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近衛八重はもう孤独じゃない

 北嶋を縛り終えた近衛は俺の方を向くと、凄絶な安堵の表情を浮かべた。それはまるで生き別れの恋人と再会でもしたかのような、万感のこもったものだった。

 世界にお互いしか相手がいないという点では同じことなのかもしれない。


「来てくれたんだ」


 近衛はその一言で俺の全てを理解した、と告げていた。とはいえ、そもそも近衛は俺がこうするように誘導していたのだから分かっていたのだろう。


「遅くなって悪かったな」

「十五年待ったんです。それくらい何てことないですよ」


 そう言って近衛はにっこりとほほ笑む。俺はその笑みだけでここまでの行動が全て報われるような思いだった。


 そう、彼女は自分を理解してくれる人と出会うまで十五年もかかってしまったのだ。

 俺たちは今、言葉にしなくてもお互いに通じ合っている。そんな思いがあった。


「これからは時間は無限にあるんです、座って話しましょう。あ、お茶淹れますね」

「おお」


 何で近衛を誘拐に来た俺がもてなされる感じになっているのかはよく分からないが、俺は包丁を持ったまま座卓につく。すると近衛は部屋の廊下に出て冷蔵庫から麦茶のポットを出し、ガラスのコップを二つ持ってきてくれた。

 そして座卓の上にコップを置くとお茶を注ぐ。その様子を見て北嶋が何か呻いている。


「うーん、テープの貼り方が甘かったようですね。姫乃、非情に申し訳ないですがせっかく先輩と二人きりになれたので沈黙していてくださいね」


 そう言って近衛は先ほど俺に向けた笑顔を顔に貼り付けたまま北嶋の口に新しくテープを貼る。その様子はまるで顔の表情を変え忘れているようであった。

 その行動を狂気じみていると思う一方、全く何も思わない自分もいて、徐々に前者が消滅していくような感覚に包まれる。


 それにしても俺と近衛は麦茶を飲みながら話しているという極めて普通のことをしているだけ

なのに、隣では拘束された北嶋が倒れているという非常なことが起こっているというのは奇妙な絵面だった。それもあって俺はいまいち現実感がわかなかった。


「まずは、世界が全部灰色っていうのはどういう状況か分かってくれましたか?」


 近衛は俺に向き合うように座ると、そう尋ねる。


「分かった。俺は今まで家族とか学校とかその他諸々のことをどうでもいいって思っていたところがあった。でもそれは近衛の気持ちとは違ったんだなって。今日犯罪を行うって思って家を出たときに初めて気づいた。どうでもいいって思うのと本当に失ってもいいと覚悟するのとは全く別問題なんだな。どうでもいいと思うものでも実際に捨てると痛みがあった」


 部屋にあるいらないものでも捨てようと思うと手が止まるということはよくあると思う。それはいらないと思いつつもどこかで愛情が残っているからではないか。俺にとって近衛以外の世界というのはそんな感じだったらしい。


 「断捨離」という言葉があるが、それに当てはめて考えると俺は世界を「断捨離」してしまったのだろうか。


「そうなんですね。私はそもそも痛みを感じないんです。姫乃をいじめていた奴らを制裁したときもまるで痛みを感じなかったんです。だからそこはまだ先輩と違う部分かもしれません」

「そうか。いつか近衛も痛みを俺と一緒に感じられるようになるといいな。いや、そうなって欲しい」

「……そうですね」


 近衛はゆっくりと頷く。その顔は緊張のせいか、やたら赤い。

 近衛が服の胸元をぱたぱたさせて風を作ると、汗で濡れた肌が見え隠れした。その仕草はまるで自宅で一人きりのときのようなくつろぎがあり、妙に煽情的だった。俺はそんな彼女から慌てて目をそらす。

 近衛はエアコンの温度下げますね、と自分の家のようにリモコンを操作してエアコンのスイッチを入れる。


「それで、俺は思ったんだ。失ったもの全ての穴を埋めて痛みを和らげたいって。そしたら気が狂いそうなほど近衛のことが欲しくなった。まあ当然だよな。これまでどうでもいいと思いつつも最低限の、少なくとも捨てるには忍びないと思うほどの愛情を持っていたものをまとめて全部捨てたんだ」

