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近衛八重は逃さない

 他人を誘拐するに当たって、一番の難題は監禁場所だろう。もちろん相手を攫う瞬間も本来は大変だと思う。体格で勝っていたとしても死に物狂いで抵抗されるかもしれないし、声を上げられて第三者に気づかれればそれで終わりだ。とはいえ、近衛は素直に攫われてくれると言っていたのでそれについては今回は大丈夫だろう。


 そこでやはり場所の問題に戻ってくる。人を一人閉じ込めておいて見つからない場所を探すのは困難だし、近衛を誘拐したら俺も家に帰ることも出来ないから、何らかの手段で二人の食い扶持を維持する必要がある。……やはり人を攫うのは大変だ。


 近衛に流されかけていた俺はその問題に突き当たるたびに現実に引き戻される。近衛の言っていることは正気じゃないし、そんなことはどう考えてもおかしい。あの日以来近衛と会っていないこともあって、少しずつではあるが俺は自分の中の熱が冷めていくのを感じた。


 やはり俺は何かおかしくなっていたのだ。例えば怪しい宗教にはまった人が高い壺を買ったり、どう考えても根拠のない儀式に傾倒したりするように、俺は近衛という存在に触れて冷静さを失い犯罪に手を染めようとしていたのではないか、と思うようになる。


 そうだ、元々俺は学校で一人だったし、近衛との繋がりが切れたところで元に戻るだけ。近衛も俺を見限れば元の生活に戻るし、それは決して悪いものではない。

 近衛の問題は解決していないが、誰だって人生を生きていれば問題の一つや二つはある。特に近衛は恵まれた能力があるので多少の悩みは仕方のないことではないか。




 そんな風に思いつつ期末試験も終わり、試験返却が終われば後は夏休みとなる。教室中の皆が夏休みに浮かれているが、俺は別にそこまでやりたいことがある訳でもない。わざわざ暑い中学校に行かなくて済むのはありがたいが。そして近衛の姿を見ることがなくなれば俺は確実にこの件を忘れていくだろう。そこに寂しさはあるが、破滅よりはましだろう。


 そんなことを思いつつ、俺が一人で帰ろうとしていると、ふと視界の端に北嶋姫乃が入った。相変わらず近衛と仲良さそうに話していて、近衛はこの前見せたような不安定さを俺以外の前では欠片も見せない。


 そこで俺はあることを思い出してしまった。確か北嶋は一人暮らしと言っていた。ということは北嶋さえどうにかすれば家を監禁場所に使えるのではないか。俺はごく自然にそんなことを考えてしまっていた。ということは心のどこかでは俺は近衛の誘拐をまだ諦めきっていなかったのか、と身震いする。


 すると北嶋と話していた近衛が目ざとく俺の姿に気づいてこちらをちらりと見て、目が合う。俺はきまりが悪くなって慌てて目を逸らした。何せ俺は近衛を誘拐することを諦めかけていたのだから。


「じゃあ、二十八日に遊びにいくね!」


 近衛が先ほどまでより少し大きめの声で言う。それを聞いて俺は死ぬほど驚いた。今のはどう考えても俺に聞かせるためにわざと言ったのではないか。話し相手の北嶋もその発言が唐突だったためかやや困惑しているように見える。これは近衛がその日に俺が犯行に及ぶことを後押ししているということなのか。


 もう忘れようと思ったことのはずなのに、気が付くと俺の脳内は近衛でいっぱいになっていた。


 夏の暑い日のはずなのに、俺の背中には冷や汗がにじむ。とりあえず俺は逃げるようにその場を後にした。




 その後俺は驚くべきことに下校する北嶋をストーキングして北嶋のアパートを突き止め、急に店の手伝いをしてお小遣いを稼ぎ、準備を整えて二十七日の夜を迎えていた。冷静に考えればおかしいはずなのにそこまでしてしまった自分のことが自分でも不思議であった。


 しかし準備を整えはしたものの、やはり本当に実行に移すのかと言われるとその気にはなれなかった。準備したのも本気でしようと思っていたというよりは、結論を先送りするため、どう決めても対応できるようにしていたというところがあった。将来何がしたいか分からないからとりあえず大学に行っておくようなものだ。


 近衛の理屈によれば俺は近衛の誘拐を行うことで全てを失う。全てを失った俺は何も持っていない近衛と同じ存在になる。


 だが、本当に全てを失ってもいいかと自問自答すると、やはり否だった。俺は幸運にもここまでの人生、そこまで辛い目にも遭わずに生きてくることが出来た。逆にそこまで楽しいと思うこともそんなになかったが、それでも生きていれば今後もそれなりに楽しいことはあるかもしれない。辛いこともあるかもしれないが、人生を投げ捨てるのはそういうことがあってからでも十分間に合う。


