File.37 うさぎはぜったいまけられません
「よーい……」
「やめ、て……」
口元に笑みを湛えた三月ウサギは、透子をまっすぐ見つめていた。
細めた目は弧を描くのに、その奥は空っぽで、なんの感情もないように見えた。
「ドンっ!」
その瞬間、背後から目元を覆われた透子の耳に、パンッと弾けるような音が響く。
直後、どさりと重いものが床に転がる音がした。
「──っ!!」
見えなくても、何が起きたかは明白だった。
膝に力が入らない。
崩れそうになる体を、力強い腕が支えてくれていた。
はっ、はっと自身の浅い呼吸が響く。耳元では心臓の音だけが響いていた。
「あ、……あ……」
唇がわななく。
死んだ。
人が、死んだ。
彼が、今──死んだ。
肩を掴まれ、体の向きを変えられた。そのまま強く抱きすくめられる。
背中を叩くようにこすられる。
川村の、匂いだ。
「……さんっ、透子さんっ」
ゆっくりと顔を上げる。ぼやけた視界が徐々に焦点を結ぶ。
心配そうな眼差しが、こちらに向けられている。
「ゆっくり、息をして」
撫でられる背中の感触。
ピッ、ピッ、と規則正しい電子音が響いていた。
《3プン ケイカ》
デジタル音声が、今の状況を思い出させる。
「ここを出よう」
モニタに視線をやると、残り時間は26分を切ろうとしていた。
なかば抱えられるようにして、電子扉の前まで移動する。
川村が手にしたカードをスライドしても、扉を蹴飛ばしても、そこが開く気配はない。 いったん透子の部屋に行った川村は、「全部ロックされてる」と言いながら戻ってきた。
「ここを開ける方法は? パスコードはわかる?」
「……指紋。指紋認証、です」
《5フン ケイカ》
少しずつ、思考が戻ってくる。
ゲームはスタートしている。
ルール通りに川村を外に出して、このゲームを終わらせなければいけない。そうでなければ、たくさんの人が犠牲になる。
「あの人の、指紋認証で開きます」
「……わかった」
川村は少し考えると、頷いて踵を返した。
すぐに上着でくるんだ『彼』を抱えて戻ってきた川村は、扉のロックを解除した。
「行こう」
繋ごうと伸びてきた手から遠ざかるように後退る。
「透子さん?」
「……行ってください。そうじゃないと、駅の爆発、止められないですよ?」
ここから出ても、カウントダウンは止まらない。
無理やり外に出れば、その瞬間爆発しても不思議はない。
それは川村も理解しているはずだ。
「ここで20秒数えてから動いて。その間にいったん防火扉を全部下ろします」
「一緒に行こう。外に警察が待機してる。すぐ避難命令を出させる」
「即、爆発するシステムだったら?」
「……」
迷っている。秤にかけている。駅を行き交う大勢の命と、透子の命と。
迷って、くれている。それだけで、いい気がした。
透子は、川村をまっすぐ見つめて微笑んだ。
「……売られたケンカは、買うことにしてるんです」
ケンカを売ったのはどちらだろうか。
そんなことを考えられる程度には、思考もまわりだした。
「早く行って。私、負けたくないんです」
鉄扉の向こうに、川村を押し出して、背を向けた。
助けに来てくれてありがとう。
嬉しかったです。
伝えておいたほうがよかっただろうか。
けれど、そんな台詞を口にしたら、ここから引き摺りだされそうに思えた。
「あ、川村さん」
肩越しに振り返ると、彼はまだ鉄扉の前に立ち尽くしていた。
「上か下か迷った時には、いったん下に行ってください。ボタンの数も、そんなに多くないはずです」
あの遊びたがりの男が準備したにしては、あまりに単純で地味なゲームだ。
きっとこれはゲームじゃない。最初から用意してあったもの。
なんのために?