「それはもしかしたら、私が生まれた瞬間から漠然と感じていた渇きに近いものがあるのかもしれません」


 そう言って近衛は麦茶に口をつける。ただ麦茶を飲んでいるだけなのになぜか近衛の唇がとても色っぽく感じられた。


「辛かったんだな……」

「はい」


 こんな渇きを生まれた瞬間からずっと感じていたなどとても耐えられることではない。しかもそれは何をしたら癒されるか分からず、これまでの人生で一度も癒されることがなかったのだろう。もしかしたらそのせいで余計に近衛の心は自衛のために鈍くなってしまったのではないか。


「でも良かったです、私と似たようなことを共有出来る相手がいて。私はずっと孤独だったんですが、そのことを共有できる相手もいないという二重の孤独だったんです。例えば、姫乃のように、単に引っ込み思案というだけだったら似たような人同士で友達を作ることも出来ると思うんです。でも、私の場合はこのことを話すことすら出来ませんでした。もし話したらその人との表面上の関係すら崩壊しますから。だから赤の他人の先輩にあんな風に秘密を知られたのはある意味良かったのかもしれません」

「言われてみると本当にそうだな」


 近衛の秘密は大事な人に話せることでもないし、かといって赤の他人においそれと話せることでもない。それに短い言葉で説明することも不可能だ。

 後知恵で言うならネットで相談でもすれば良かったのかもしれないが、赤の他人に自分の一番重大な悩みを相談するなどなかなか出来ないだろう。ある意味近衛は自意識の檻にずっと閉じ込められていたのかもしれない。


「はい。ですから、最初に先輩と出会って私の話をしてしまったとき、心地いいと思ってしまったんです。最初はこの気持ちがどこから来るものなのか分かりませんでした。でも、先輩と話すうちにだんだんそれがどういうものか分かるようになって、私の中に欲が芽生えて来たんです。先輩を手に入れたい、と」

「やっぱりか」


 俺は近衛の俺に対する態度のどこかに積極性のようなものを感じていた。近衛から俺に会いに来たこともあったし、連絡先も教えてくれた。それは俺の自意識過剰なのかと思っていたが、やはり近衛の方にもそういう気持ちがあったのだと分かり、少し嬉しくなる。例えそれが俺に対する純粋な好意ではなかったとしても。


 そんな俺の気持ちを察したのか、近衛は顔を赤らめた。


「わ、分かっていたんですか。恥ずかしいです。そんなんだから私に手に入れられてしまうんですよ」


 俺は近衛に手に入れられたのか、と思うと悪い気はしない。むしろ彼女への愛おしさは増すばかりであった。俺は少し恥ずかしがっている彼女に呼びかける。


「なあ、近衛……いや、八重」

「何でしょう……いえ、どうしたの?」


 八重はもっと顔を赤くして、でも俺の意図を察して訊き返してくれた。


「俺は八重のことをもっと知りたい。だから今までの人生であったこと、覚えている限り話してくれ」

「うん、私も先輩に知って欲しい」


 八重は自意識の檻が破れたからか、少しだけ甘えたように言った。これが彼女の本性なのだろうか。


 それから俺たちは麦茶を飲みながらずっと八重の過去話を聞いた。小学生の頃、まだ普通の子供だと思っていた八重。しかしだんだん自分が周りの子供と違うことを自覚し始めたという。特に八重は他人の気持ちに敏感だったから、自分と他人の違いにいち早く気づき、そしてそれを悟られないように周囲に合わせて生きて来た。


 中学の時はそれが面倒で交友関係を減らしたが姫乃の事件などもあって高校では率先して人間関係を広げたこと。前は他人事のように聞いていたが、今の俺は八重の話をある程度共感しながら聞くことが出来た。


 そして話を聞くたびにどんどん八重のことを愛おしいと思うようになった。そう、俺たちは今お互いのことを理解出来る世界で唯一の存在同士だと。

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