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Alice.dat -ハッカーの彼女と公安の彼の騙し合い恋愛 嘘で始めた恋は本物になれますか?-  作者: 稀葉


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File.39 竜宮城の眠り姫

 健やかに眠っている。

 三月ウサギに囚われている間は安心して眠れなかったから、そのぶんを取り戻しているだけだ。 

 そう思いたいところだが、透子が目を覚まさないまま三日が過ぎた。

 

 病院の特別室。

 本来なら面会時間外まで見舞い人が居ることなど許されないが、この部屋は例外だった。

 専用のトイレやシャワールーム、ベッドにもなるソファーがあり、付き添い者が泊まることもできる部屋だ。

 狗塚は、透子が入院してからずっとここに詰めていた。

 

 点滴がぽたりぽたりと落ちる。

 廊下の外には、時折人の行き交う気配があるが、室内はシンとしていた。

 ベッドサイドの椅子に腰掛けて、眠り続ける透子に視線を落とす。

 

『自己紹介でもしてあげてちょうだい』

 

 千秋に言われた言葉を思い返しては、何から伝えようかと、もうずっと考えていた。

 

 名前が違う。職業も違う。誕生日も、彼女に近づいた理由も何もかも嘘だ。

 どこから手をつけたらいいのかわからないほどに、彼女に伝えたことは嘘だらけだった。

 

 瞼を閉じたままの彼女は、年齢よりも少しだけ幼く見える。

 

 誘いかけても上手に躱すくせに、手を繋ぐだけで照れる。

 薬を飲みたくないと駄々をこねる。

 食いしん坊で、甘いものが大好きで、見ているだけで胸焼けしそうなほどのケーキやドーナツを、ひとりでぺろりと平らげていた笑顔が過る。

 

 酔うと、舌っ足らずで、いつもよりも少しだけ甘えたで、それもまた可愛かった。

 

『わたしのいす。ないの。すわっちゃいけないの』

 

 今なら、あの日の言葉の意味がわかる。

 

 彼女があまり人と関わらなかった理由も、あの空っぽの部屋のワケも。

 きっと、いつも帰る準備は万端で、でも帰れないと諦めてもいた。

 

 いつか水族館で竜宮城の話をした時、行ってみたいかと尋ねると、『帰れるなら』と言っていた。

 彼女にとって、この世界こそは竜宮城(おとぎばなし)なのだろう。

 だから──置いていくものが、諦めなくてはいけないものが、少なくて済むように。

 関わらないように、知られないように、彼女のこれまでは、きっとそういう日々だった。

 

 そんな彼女が、『アリス』が関わったことで喪われた命にどれほど傷ついただろう。

 塞ぎ込んだまま、帰れる確率などほとんどないエレベーターに繰り返し乗り続けた気持を思うと、いたたまれなくなる。

 

 点滴の針が刺さった手。手首には、包帯が巻かれている。

 動かさないように気をつけながら、そっと指先に触れてみる。

 ぴくりともしない瞼。白い頬。それでも、温かな指先に彼女の生が感じられて安堵する。

 

 透子さん、と心の中で呼びかけて、桃音さんと呼ぶべきなのかほんの少し迷う。

 三月ウサギは、桃音ちゃんとやけに馴れ馴れしく呼んでいた。

 彼女は、なんと呼ばれたいだろう。


 眠ったままでは、確かめようがない。

 

 頼りない異世界から来た迷子。

 同時に、『脱兎』としての顔も思い出される。


『……売られたケンカは、買うことにしてるんです』

 

 まっすぐな眼差しで微笑んでいた。

 気が弱いと思っていたわけではないけれど、あんなに勝ち気な面があるとは知らなかった。

 千秋への報告でそれを話すと、「売られていないケンカまで買いにいきかねないのよ」と苦笑していたから、きっとあれも間違いなく彼女の一面だった。


『防火扉ですよ、『糸井』さん。あの時と、一緒です』

 

 彼女がなぜ『糸井』を知っていたのか。


 おそらく彼女は、千秋の指示で、あの施設を監視していた。

 ライブショーまでは見せないように配慮はしていただろうが、だからこそ彼女は、あの爆発の中で、防火扉を自在に開け閉めできたのだろう。

 あの時は、腑に落ちないこともあったものの、それでも、運良く助かったと思っていた。

 そうでは、ない。彼女が、助けてくれた。

 

