのように輿入れも京屋敷でするのなら、上洛せねばなりませんね」
「いずれは、そのようになりましょう。ですが、時機はもう少し先。姫さまが大きゅうなられてから、と殿より聞いております」
お竹の方さまの問いに、阿茶が答えた。年齢のこともあるが、今の京は危ない。それは黙っていた。
そして、うなずくお竹の方さまへ、帰国の道中、殿から指示されたことを伝える。
「振姫さまのご婚約が調ったからには、婚家へ従ってゆく侍女の選定と正室となられるためのご教育係りをつけるとのこと」
その段取りを阿茶は説明した。
「ならば、今まで手習いを教えていた春栄尼どのは、どうされるのですか?」
お竹の方さまに訊かれ、阿茶は春栄尼を呼んできてくれるよう、幸に頼んだ。
かつて、戦で夫を亡くした女たちを子連れで受け入れた徳川家の奥だが、字の読めない者が多く、また子らの手習いの初学を教えてもらうために、武田家の三条夫人に仕えた主の淡路局、その方を亡くした側仕えで公家出身の春栄尼に、阿茶は来てもらったのだった。
やがて女たちも読み書きができるようになり、奥に残った者は阿茶の下で働き、縁あって再婚した者もいる。また、子らも大きくなり、侍女や侍・小者として仕えるようになっていた。
そしてこのたび、戦のあとで奥向きに来た北条家の旧臣の女たちは、みな読み書きができるため、春栄尼の出番はない。振姫さまの手習いの師匠を勤めるだけとなっていた。
幸の先導でやってきた春栄尼は、事の次第を聞くと答えた。
「振姫さまの花嫁姿を見とうございますが、無用となったわたくしがおっても致し方ございません。甲府へ戻って、淡路局さまの墓守をいたしとう存じます」
「それなのですが」
と、辞意を述べた春栄尼へ阿茶が提案する。
「淡路局さまのお墓と庵は隣接する寺の住持に管理をお願いしておりますゆえ、今すぐお帰りにならずとも心配ないと存じます。ですから、今度は今年五歳になる、わたくしの養女の結衣と大姥局さまの手元で育てている千代の手習いと行儀作法の師匠をしていただきたいのです。特に、岡田千代はいずれ殿が養女にでもして、どこかへ嫁がせたいとお思いのようなので」
そう、殿は岡田忠次と岡部千賀の娘の千代も政略に使うつもりなのだ。
「そういうことでしたら」
と、春栄尼は承知した。
数日のうちに殿は岡田竹右衛門忠次を呼び出して、このことを告げるだろう、と阿茶は思った。
その五日後、先触れを出して岡田さまが阿茶の局へやってきた。
「いやはや。殿には驚かされる。千代を養女にするとは。ま、先のことになるそうだが。五郎三郎を神尾家の婿養子にするという話は知っておりましたが、六歳と五歳のあの子らを許嫁とするとは。早すぎやせんかね」
「本当は、こちらに引き取って養育するつもりだったのです。けれども上方の情勢がどうも怪しくて、殿に従って、いずれわたくしも上方へ行かねばなりません。九月には秀忠さまの婚礼もあり、守世も京から離れられません。嫁の志摩に五郎三郎の養育を任せるのは荷が重いし、かわいそうでしょう。ですから、婚約だけして、五郎三郎は岡田さまに育てていただくことにすると、殿が申されますので」
「阿茶局どのが戻ってくるまでに、いい男に育てておくさ」
と、岡田さまは声を上げて笑った。
この十日後、神尾家で岡田忠次さまとその嫡男、阿茶が集まり、六歳と五歳の子らの仮祝言が行われ、結衣は城の奥で、五郎三郎は阿茶が用意した家で父親の岡田さまと暮らすことになった。奉公人は阿茶が差し向け、すべての費用は神尾家すなわち阿茶が負担することで合意した。