それは──
血を引き摺った後を踏まないようにして、モニタールームへと引き返す。
こみ上げる吐き気をやり過ごしながら、画面に映し出された建物の断面図を見つめた。
キーを操作して、いったん防火扉をすべて下ろす。進んで欲しい方向の扉を開き、目的の場所まで誘導していく。
混乱を防ぐために、通り抜けた後には必ず防火扉を下ろす。その繰り返しだ。
始めはモニタに映る川村の現在地と、防火扉の位置とを掴むのに苦戦したものの、三個目のボタンが押される頃にはそれにも慣れてきた。
異変が起きたのは、その三個目のボタンが押された時だった。
画面上で、一個目のボタンがあった場所が黄色く点滅し出した。
5からのカウントダウン。
何が起きるのか画面を注視して身構えていると、建物全体に大きな音が響き振動が走った。
一個目のボタンがあった場所を映し出していたはずのモニタは、ブラックアウトしている。
「……やっぱり仕掛けてるんじゃない」
川村が、この建物の爆弾の有無を尋ねた時、「さあねぇ、どっちでしょう?」と笑っていたウサギの姿が思い起こされる。
ここも、爆発してもおかしくない。
そう考えただけで指先が震えた。
それでも、川村だけは絶対に無事に外に出したい。その意志が、透子の冷静さを繋ぎ止めていた。
《20プン ケイカ》
電子音に急かされながら、川村の誘導を再開する。
いつかの記憶が蘇る。あの妙な組織の建物から、彼を逃がした時。
あの時は、もっと最初から大きな爆発が次々を起きた。
人が避難するのを想定していないほどに。
その後も、新たなボタンを押すごとに、元のボタンの場所がひとつ、またひとつと爆破され、ブラックアウトしたモニタが増えていく。
おそらくこれは、緊急避難が必要になった時のシステムだ。
決まったルールでボタンを押していき、外に出てインターフォンを押せば避難完了。
途中でボタンを間違えたり、インターフォンを押さなければ、この建物の全部を破壊して証拠隠滅をはかるとか、きっとそういうものだ。
恐らく、爆破されているボタンの近くの部屋に、何か重要なものでも置いてあるのかも知れない。
実際、押すべきボタンは各フロアに多くても3個。
たぶんボタンを光らせなくても、最初から『わかっている人間』が決まった手順で押していけば済むようにできているのではないか。
今日、こんな風にゲームをすることになるなんて、三月ウサギには想定外だったんだろう。そうでなければ、こんな単純なアソビをやろうだなんて言うはずがない。
『桃音ちゃん』
十年以上前に奪われた名前を、あんな風に親しげに呼んでくれたのは、この世界では彼だけだった。
死ななくても、よかったのに──。
彼がやったことは許されない。あの口振りでは、モノレールテロ以外にもウサギの関わった事件は多そうだ。
だから、生きて罪を償えとか、そういうことを言いたいのではないけれど、死んでほしいなんて思っていなかった。
少なくとも、彼は透子に優しかったし、彼なりのルールで動いていたのだということだけは理解できる。
ただ、その倫理は、どうしようもなく透子のそれと相容れなかった。
川村が一階に到達した。
防火扉を上げて、進路を示す。
彼が駆け抜けた先にあったボタンを押すと、またひとつ爆発音が響いた。
──次
次のボタンを光らせようと操作するよりも早く、かつての世界ではメジャーな、こちらの世界には存在しない、ゲームの勇者のレベルアップを知らせるメロディーが館内全体に響いた。
(館内放送、できるんじゃない……)
できないとは言ってないよ~、と言う声が聞こえる気がした。
おそらく、これで窓や扉のロックが解除されたんだろう。
透子が正面玄関への道を開いていくと、川村も駆け出した。
あとは、屋外のインターフォンを長押しすれば、このモニタのカウントダウンも止まるはず。
息を詰めて画面を注視していると、画面は真っ黒になり、Complete と表示され、青い画面へと切り替わった。
ホッと息をつくと、ピッ、ピッ、と先ほどと同じ、規則正しい電子音が響きだした。
「え……?」
『Who are you ?』
メッセージの下に、パスワードの入力が求められている。
残り53秒。
戸惑う目の前で、数字は容赦なく減ってく。
(誰だって……名前を入れろってこと?)
yusuke
sangatsuusagi
mone
dat
alice
正解などわかるはずもなく、思いつくままに入力していく。
『Authentication Failed』
認証失敗を告げるメッセージが表示されると、新たに60秒のカウントダウンが始まった。
『Call me !』のメッセージと、パスワードの入力スペースだ。
(呼んで? 誰を……)
ふと、三月ウサギとのやりとりが思い出された。
『桃音ちゃんが呼びかけるのはボクだけでしょ?』
『『ねえ』って呼びかけてくれればわかるからさ』
迷いながらキーを叩く。
nee
半信半疑でエンターキーを押すと、それでログインができた。
彼の、名前を呼ぶんじゃダメだったんだろうか。
互いの懐かしい話をして、そうして友達になれる道はなかっただろうか。
(ねぇって呼ぶ、それでよかったの?)