 『糸井』を知っていたなら、『川村』と名乗って現れた男をどう思っただろうか。


『私は、『あなた』が好きです』


 本当の名前すらもあやしい男に、彼女が差し出してくれた想い。

 

 あれは、川村との時間に差し出されたのか。それとも、糸井だったのか。

 

 起きたら、話をしよう。話さなくてはいけないことが、きっとたくさんある。──なにより、謝らなければいけない。

 

 

『じゃあ、黙ってて』


 短く告げた凜とした眼差しに、そんな場合ではないのに、一瞬、見惚れた。


 すごい早さでキーを叩く指先。

 モニタに表示されていくプログラミング言語の意味はさっぱりわからなかったけれど、戦いなのだということは理解できた。

 

 彼女の手が止まったのは、残り35秒を切った時だった。 

 

『Erase all data ?』


 Yes Ne


 Noではなく、Ne。


 そこに、どんな意味があるのか。


 ここまで迷いなくキーを叩いた彼女が、動きを止め、画面を凝視していた。


 Neにカーソルを合わせ、それでも確信が持てないように迷っている。


 データを、消すか否か。


 ここにあるすべてが証拠なのだから、消されるのは当然困る。

 でも──問われているのは、データの削除だろうか。


 三月ウサギの残した、彼女だけにわかる暗号。

 

 それは、自身の残したメッセージを選べという、三月ウサギの願いに思えた。

 

 どちらを選んでも、きっとリスクはかわらない。建物のあちこちが爆発したことを考えれば、選択次第でここが吹き飛んでも不思議はない。


 残り時間は着々と減っていく。


「俺が選んでいいかな?」


 時間は残り10秒。


 彼女を、守れるだろうか。


 危惧しながら、カーソルをYesに合わせた。


「彼女は、連れて行かせない」


 エンターキーを、叩く。タイマーが──止まった。


 二人揃って、長く息を吐く。

 互いに脱力しそうになりながら、目を合わせて小さく笑い合った。

 

 出ようか、と声を掛けた途端、足下の床が崩れ、咄嗟に腕を引いて彼女を抱き締めた。 

 

 後から、爆発ではなく、建物の老朽化と、繰り返した爆発のせいだったと知らされた。

 階下へと落下して、自身はあばらと左腕を骨折、透子は頭を打っていた。

 

 すぐに病院に搬送されたが、以来、彼女は目を覚まさない

 

 そこまでの大怪我ではない。ただ、少し切ったせいで出血があった。

 精密検査でも、大きな問題は見つからず、それなのに、彼女は眠りについたままだった。

 

 

 定期連絡のために病室を出る。

 院内の所々に、クリスマスのディスプレイが見受けられた。

 もうクリスマスまで一ヶ月を切っている。

 仕事柄、悠長にイブを祝うようなことはここ何年もなかったが、透子は好きだろうなと思う。

 ブッシュドノエルかフルーツのたくさんのったケーキを買っていけば、満面の笑みで口に運ぶに違いない。

 考えただけで、知らず口の端があがる。

 

 彼女が、目を覚ましたら──。

 

 千秋に、透子が変わらず目を覚まさないことを連絡すると、千秋側も三月ウサギが単独犯だったかはまだ捜査中だと返った。

 それでも、あの土壇場で透子が千秋に送ったデータには、これまでなかなか尻尾を掴ませなかったRFTに関する情報が含まれていそうだとも言っていた。


「後で様子を見に行くわ」

 

 そう言って、千秋の通話は切れた。

 

 フロアに戻って、ハッとする。

 特別室のドアが開け放たれ、看護師が慌ただしく出入りしていた。

 嫌な予感に、駆け出して病室に飛びこむと、抗う透子が看護師に肩を押さえられていた。

 彼女が目覚めたことの安堵よりも、状況理解のほうが追いつかない。


「どうしたんですか」

 

「あ、ほら、瀬谷さんっ、付き添いの方戻られましたよ。だから落ち着いてっ」

 

 彼女がふと動きを止めた。

 パニックでも起こしたんだろうか。点滴の針がはずれ、腕には血が滲んでいる。

 

「透子さん」

 

 足早に歩み寄って声を掛けると、彼女の眉間に皺が寄る。

 その表情の意味を探るように見つめると、彼女は掠れた言葉を口にした。

 

「……だれ?」


 初めて見る他人を見る目が、訝しむように向けられていた。

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