このとき会った嫁の志摩は神尾の家になじんで、萩野と小夜に支えられ、新妻としてうまくやっているようだった。しかし、結婚しても守世はお役目が忙しく、今回などは長期で京に滞在して二人でゆっくりできる時間もなかったので、阿茶は申し訳なく思った。
城へ戻れば、阿茶はお梶さまに徳川家の家政のことを少しずつ教えていった。後継として育てているのだ。
「千代もあにさまのお嫁になりたーい」
仮祝言を終えて城へ戻った阿茶、結衣、五郎三郎へ、千代が駄々をこねた。
兄の五郎三郎が一年早いが、仮祝言の前に中剃始の儀式をし、形を改めた姿で戻ってきたので、理由を聞いた千代が羨ましがったのだ。
中剃始の儀とは、七、八歳の男児が頭の中央部の髪を剃る儀式で、前髪はまだ落とさない。幼児から少年、若衆となった証である。
神尾家で五郎三郎は阿茶が縫った肩衣を着て、結衣は白い着物姿で、三献の儀のまねごとをした。
「結衣は将来、五郎三郎のお嫁になる約束の儀式をしたのですよ。だから、結衣と千代は姉妹になります」
「そうなの? どっちがお姉さま?」
「千代は、どっちになりたい?」
「おねえさま!」
元気に答えた千代は機嫌が直ったようだ。
「殿が千代にも三国一の婿君を世話してくださいますよ」
結衣にお姉さんぶり始めた千代は阿茶の言葉を聞いていない。
その様子を五郎三郎は笑みながら、黙って眺めていた。
六歳という年のわりには大人びて、賢い子。
阿茶は少年期に入り始めた五郎三郎を注意深く見ていた。
(子柄が違うな。普通の子を育てるのとは違ったやり方をせねばならぬか?)
六歳の五郎三郎を京へ連れて行くのは本人の負担になるので、実父の岡田さまに教育をお願いしたのだが。
子どもたちが騒いでいるうちに、岡田さまが五郎三郎を迎えに来た。
五郎三郎は妹たちと今まで世話してくれた使用人たちに挨拶をして、岡田さまと共に城を去っていった。
このように阿茶が公私のことで忙しくしているうちに、七月に京から早馬が来た。
「秀次、謀反。疾く上洛せよ」
との命令だった。
殿は七月十五日、江戸を出発した。奇しくもその日は、秀次が死んだ日であった。伏見に到着したのは、二十四日である。
阿茶を始めとする侍女団とお梶さま、お万さまも同行した。
殿は二十六日には太閤の近臣へ、「秀次の死によっても変わることなく忠節を尽くす」ことを書き送った。
太閤・秀吉は諸大名に忠誠を求め、血判の誓紙をとった。
秀次の高野山追放、自害に続いて行われた八月二日の妻妾と子らの処刑について、殿は「遠島[島流し]でも良かったのではないか」と言ったが、阿茶も同感である。
凄惨な処刑で、見物していた京の者たちからも抗議の声が上がったと聞く。
今や絶対的な権力者となった太閤を止める者は誰もいなかった。
秀次妻子の処刑の翌日、八月三日、徳川家康・宇喜多秀家・前田利家・毛利輝元・小早川隆景・上杉景勝の六名連署の御定五カ条と御定追加九カ条が発布された。
内容は、「大名の婚姻は上意を得て行う」「大名・小名間の契約・誓紙を禁ずる」など、大名・公家・侍・寺社が為すべきことを定めたものであった。
秀次事件の処理を増田長盛と共に担当し、奔走していた石田三成は、八月七日の知人への書簡で、「京の儀は別条なく早速相鎮まり候」と書き送っている。そのころには、秀次排除の一連の処理は終わったようだった。
秀次の死の発案は太閤。実行と事務処理は、石田三成を始めとする吏僚たちが行った。
八月七日から京を離れ、有馬へ湯治に行った秀忠さまは、月末には伏見に戻ってきた。そして九月十七日、伏見の徳川屋敷で婚礼の儀が行われた。婿君の秀忠さま、十七歳。嫁君の小督[お江]さま、二十三歳。花嫁は六歳年上だった。
