第6章 Disappointing Continue
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「あ、起きた? おはよう、そして久し振り、姉さん」
「……………………」
目を覚ますと、そこには見慣れた顔があった。
どことなく幼さを残した顔つき。ボサボサの髪。そのどちら共に似合わない、力強い筋骨隆々の腕。お祭りの際に着るような法被を自己流に改造した、昔の破落戸のような格好。
無々篠葡萄。
刀鍛冶を営む、私の弟だった。
「…………なんで、あんたが、ここ、に……?」
「ご挨拶だなぁ。姉さんってばそういうところ、全然変わってないよね。他人の善意とか好意とかまったく信じないっていう、鉄みたいに冷たいところ。おまけに触れたら切れるときてる。相変わらず、日本刀みたいだよ」
ぼんやりとした頭で、周りを見渡してみる。
場所は、私が飛び降りたビルからそう離れてはいないであろう、廃ビルの中だった。照明器具もろくにない薄暗闇で、葡萄の顔すら、油断をすれば霞んで消えてしまいそうだ。
腕や脚は、動かない。どうやら固定されているようだが、いかがわしい行為に及ぶ為のものではなく、私に絶対安静を命じる為のものだ。包帯やギプスの感触が、麻痺していた手足に薄ぼんやりと伝わってきた。
「……これ」
「ああ、勝手だとは思ったけど、一応治療させてもらったよ。姉さんの自殺失敗記録は、これでまた一つ更新された訳だ。嬉しい……訳がないか」
「当然、でしょ……」
私は死のうとしていたのに。
霧罪といい葡萄といい、どうしてこうも邪魔をされるのだろう。
私が死んだって、悲しむ必要なんかないのに。
私なんて、死んだほうが好都合なのに。
「これで、175回目、よ……。まったく…………余計な、ことを……」
『な、な、ななななにが余計なことですかこんちくしょ――――――――――――――――っ!!』
「……………………」
ああ、そうだ。
この喧しいのをすっかり忘れていた。
「あ、お帰り霧罪ちゃん。氷雨も血里も、買い出しご苦労様」
葡萄が空中でキーキー怒鳴る霧罪に向かって声をかけ、次いでその後ろに控えていた二人の人影に向かって労いの言葉を投げかけた。流石は私と同じ、殺人家系《無々篠》の出身、この弟もこの弟でしっかりと、幽霊である霧罪のことを視認できるようだが、後ろの2人――恐らく、例の『変な医者』と『変な弟子』――の方はそうもいかないらしく、揃ってきょとんとした表情をしている。
「ああ、姉さんも知ってるだろうけど、一応紹介しておくよ。手前の白衣の男が、闇医者の高遠氷雨。僕のお得意様ね。んでもって、その後ろのちっこいのが弟子の刃渡血里。ほら、挨拶しなよ、血里」
「ど、どうも…………初めまして、お姉さん……」
「…………どうも」
白地に脅えながら挨拶をしてきたのは、葡萄の紹介通り、なんだか全体的に小柄な少女だった。
いや、背丈が特別に低いのではない。隣にいる闇医者が背高のっぽなので錯覚しそうにはなるが、しかし、立端だけで言えば平均をやや下回る程度だろう。だが、彼女はそういった意味ではなく、もっと全体的に小さいのだ。
腕も足も首も胴も、棒切れのように細い。
生きる上で必要な骨や筋肉、神経、血管、内臓が揃っているのか、不安になってくるくらいだ。
この子が、葡萄の弟子。
刃渡血里。
…………名前負け、という言葉がこの上なく相応しい少女だった。
全然物騒な感じがしない。名前だけなら私たちよりよっぽど殺人鬼なのに。
そして。
「…………あなたの方は、お久し振りね。高遠氷雨。私の身体を弄ったのも、あなたかしら?」
「弄ったトは人聞きガ悪いですネ、治療シた、と言ッてくださイよ。李さン」
相も変わらぬイライラする口調で、白衣を着込んだ闇医者――――高遠氷雨は悪びれることなくそう言った。いや、彼が悪びれる必要は、常識的に考えればないのだけど、しかしこと私に関してはそうも言えないのだ。全身全霊全力投球で悪びれて欲しい。普通はここで、治してくれてありがとう、などと感謝する場面だろうが、私の場合、よくも治してくれやがったなこの野郎、としか思わない。
思うべきでは、ない。
こいつの所為で、また私の犠牲者は増えるのだから。
「……っていうか、なんであなたたちがここにいるのよ、葡萄。偶然にしては、出来過ぎだと思うのだけれど」
「そんなの、僕に言わないでよ。この街に来ていたのは、本当に単なる偶然さ。ああ、偶然っていうか、血里が今日発売のライトノベルの新刊を欲しがっていて、で、どうせなら近くにアニメショップがあるし――――ってことで来たんだけど」
「……氷雨は?」
「本屋で欲しい本があるからって、付いてきた」
「…………あ、そ」
まったく、大した偶然模様だ。
これがあと1日早ければ、或いは遅ければ、私は死ねたのに。
『李ちゃん!』
と。
