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六、回想三
スパルタの王妃レダに恋をした大神ゼウスは、白鳥の姿になってレダのもとに舞い降りた。やがてレダは身籠り、二個の卵を産んだ。
そのうちの一個からは、双子が生まれた。双子は、カストルとポルックスと名づけられた。
スパルタ王の血を引くカストルは普通の人間だったが、ゼウスの血を引くポルックスは不死身の体をもっていた。
成長した二人は数々の戦争に参加して武功を立てたが、ある日、カストルは戦場で流れ矢に当たって死んでしまった。
嘆き悲しんだポルックスは、カストルを復活させるか、それが無理ならば不死身という自分の能力を解いてくれるよう、父であるゼウスに懇願した。もちろん、不死身でなくなった暁には、カストルの後を追うつもりだった。
カストルの死を嘆き悲しむと同時に、兄弟を思うポルックスの気持ちに心を打たれたゼウスは、ポルックスの体を不死身でなくし、二人を星座にした。
こうして、二人はふたご座となった。
*
陽太が翔とともにペルセウス座流星群を見た数ヶ月後、美羅と陽太は真夜中の公園で芝生の上に並んで寝転んでいた。
陽太がペルセウス座流星群を見たという話を聞いた美羅が、かねてから「流星群、私も見てみたい」と望んでいたためだった。
今日は、ふたご座流星群の極大日だ。しかも、夜の空は晴れ渡り、空気も澄み切っている。陽太は迷わず、美羅を真夜中の公園に連れ出した。
寝転んだまま、周囲を見渡す。遠く離れた場所に白い街灯が点々と光っているほかに、光源らしい光源はない。
陽太は、美羅の顔に視線を向けながら、静かに口を開いた
「ふたご座流星群の中心にあるふたご座は、ギリシャ神話に登場するカストルとポルックスを表しているんだ」
「そうなんだ」
美羅は夜空を見上げたまま、驚いたように相槌を打った。
陽太は、カストルの死を悲しんだポルックスが不死身ではなくなり、二人揃って星座になったという話を、ごく簡単にではあったが美羅に話して聞かせた。
「二人って、仲がよかったんだね」
陽太の話を聞き終えた美羅は、しみじみと感想を述べた。言葉とともに口から出た白い息が、幻のように空中に消えていった。
美羅は、白い息が消えたのを確かめると、陽太のほうに顔を向け「ねえ」と唇を開いた。
「私、この世界に、もう一人の私がいるに違いないって、ふと思うことがあるんだ。いわば、私の双子」
突然の告白だった。美羅の唇から生み出される言葉が、陽太の耳を冷たく撫でた。
ドキリとした。恐る恐る、聞いてみる。
「どういう意味?」
美羅は天を見上げたまま、口元を綻ばせた。
「その言葉通りの意味。とくに深い意味はないよ。ほら、子供の頃に、地球人は自分だけで周りの人はみんな宇宙人に違いないって信じてたこととかない? それと同じようなものかな」
「なんだ。心当たりでもあるのかと思って、びっくりしたよ」
「まさか」という言葉に続けて美羅が語ったのは、夢見がちな小学生の妄想のような内容だった。
「でね、もう一人の私は、私と違ってお金持ちの娘で、何不自由ない生活をしてるの」
びっくりしたことが恥ずかしくなるほどのメルヘンチックな内容だったが、ちょっと天然な部分がある美羅らしくも思えた。
「でも、彼女は幸せじゃないの」
「なぜ?」
陽太は、続きを促す。
「私みたいに、大切な人がいないから」
美羅は、何かいいことを思い出したかのように微笑むと「それにね」と呟いた。
「彼女は私と違って、不死身じゃないの」
美羅の夢想が、澄み切った夜空に向かって脈絡もなく膨らんでいく。陽太は、思わず噴き出しそうになるのを堪えながら、ツッコミを入れた。
「それって、さっき俺が話したふたご座の話じゃん」
「無理矢理、捻じ込んでみました」
美羅は、陽太の顔を見詰めたまま悪戯っ子のように笑った。
笑顔が、この上なく魅力的だった。
気がつくと、陽太は自分の唇をゆっくりと美羅の唇に近づけていた。
そのとき。
美羅が空を指さしながら叫んだ。
「あ、流れ星!」
陽太は思わず、美羅の指先の方角に視線を移す。
一際明るい流星が、長い尾を引きながら南の空に流れていった。
*
その日、陽太は都内にある出版社のビルにいた。
陽太にとって、就職先の第一志望である大手出版社の面接日だった。同時に、就職活動を通じて初めての面接でもあった。
緊張感のためか、座っているパイプ椅子が、やけに冷たく感じられる。
居心地の悪さをごまかすために足を組み替えるたび、ズボンの生地が擦れ合う音が室内に響く。
順番待ちの廊下は静寂に包まれていて、壁にかけられた時計の針の音さえ、妙に大きく感じられる。
もともと、自分は恋愛以外の場面ではあまり緊張しない性格だと思っていたが、さすがに今日ばかりは極度の緊張状態にあった。
陽太は、想定される質問内容、そしてそれに対する模範回答をまとめたノートを開き、目を通した。
ページを捲るたびに、かさかさと乾いた音が、室内に木霊した。
もう何度も見返した内容なので、新たな気づきなどあるはずもない。ただ、ページを開いたり閉じたりして、緊張を紛らわせるほかはなかった。