近江の浅井長政を父に、織田信長の妹・市を母に、茶々、初、江は生まれた。しかし父の長政が越前の朝倉氏との関係を断つことができず、裏切ったため、織田氏に攻められて浅井氏は滅亡した。茶々四歳、初三歳、江は生まれたばかりだった。側室腹の二人の男児を父の長政は隠していたが、嫡男の万福丸は探し出されて織田方に殺され、次男は隠し通され、一向宗の僧となった。
浅井氏の居城・小谷城から母と共に出された娘たちは岐阜城、次いで伊勢にいた叔父の信包の許で過ごし、尾張清洲城に移った。
天正十年、本能寺で伯父の信長が討たれ、後継などが話し合われた清州の会議で、三姉妹の母・市は重臣の柴田勝家に嫁ぐことになった。
天正十年十月、勝家の妻となった母と共に姉妹は越前・北の庄城へ赴いた。けれども、翌十一年四月、羽柴秀吉に攻められ、城は落ち、母は勝家と共に果てた。落城する前、三姉妹は秀吉の陣所へ送られた。茶々十五歳、初十四歳、江十一歳のときであった。
秀吉の保護下にいることとなった三姉妹のうち、長女の茶々へ秀吉は側室となるよう要請する。
茶々は妹たちの嫁ぎ先を用意したら、と条件をつけたので、十二歳となった江がまず佐治一成と結婚した。
佐治氏は、もとは近江国甲賀郡小佐治郷に住んでいた一族だが、尾張国大野に移り住んでから勢力を拡大し、知多半島の大野を中心として、内海から幡豆崎への西海岸を支配下に置き、海運に携わる大野衆を配下としていた。そして刈屋・緒川を中心に東海、及び成岩・常滑の交通路を押さえた水野氏と二大勢力を保っていた。
この水野氏は、家康の生母・お大の方の実家でもある。
一成の母は織田信長の妹・犬なので、いとこ婚ということになる。しかし幼いので同居はせず、姉の茶々の許にいたという。
佐治一成は織田信雄の家臣で、小牧・長久手の役のあと、没落したため、この結婚は消滅した。
次姉の初は近江八幡山城、のちには大津城六万石の城主・京極高次に嫁いだ。京極氏は北近江の守護大名だったが、家臣だった浅井氏の台頭で勢力が衰えていた。高次の父・高吉は浅井長政の姉を娶って高次が生まれたので、初も、いとこ婚である。
高次の妹の竜子は若狭小浜城主の武田元明に嫁いだが、織田信長の家臣・丹羽長秀に敗れ、夫婦は朝倉義景を頼って越前に逃れたのち、若狭に戻って暮らしていた。けれども天正十年の本能寺の変で元明は明智光秀に加担した嫌疑をかけられて切腹する。その後、竜子は秀吉の側室となり、松の丸殿と呼ばれるようになった。
初が嫁いだ前後に、茶々も従姉妹の竜子同様、秀吉の側室となる。その後、江は秀吉の甥の小吉秀勝に嫁いだのだが、夫は朝鮮半島で戦病死してしまう。そのとき身ごもっていた江は姉の茶々の許へ戻り、女児を産んだ。
拾君より三か月早く生まれたその子を、茶々は猶子とした。
(子を置いて嫁ぐのは、つらかろうな。どうやって説得し、また気持ちの整理をしたのだろう)
阿茶は徳川家の御新造さまとなった江さまの心情を思いやった。
(しかし、小姫さまの時と違って何とも淋しい婚礼だこと)
婚約で夫婦としての実態がなくても、一度結婚したことになるため、二人は再婚同士だった。とはいえ、太閤・秀吉の養女として嫁いでくる女性に華やかな行列すらないとは。
(甥の秀次さまの処刑のあと、ということもあろうが、徳川と豊臣の縁をつなぐ女性にしてはお道具・衣装類が少なく、宴も三献の儀のみとは、いかがしたこと。小姫さまのときは北政所さま自らお出になって差配なされていたのに、今回は側近の孝蔵主さまから私的な挨拶の文が来たのみ。おそらく姉君の二の丸さまが差配なされておられるのだろうが、準備の打ち合わせのためやってきたのは、二位局という役女だけ。見方によっては……臣下だから、こちらを舐めているのか?)