 そう考えるとやはり、人生を投げ捨てるのは惜しい。夕食を食べ終えた後、俺は自室から窓の外を見ながらぼんやりとそんなことを考えていた。


プルルルル


 すると、初期設定のままの音と共に俺のスマホに珍しく着信があった。ごく稀に親からかかってくるのを除けば、俺に電話をかけてくる人はいない。誰だろうと思って俺はスマホをとる。


 着信元は近衛だった。


 この前の二十八日発言。

 このタイミングでかかってきた電話。


 これはそういう電話ではないか。

 俺はそう思って出るのを逡巡した。


 電話に出ればいよいよ引き返すことが出来なくなるのではないか。ここで電話を無視してこのことはなかったことにすればほどほどの人生を送ることは出来るのではないか。

 そう思っていたはずなのに、気が付くと俺は電話をとってしまっていた。


「もしもし」


 自分でも分かるぐらい俺の声は強張っていた。


『もしもし、急に電話してすみません、今大丈夫でした?』


 一方の近衛は完全にいつも通りの声だった。

 それなのに俺の心臓はうるさいぐらいに脈打っている。


「大丈夫だけど、何だ?」

『用がなかったら電話してはダメですか?』


 リアルでこんなこというやつは初めてだ。俺が答えに窮していると、近衛は電話の向こうでくすりと笑う。


『すみません、ちょっと言ってみたくって。憧れませんか?』

「まあそれは分からなくもない」

『ちょっと学校がなくなって寂しくなっていたんです』

「寂しい?」

『はい、何やかんや学校で皆としゃべっていると気が紛れるんですが、一人になると色々と考えてしまうんですよ。やっぱり私って孤独なんだなって』

「……」


 これはまずい、と本能が警鐘を鳴らしていたが、俺はどうすることも出来なかった。このまま話を続けては引きずり込まれてしまう。危険だと分かっていても蟻地獄から抜け出せないように、俺は近衛の話に聞き入ってしまっていた。


『例えば東京の街を一人で歩いているというシチュエーションでも、その時の気分によって孤独度って変わると思うんですよ。田舎から出てきて右も左も分からないままの人だったら全くの孤独に感じると思うんですが、クリスマスやハロウィンの日に恋人との待ち合わせに向かう途中だったらどうでしょう? 孤独を感じないどころか、周囲の全てが自分を祝福してくれているようにすら感じるかもしれません。その違いって何か分かりますか?』


 聞いたらまずい聞いたらまずい聞いたらまずい、と思いつつもいつの間にか俺は聴き入っていて、返事もしてしまう。


「気の持ちようってことか?」

『そうです。もう少し言えば、自分と同じ気持ちの人が他にもいるってことだと思うんです。周りの人が自分と同じ気持ちだと思えば孤独じゃないし、皆自分とは違うって思えば孤独になる。そういうものじゃないですか?』

「ああ……そうだな」


 俺はそれしかしゃべっていないのに喉がカラカラになっていくのを感じた。気が付くと額にも汗がにじんでいる。今日はもうシャワーを浴びたというのに。


『あ、そうそう、東京と言えば前に東京に行ったとき……』


 そこから近衛の話題はとりとめのないものに流れていく。しかし俺には分かった、いや、分かってしまった、と言うべきか。

 これは近衛から発されているSOSなのだ。近衛は今自分が孤独だから助けて欲しいと俺に言っている。世界に誰も自分と同じ気持ちの人はいない。誰も自分のことを理解していない。だからあなたには私と同じところまで来て欲しい、と。


 そしてそれに気づいてしまった俺に近衛を見捨てるという選択肢は残されていなかった。近衛を救えるのは俺だけだ。

 そう考えるとこれはSOSではなく、俺を絡めとる鎖のようなものなのかもしれない。そして俺は半ば自らそれに絡まりに行ってしまった。


『……ごめんなさい、夜にこんなに長々と』

「そんなことないって。でも待っていてくれ。きっと何とかするから」

『本当ですか!?』


 その時の近衛は少女のように純真な喜びの声を上げた。まるで幼い子がクリスマスの朝に起きたら枕元にプレゼントが置いてあったときのように無邪気に。


 やはり敵わないな、と思う。そもそもこうなるように仕向けたのは近衛自身だというのに、そんな無邪気に喜ばれるなんて。そんな反応をされたら何でもしてあげたくなるではないか。例えそれが客観的に見ればどれだけ理解不能で破滅的なことであっても。


「ああ。だからせいぜい今日は早く寝ておいてくれ」

『分かりました。ではおやすみなさい』

「おやすみ」


 俺は電話を置いて溜め息をついた。

 まあ、やるしかないか。

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