目覚め
小さな横穴の中、彼はゆっくりと目を覚ます。
――ここ、は?
分からない。頭の中にもやがかかっているかのよう。
ひとまず体を動かそうとした時だった。
「わっ」
ずるり、と。体が引きずり出されるような感覚があった。
後ろを振り返れば、一切の不純物無く透き通った透明な結晶体が宙に浮いていた。
「……これは?」
分からない。
けど、どういうわけかこれは自分だという不思議な確信があった。
だとすると、今ここに立っている自分は何なのか。
そう思った時、結晶体がキラリと光って鏡のようになる。そこには白い髪に宝石のように鮮やかな緑の瞳をした十歳くらいの子供が立っていた。
――なんだろう、何か違和感があるような……
考えたが、やはり何も思い出せない。
試しに結晶体に手を差し入れようとすると、触れたところから先が飲み込まれるように消える。
しかし引き戻すと手は何事もなかったかのように形を取り戻す。
その時、少年はある言葉を思い出す。
「ダンジョンコア……」
何故だろうか、その言葉は結晶体……もとい自分を指す言葉だと分かった。
けれど、それ以外は何も思い出せない。
「…………」
少年はぼんやりとしたまま、その場に座った。
それからしばらく時間が経った。どれくらい時間が経ったかは数えていない。
ただ、横穴の先は地上に繋がる縦穴となっていて、そこから見上げる空の様子から、夏が終わって、秋が来て、冬になったことは分かった。
夏とか秋とか冬とかいう言葉は頭の中に自然と湧いてきたのだが、これも何故かは分からない。
縦穴の先、地上には何故か出られないという確信があった。
試しに手を伸ばしたら、穴に出た先から手が消えてしまった。すかさず手を引っ込めたが、消えた場所は少しの間再生しなかった。
少年にできることといえば、一日中ぼーっとするくらいだ。
眠気が来ないことに気付いたのはいつだったか。けど、眠気という言葉の意味も分からなかった。
気が付いたら穴の中には、植物や苔が生えていた。今は冬なのに、枯れる気配もなく青々としている。
来訪者はたまに落ちてくるゴブリンくらいか。
ゴブリンはダンジョンコアを見ると喜んで破壊しようとするので、少年は自分を守るためにゴブリンを倒した。会話が通じる相手ではなかった。
死骸はどうしようかと考えていたら、一時間ほどでほどけるように魔力へと変換されて、ダンジョンコアに吸い込まれていった。
何も感じないのはゴブリンごときじゃ大した魔力にならないからだろうかと、なんとなく考えた。
少年の日々に変化があったのは、雪がそろそろ横穴の入り口を塞いでしまうなと、ぼんやりと考えていた時だった。
ドサッという音を立てて、それは落ちてきた。ゴブリンではなかった。
三メートルほどはある巨大な体。青い髪の間から覗く一対の角。伸びた爪に、かすかに開いた口から覗く牙。
オーガだと、少年は判断した。
このオーガもゴブリンのように自分を害そうとするのだろうか。
そう思って身構えるが、オーガに動く気配は無い。
よくよく見ると、隆々としていて当然の身体は痩せ細り、骨ばっていた。
死んではいない。けれど、飢えて動けないようだった。
その姿を見て、少年は何となくそのオーガを哀れに感じた。少年はオーガの目の前の地面にそっと触れて、魔力を流し込む。
それは暇を持て余している間に見つけた力。望んだ植物を瞬時に生やし、育む能力。
少年が生み出したのは芋だ。これを魔法で焼いて与えようと思って掘り出すと、それに気が付いたオーガが少年の手から芋をひったくるように取り……生のままでかじりつく。
そしてもう止まらないといった様子で、自ら芋を掘り起こしては生のままで食べ続けた。
「ふう……」
ひとしきり落ち着くと、オーガは息を吐く。そして流暢な言葉遣いで話す。
「助かった……ここ数日、何も食べていなかったからな。それで、アンタは何者だ?」
「何者……?」
それは少年自身も分かっていない。けど、分かっていることは二つだけあった。
「名前は……たぶん、『リュール』」
それは長く考えている間に何とか思い出したもの。
「ぼくは、ダンジョンコアのリュール……」