憂鬱に顔を歪ませていると、突然、宙に浮いて不機嫌そうな表情をしていた霧罪が、私に抱きついてきた。勿論、彼女の身体は私に触れることが叶わない霊体なので、抱きついたと言っても、形の上でだけだが。
透き通った涙で頬を濡らしながら。
色素の薄い顔を、薄紅色に染めて。
泣きながら、私に飛びついてきた。
「ちょ、霧罪?」
『李ちゃん! 李ちゃん! 李ちゃん李ちゃん李ちゃん李ちゃん李ちゃん李ちゃん!』
触れられない癖に猛烈な勢いで頬擦りをしてくる霧罪。
動けない私の見える景色は、霧罪が顔を動かす度に薄くなったり鮮明になったりで、段々と気持ち悪くさえなってきた。10代の頃はなにをやっても平気だったのに、最近になって矢鱈と色々なものに酔うようになってきたような気がする。メリーゴーランドとかでももうダメだ。
そんな年齢でもないんだけどなぁ。
まだ20代前半なんだけど……。
「霧罪……ちょ、もうそろそろ止まって……」
『バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ! なに死のうとしてんですか李ちゃんの大バカ野郎っ! たまたま近くにいた葡萄さんをわたしが呼んで来れなかったら、どうなってたと思ってるんですかっ!』
ようやく頬擦りを中止して、私の顔を正面から見据えながら、霧罪はそう叫んだ。
氷雨と血里は、霧罪が見えない為か不思議そうな顔でこちらを見ているが、葡萄だけは訳知り顔で2人を私たちから引き離していた。ひそひそとなにやら話しているところを見ると、どうやら霧罪の事情を説明しているようだ。
なら、私たちも自分たちの話に集中しよう。
ギャラリーがいないなら、その分やりやすい。
「どうなってたって…………無事、目論見通り、私が死ねたでしょうね。あなたたちは、それを勝手に邪魔しただけじゃない。言っておくけど、感謝なんかしていないわよ」
『なんですかそれっ! なんでそんな簡単に、死のうなんてしちゃうんですかっ! 訳分かんないですよっ!』
「私が死ねば、これから私が殺したであろう何十何百何千何万という人間の命が救える――――簡単なんかじゃないわよ。それなりに考慮した、それなりに熟慮はしたわ。その結果として、私は死を選んだのよ? それを、あなたたちに邪魔される謂れはないわ。それともなに? 霧罪。あなたは人間に死んで欲しい訳?」
『ど、どういう意味ですかそれは。答えによっちゃ、いくらわたしでも怒りますよ』
「こっちの台詞よ。いえ、もう既にかなり怒っているけどね。意味? 額面通りよ。あなたはあれ? 私を殺人兵器かなにかとして利用したいの? 生きているだけで人を殺す私を生かして、人を無差別無慈悲無尽蔵に殺したいのかって、そう訊いてんのよ」
『そんな訳がないでしょう! なんでわたしがそんなこと考えてるとか思うんですかっ! 思い付きすらしませんよ!』
「じゃあ、なんで私を助けたのよっ! なんで私を死なせてくれないのよっ! 私はもう、これ以上人なんか殺したくないっ! 私の所為で死んでいく人を、これ以上増やしたくなんかないっ! だから死なせてよっ! 一思いに見捨ててよっ! 助けようとなんてしないでよっ!」
『嫌ですっ! わたしは、李ちゃんに死んで欲しくなんかないんですっ!』
「なら、他の人は死んでもいいって訳!? 私が生きているなら、他の人が死んだって構わないっていうの!? そんなの、そんなのただのエゴイズムじゃないっ! そんなので助けてもらったって、嬉しくなんかないっ! 私は、他人の命を犠牲にしての人生なんて欲しくないっ!」
『わ、わたしだって! 人が死ぬのなんて、気分が悪いだけですっ! さっきも言ったでしょうっ!? 人が死んでもいいだなんて、少しも思いませんよっ!』
「だったら! だったら、なんで私なんか助けたのよっ! 私が生きているだけで人が死ぬのよっ!? それなのになんで――――っ!」
『そんなの! そんなの、友達だからに決まっているでしょうっ!!』
「…………っ!」
『これも言いましたよっ!? 人が死ぬのは気分が悪いって! 況して、それが友達だったりしたら尚更だって! わたし、ちゃんと言いましたよっ! 聞いていたでしょうっ!? 李ちゃん!』
「…………だったら」
叫ぶ。
叫ぶ。
力の限り、叫び散らす。
「だったら、尚更私のことを死なせてよっ! 友達なんでしょうっ!? 霧罪は私のこと、友達だと思ってくれているんでしょうっ!? だったら私を死なせてよっ! 生きているのがもう嫌なのっ! これ以上人を殺すのは嫌なのっ! 耐え切れないのよっ! だから――――だから、私を死なせてよっ! 友達なら、私が嫌なことをしないでよっ! 私が死にたいと思ってるんだからいいじゃないっ! 関係のないあなたなんかに邪魔される筋合いなんかないっ!!」
『っ、この…………!!』
「なによっ!!」
睨み合う二人。
私も霧罪も、お互い一歩も譲らない。
そんな膠着状態が、ほんの数秒だけ続いた。