向かいに座っている男子学生が、無言でスマートフォンを見詰めている。目が合ったときに軽く会釈を交わしたが、当然ながら、会話を交わすことなどない。
空気が重い。
隣の部屋からは、抑揚のない面接官の声と、それに答える学生のくぐもった声が微かに聞こえてくる。
「次の方」
いよいよ、陽太の番だった。扉の向こうから声がすると、急に鼓動が速くなった。
「白石陽太さん」
名前を呼ばれて立ち上がるとき、緊張で足が震えているのが、自分でもわかった。
「はい」と返事をすると短く深呼吸をし、手に持った書類を整えた後、扉をノックした。
「失礼致します」と声を張り、扉を開ける。
部屋の空気はひんやりとしているが、明るい日差しがカーテンの隙間から差し込んでいた。
部屋の奥、長机の向こう側には、三人の面接官が座っていた。
面接官に向かって、自己紹介をする。
最初の挨拶は、練習通りに丁寧な笑顔でこなすことができた。椅子に腰を下ろし、背筋を伸ばす。
質問は、ほとんどが想定内の内容だった。
「志望動機をお聞かせください」
「大学で力を入れたことは?」
事前に用意した回答を思い出しつつ、できるだけ自然な言葉で話すよう心がけた。
すると、面接官の一人が興味深そうに微笑みながら、質問を投げかけてきた。
「履歴書を拝見しましたが、大学では天文サークルの責任者をされているんですね。どのような活動をされてきたのか、もう少し具体的に教えていただけますか?」
「はい、大学二年の後半から責任者を務めさせていただきました」
天文サークルは、陽太がもっとも情熱を注いできた活動だった。話したいことは、山ほどある。
――何から話そう。
さまざまな場面が、次から次へと目の前に蘇ってきた。そのなかから、陽太は観測会の話題を選んだ。
「活動としては、月に一度の観測会や、地域の子供たちを招いておこなう星空教室の運営などをしていました。また、機材の調達やメンテナンス、SNSを活用した広報活動もおこない、参加者を増やす工夫もしてきました」
陽太は、はっきりとした発音を意識しながら、頭の中の一つ一つの場面を、可能な限りのわかりやすさを心がけながら説明する。
「星空教室、面白そうですね。具体的にどんな内容を?」
「はい、子供たちに星座の物語を紹介したり、望遠鏡を使って実際に月や土星を観測してもらったりする体験型のイベントです。とくに喜ばれたのは、星座をテーマにしたスタンプラリーです。学びながら楽しめるよう工夫しました」
気がつくと、つい先ほどまで全身を覆っていた緊張は、自分でもびっくりするほどに小さくなっていた。
面接官の一人が小さく頷いて、さらに尋ねる。
「それだけ多岐にわたる活動をまとめるのは、大変だったのではないですか? 何か苦労したことや、乗り越えたエピソードがあれば教えてください」
陽太は、落ち着いて答える。
「一番苦労したのは、観測会の運営です。天候に左右されやすいイベントなので、雨天の場合の代替案を準備するのに悩みました。とくに、一年目の秋に予定していた大規模な観測会では、前日から台風が接近して中止を余儀なくされました。しかし、代わりに室内でスライドショーやミニ講演をおこない、何とか参加者に楽しんでもらえたときは、大きな達成感がありました」
多少の緊張は残っていたが、星空の素晴らしさや、自分が情熱を傾けてきた活動について語れる喜びのほうが勝っていた。
面接官たちが笑顔で頷きながらメモを取っている。手応えを感じた。
最後の「何か質問はありますか?」という問いにも、面接で感じた素直な疑問を、落ち着いて投げかけることができた。
退出の際には、深く一礼して「本日はありがとうございました」と伝えた。
そのまま部屋を出ると、緊張が一気に解け、肩の力が抜けた。まるで、操り人形の糸が切れたかのような感触だった。
*
建物の外に出ると、春の温かい風が頬を撫でた。
視線を上げる。三月の澄んだ青が広がっていた。陽太は、軽く深呼吸をしながら、心の中で呟いた。
――まあまあ上手くいった。手応えは悪くない。
自分の返答や表情を思い返しながら、一人で頷く。
――そうだ。
陽太は、すれ違うスーツ姿の学生たちの不安そうな表情を横目に立ち止まり、スマートフォンを取り出した。
――終わったことを、美羅に伝えておこう。
陽太は、我がことのように喜ぶ美羅の顔を想像しながら、アドレス帳にある「瑠璃川美羅」の名をタップした。
面接、無事終わったよ。
連絡を待ち続けていたのだろうか。
いつものように、すぐに返事が来た。
どうだった?
返事を確認すると、面接時に緊張していた事実さえ忘れてしまいそうなほどの喜びが、胸の奥に湧き上がってきた。
面接の正直な感想を、一刻も早く、美羅に伝えたかった。
陽太は、無我夢中でスマートフォンのキーを叩く。
うん。結構、上手くいったと思う。
これも、美羅のおかげかも。
よかった。
陽太のことだから、きっと大丈夫だよ。
晩ご飯つくって、待ってるね。
陽太は、充実感に満たされていた。
思えば、就職活動が思うように進まない時期もあった。だが、今はその遅れを取り戻したうえで余りあるほどの、充実した時間を過ごせている気がした。
――やるべきことは、まだまだ残っている。
そうは思いつつも、少しだけ気が軽くなった。