「は? ダンジョンコア?」
オーガが驚いて、そして横穴の奥にあるダンジョンコアに気付いて、さらに息を呑む。
「あそこに浮いてるのが、アンタの本体ってことか?」
「うん」
リュールが肯定すると、オーガはしばし言葉を失う。そして再始動するなりブツブツと喋りだす。
「自我を持つダンジョンコアなんて初めて聞いたが……だが確かに、この場所の空気感はダンジョンだ。魔物の一匹もいないようだが……」
ぶつくさと呟くオーガ。
「ねえ」
が、リュールに声をかけられてハッとしたように戻ってくる。
「あ、ああ。なんだ?」
「きみは誰? ぼくのことを知っているの?」
リュールの質問にオーガは、一瞬遠い目をすると自嘲するように言う。
「オレは……はぐれのオーガだ。族長の座を巡る争いに敗れて、里を追い出された、な」
さみしげな返答に、リュールは何だかかわいそうだと思う。
「そう。じゃあ、しばらくここにいても良いよ。食べ物なら作ってあげるから。代わりに、ぼくの話し相手になってよ」
リュールの言葉にオーガはぱちぱちと目を瞬かせる。
「……アンタ、変わったやつだな。弱ったオーガなんて良い餌だろうに」
「そうなの?」
オーガは呆れたように肩をすくめると、横穴の壁面にもたれかかる。
「で、何の話が聞きたいんだ?」
リュールはその隣に腰かける。
「ダンジョンコアって、何?」
「……そこからか」
ため息をつくと、オーガはリュールに説明を始める。
ダンジョンコアとは、その名の通りダンジョンの核。
空間をねじ曲げてダンジョンを形成し、自身を守るための魔物を生み出す。
「じゃあ、ぼくにも魔物を生み出せるの?」
「アンタが本当にダンジョンコアならな」
オーガはどこかリュールのことを疑っているように見えた。それにリュールは少しむっとする。
「分かったよ。じゃあ、やってみるから見てて」
リュールは植物を生み出す時の要領で、魔物よ生まれろと念じながら地面に魔力を通す。すると……
ぽんっ。
気の抜けるような音とともに、小さな花が咲いた。そしてそれはぐんぐんと育ち、三十センチほどの人型を取る。
見た目は、頭に花飾りを付けた若草色の髪の小人の少女だ。
「あなたが私を作ったの?」
小人はリュールに話しかける。
「う、うん」
リュールは本当に生まれたと、少し驚きながら頷く。
「はじめまして、あるじ様。私はマンドレイクという魔物です」
小人もといマンドレイクは礼儀正しくスカートをつまんでカーテシーをする。
「あるじ様、お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
「ぼくはリュールだよ」
「そうですか。よろしくお願いします。リュール様」
マンドレイクは小さな顔で微笑む。
「本当に生み出せるとはな」
オーガがぽつりと呟く。
「しかしこれがマンドレイク……? 何だか、オレが知っているマンドレイクとは随分違うな」
するとオーガの存在にマンドレイクが気が付く。
「リュール様、こちらのお方は?」
「ぼくが助けたオーガだよ」
「まあ。そうなのですね。ということは、リュール様のお友だちということでよろしいのでしょうか?」
「どういうことだよ」
オーガが冷静にツッコむ。
「じゃあ、敵ですか?」
マンドレイクが小さな体で構えを取る。
「敵じゃないよ。ねえ?」
「今のところはな」
リュールとオーガのやり取りに、マンドレイクは力を抜いた。
「ところで……きみ」
「オレか?」
オーガが長い爪の生えた手で自分を指すと、リュールは頷く。
「きみの名前はなんていうの?」
「はあ?」
オーガはわけがわからないとばかりの顔をする。
「名前なんてあるわけないだろう」
「そうなの?」
「ああ」
オーガが頷く。
そうか、名前が無いというのは不便だな。
そう考えた少年は、じゃあと言う。
「それなら、ぼくが付けてあげるよ。きみの名前は、『レン』にしよう」
そう言った瞬間だった。視界が突然飛んで、強烈な眠気が襲ってきたのは。
――あ、れ……?
離れた場所ではオーガが胸を押さえて倒れ込むのが見えた。
どうしてと思うが、分からない。
リュールの意識はそこで途絶えた。