婚礼のとき、太閤が従者を連れてやってきた。だが、小姫さまのときのように能の興行はなく、公家衆を引き連れてもいない。三献の儀だけ見て、早々に帰ってしまった。
二の丸さま(淀殿)の侍女の序列で言えば、乳母の大蔵卿局が一番で、二位局は次席であると聞く。その代わり、二の丸さまの乳兄弟・大野治長の異母弟の治純を付けてきた。
(警固役であると同時に、間諜……であろうな)
それはこちらも承知の上だ。侍女たちも多くは浅井氏の旧臣の娘もしくは後家だった。
婚儀を終え、殿の許へ秀忠さまに導かれ、花嫁がやってきた。親族との対面の儀である。
「よう来られた。疲れたであろう」
と、殿が労ったのち、やや後方に控えていた阿茶を振り返る。
「この者は、阿茶局という。秀忠の養母であり、我が家の奥を取り仕切る者である」
紹介を受け、阿茶が頭を下げた。
「よろしゅうに、お願い申し上げます」
「こちらこそ、よしなに」
御新造さまは軽く会釈した。三姉妹のうち、長女と三女は美人として名高かった母君のお市の方に似ているということだが、本人を前にすると、納得する。顔かたち整い、髪黒々として、むしろ噂以上の美女だった。
(……距離が難しいな。あちらは正室で豊臣家の養女。こちらは奥の実務を取り仕切っているとはいえ、身分の上では奉公人に過ぎない)
朝日姫さまのときは、八束局以外の侍女が張りぼての使い物にならない女ばかりだったので、やりやすかった。ご正室さまも大名家の奥というものを分かっていなかったからな、と阿茶は考察する。
(今度は、そういうわけにいかない)
妻として夫の秀忠さまと上手くやって欲しいし、後継も産んでもらいたい。それがとりもなおさず、御新造さまが徳川家に居場所を作ることにもつながる。
しかし、付き従ってきた侍女や侍は豊臣家の者である。
(さて、殿はどうされるか)
浅井の娘を息子の嫁に、と太閤に告げた殿は浅井の血を求めるのではなく、織田の血を徳川に入れることを望んだのだから。
殿と嫁御寮人との会見のあと、阿茶の部屋へ御新造さまの乳母で今は役女(老女)の民部卿局という者が挨拶にやってきた。
一色氏の出だと、本多正信さまから聞いている。
公家の唐橋在通が十五代足利将軍・義昭に武家として仕える際に、母方の一色を名乗ったもので、民部卿局はその娘だということだ。殿は将軍家が没落し、主を失った父親・唐橋在通を婚礼と同時に召し抱えている。
(ぬかりのないこと)
父親を手元に置いておけば、裏切ることはあるまい。
「ご挨拶にまかりこしました。民部卿局と申します」
たおやかな京言葉で言った。姫君が生まれたときからの乳母ではなく、佐治一成に嫁ぐ前、行儀作法などを教えるためについた養育係としての乳母だそうだ。
「姫さまは……いえ、御新造さまは、お優しく慎ましやかなお人柄で、このたびの輿入れも、豊臣家と徳川家の縁を結ぶためとのお気持ちで嫁がれたのでございます」
女主人のために、民部卿局は説いた。
「なんと麗しい御心」
と、阿茶もにこやかに応じ、和気あいあいと二人は若い夫婦の明るい前途について語り、別れたのだった。
徳川家の秀忠邸で暮らし始めた江姫の評判は良く、「仲睦まじい」と奥の誰もが言う。
そんな中、阿茶は本多正信さまと共に殿に呼ばれた。人払いがされている。
「あれをいかに思うか」
殿のご下問へ本多さまが答える。
「琴瑟相和すは、良きことでありますな」
「まことに」
受けた阿茶が続ける。
「足利将軍家所縁の者は、おとなしゅうございますが、浅井の女どもは騒がしいこと。けれども、大姥局さまがいらっしゃれば、何と言うこともございません」
笹尾局からの報告によると、浅井系の侍女たちが太閤の権威を笠に着て主導権を握ろうとしたものの、大姥局さまの一喝で静かになったとか。若君の乳母の地位は高く、親王の乳母ともなれば、三位の位を賜り、女官の筆頭となる。浅井家臣の侍女たちがどう騒ごうが、奥での地位に大姥局さまにかなうはずもなく、さらに胆力のある大姥局さまがそんな女たちを許すはずもない。
「それは重畳」
報告を聞いた殿が笑む。
「それはそうと、本多さま」
殿にも知っていてもらおうと、阿茶が御前で問いかけた。
「二の丸さま付きの二位局さま、あの方の縁者に心当たりはございませぬか?」
「二位局……」
本多さまも、二位局に会っている。あの福々しい顔を思い出したのだろう。
「ああ、あの役女の……そうか、乳母でなければ……。なるほど、調べておきましょう」
一瞬で阿茶の言いたいことを理解したのは、さすがだ。
「先のことは、どう転ぶか分かりませぬゆえ」
阿茶は笑みを深くした。
そんな阿茶たちを、殿は興味深そうに見ていた。