ログイン後の画面では、様々なファイルが確認できた。
そのうちのひとつを開いてみると、名簿のようだった。
ファイルを開いた瞬間、カウントダウンが始まり、メインモニタ以外の場所に大勢の人が行き交う様が映し出された。
そのうちのひとつは、透子もよく行く場所だからすぐにわかった。
(新宿だ……)
600秒から始まったカウントダウン。数字は再び電子音と共に減っていく。
こっちが、本命だ。直感的にそう思った。
ウサギがやりたかったゲームは、きっとこれのことだろう。
ここにあるファイルをすべて送信するのはきっと無理だ。
それでも、名簿なら千彰の役に立ちそうだ。
念のため、開いた名簿に糸井の名前がないかを確認してから、透子はいくつかのファイルを添付して千彰へと送信した。
「透子さんっ! ここを出るよっ」
息を切らせた川村が駆け込んできた。
「爆破のプログラムは止まってないです」
「避難命令はお願いしてきたから。早くっ!」
透子は画面を注視しながら、キーを叩く。
残り480秒。
「避難するのにどのくらいかかります?」
「……早くて30分」
「ですよねぇ。ここで止めます。川村さんは逃げて」
「ふざけるなっ。きみを置いていけるはずないだろう!」
嬉しさと、申し訳なさと。ならばやはり絶対止めなければいけないという思いとが入り交じった。
透子は川村のほうを見ることなく「じゃあ、黙ってて」と短く告げた。
カウントダウンの裏で走るシステムを書き換えていく。
ウサギは、あの時、旗を取り合うようなゲームがしたかったと言っていた。
(今度は、のってあげるよ)
走る導火線を追いかけるように、コードを置き換えていく。
彼はきっと、この書き換え合戦をやりたかったんだろう。そう思った。
三月ウサギは、もうひとりの私だったかもしれない、と思う。
アリス班に保護されなかったら。
ひとりきりだったとしたら。
世界を、ただ憎んだなら。
きっと自分も、彼のように歪んだかもしれない。
今も、ここに居ていいとは思えない。
だけど、居た意味があったと思いたい。
──あなたも、そう思った?
彼は、私を助けると言った。
助けたかったのは、本当に私だっただろうか。
(あなたは──あなた自身を助けたかったんじゃないの?)
手首が痛む。指がうまく走らない。
子どもの頃、ピアノの先生が言っていたっけ。
ちょっとでいいから、毎日練習しなさい。そうしないと、指が動かなくなるんだよ、と。
今更それを実感する。
ここに来て二週間以上。キーボードにはほとんど触れていない。
思う速度に指が追いつかない。
「……痛っ」
指先がつった。急いで指を引っ張ったり揉んだりしていると、横から伸びてきた手が透子の指の筋を押して、指先を引っ張ってくれた。
「大丈夫?」
気遣う声音に頷きだけ返す。
──負けられない。
全てを書き換えて、実行を押した時、残り35秒を切っていた。
画面が切り替わる。
『Erase all data ?』
選びかけて、手が止まる。
Yes Ne
(ねえって、そんなに呼んで欲しかった?)
『Ne』にカーソルを合わせる。
どちらを選んでも、結果は同じなんじゃないだろうか。
消していいと選べば、ここごと物理的に消えそうだ。
だからといって、消したくない方を選ぶ人がこの段階において、ここに立っていたとしたら、それもウサギや背後の組織にとってリスクでしかないはずだからだ。
(ねえって、呼んで。もう一度、名前を教えてってお願いしてみたらよかった?)
花を手向けるような気持で、『Ne』を選んでも、エンターを押すのを迷う。
隣に立つ川村に視線を向ける。
もしも物理的にここが破壊されるなら、今更彼を追い出しても間に合わない。
巻き込みたくないのに──
「正解はわかってる?」
川村が口を開いた。
「……いえ」
「俺が選んでいいかな?」
「え……はい」
頷いて、キーボードの正面を譲る。
残り10秒を切った。
「彼女は、連れて行かせない」
Yes
川村が、エンターキーを叩いた。
読んでくださってありがとうございます!
リアクションいただけると、励みになってがんばれます!
ゴールデンウィークは思ってたよりも更新できてよかったです。
もう一回くらい更新したいけど、どうでしょう……。




