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ガレノス商会の事件から数日後。



我が家のリビングには、香ばしいハーブティーの香りと、どこか穏やかな緊張感が漂っていた。



「さあネヴィスさん、お粥ができたわよ! あ、まだ熱いから私がフーフーしてあげるね」


「い、いや、アスタ。そこまでしてもらうわけには――」


「ダメよ、病人は大人しく甘えるものよ!」



ベッドの上に身を起こしたネヴィスさんは、顔をわずかに赤くしながら、差し出されたスプーンを居心地悪そうに見つめている。



あんなにクールで鋭かった藍色の瞳が、今は完全に借りてきた猫のようだった。



あの事件でボロボロになってしまったネヴィスさん。



傷が癒えるまでは、妹のルミナと一緒に我が家へ居候してもらい、私が我が家代表として、責任を持ってつきっきりで看病することになったのだ。



……そして数週間後。



ネヴィスさんの怪我はすっかり完治し、二人は一度故郷に帰ったのだけれど――なぜか、毎日のように我が家に遊びに来るようになっていた。



なんでもネヴィスさんは、今回の事件をネタにして、同僚に仕事を押し付けているらしい。元々業務量が偏って多かったらしいけれど、大丈夫なのかしら。



それだけでなく、最近のネヴィスさんは、なんだか私に対しても様子がおかしいのだ。




**




「よし、お天気もいいし、ちょっと森の入り口まで新しいハーブを採りに行ってくるわね!」



ある朝、私がカゴを手に玄関の扉を開けようとした、その瞬間。



背後からすっと影が滑り込んできて、私のカゴをひょいと取り上げた。



「待て、アスタ。一人で行くつもりか?」


「え? ええ、いつものことだし、すぐそこよ?」


「だめだ。あそこの森は昨日雨が降って足場が悪くなってる。君が怪我でもしたらどうする。俺もついていく」



ネヴィスさんは大真面目な顔で私の前に立ちはだかる。



それはまるで、彼がこれまでルミナに向けていた過保護な態度そのものだった。



「いや、本当にすぐそこだし、よく歩いている道だから……」


「……俺がついていきたいんだ。君の安全を確認させてくれ」


「ええっ!? ハーブ摘むだけなのに!?」



さらに、別の日。



私がキッチンでスープを作ろうと、包丁を手にした時のこと。



「あぁ、アスタ。包丁は俺が持つ」


「へ!? ス、スープの野菜を切るだけよ!?」


「危険だ。万が一、指先を傷つけたらどうする。それに……」



ネヴィスさんは私の手から滑らかに包丁を受けると、トントントン、と見事なリズムで野菜を刻み始めた。



彼は元々、故郷の国でルミナのためにずっと料理をしてきたからか、手際が良い。



「……たまには、我が国の味付けも良いだろう? だから、座って待っていてくれ」


「えっ、あ、ありがとう……?」



かつてのクールな一匹狼はどこへやら、今のネヴィスさんは、しつこいくらいに私に構ってくる。



そんな私たちのやり取りを、リビングのソファから眺めていたお父さんとお母さん、そして弟のアルベールは、完全に遠い目をしていた。



「なぁレティ。ネヴィス君、なんだかアスタのこと、過剰に心配しすぎじゃないかい?」


「あらあら、本当ねぇ。でもあなた、ネヴィス君のあの視線と態度……若い時のあなたにそっくりよ?」


「うわぁ……。ネヴィスさん、お姉ちゃんがちょっと段差でつまずいただけで世界の終わりみたいな顔して飛んでくるんだけど。正直、過保護すぎてちょっと引くかも……」



ネヴィスさんにとって、私はそんなに頼りなく見えているのだろうか。

両親のおかげで、一般的な女の子よりは丈夫なつもりなんだけどな。



家族一同から苦笑され、弟からも生暖かい目を向けられているというのに、当のネヴィスさんだけは全く気にする様子もない。



至極真面目な顔で、私へのちょっかいを崩そうとしないのだった。




**




その日の夕暮れ時。



庭のベンチで、私が採ってきたハーブの仕分けをしていると、ルミナがトコトコと歩み寄ってきた。



「アスタ、お茶が入ったよ! クッキーも焼いたの!」


「ありがとう、ルミナ!」



ルミナは最近、母とのお菓子作りに勤しんでいる。



ルミナからクッキーを受け取ろうとした瞬間、すかさず横からネヴィスさんがお皿を覗き込んできた。



「待て、ルミナ。焼き加減は大丈夫か? まずは俺が一枚食べて確認を――」


「もー! お兄ちゃん、私が焼いたクッキーにケチつけないでよー! レティさんにも味見してもらったもん!」



ルミナが怒ったように両手を腰に当て、ぷくーっと頬を膨らませた。



ネヴィスさんは「あ、いや……ルミナは料理はまだ初心者だろう? まだ慣れていないと思って……」と、バツが悪そうに視線を泳がせる。



そんな兄の姿をじーっと見上げていたルミナは、ふふっ、と悪戯っぽく笑みをこぼした。



「もー、お兄ちゃん。アスタのこと、だーい好きなんだねっ?」


「っ!?!?!?!?!?」



その瞬間、ネヴィスさんの顔が、まるで完熟したトマトのように真っ赤に染まった。



「アスタの額に加護のおまじないもつけてたでしょ?」



ルミナは何やらコソコソと付け足した。



ネヴィスさんはさらに藍色の瞳を限界まで見開き、口をパクパクと金魚のように開閉させている。



「な、ななな、何を言っているんだルミナ! 俺は、ただ、命の恩人としての、恩義というか、その……!」


「ウフフ、お兄ちゃん顔真っ赤ー!」


「ル、ルミナ……っ!!」



慌てふためき、今度こそクールさの欠片もなく赤面するネヴィスさんを見て、私もなんだか顔が熱くなった。



「ネヴィスさん、いつも気にかけてくれてありがとう。でも、本当に心配しすぎよ?」



私が微笑みかけると、彼は耳まで真っ赤にしたまま、片手で顔を覆って「……君というやつは……」と小さく呻いた。



そんな、少し恥ずかしいやり取りを終えて、一旦家に戻ろうとした、その時。



ネヴィスさんが、どこか心に決めたような真っ直ぐな瞳で、そっと私の手首を掴んだ。



「……アスタ。今度、どこかに出かけてみないか? ……二人で」


「!?」



不意打ちの言葉に、今度は私の心臓がうるさいくらいに大きく跳ね上がった。



至近距離で見つめてくる、吸い込まれそうなほど綺麗な藍色の瞳。

端正な顔立ちが少しだけ真剣に強張っているのを見て、私の頭は一瞬で真っ白になってしまう。



初めてできた、大切な親友のルミナ。



そして、初めての、甘酸っぱい予感。



なんだか私の周りはますます色鮮やかに、賑やかになりそうで――

大切な人たちと過ごすこれからの日々に、私は期待と嬉しさで胸をいっぱいに膨らませた。



どんな色の瞳だって、幸せを願う気持ちは、きっと同じなのだから。





お読みいただきありがとうございました。

今回は魚人との恋?でした。

人魚ではなく魚の特徴がある人間(魚人)ですので、みんな陸で暮らしている設定です。

アスタの母は、昔、ネヴィスとルミナの両親と面識があったという裏話もあるのですが、そこまで深くは書けませんでした…


色々ツッコミどころはあるかと思いますが、温かい目で見ていただけると幸いです。


また次の作品も連載開始しました。今度のお相手はランタンです。

宜しければお立ち寄り下さいませ。

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