エピローグ 空
そして1ヶ月後。
真一と燕は無事帰国した。
未だ痛々しい傷痕の残る燕の胸の奥では心臓が規則正しく脈動している。
出迎えに来た啓二に燕は飛びついて、満面の笑みで一言。
「ただいま!ただいまただいま!!お兄ちゃん!!」
真一はそれを眺めながら燕を窘める。
「手術が成功したからと言って無茶するんじゃあない。全く…」
それでもやはり嬉しいものは嬉しい。
真一はスーツケースを引きずりながら啓二に抱きついた燕の肩にそっと手をやる。
自然と涙が込み上げて来るが⸺真一はそれを拭うと一言。
「帰ろう。まずは燕、お前の編入手続きだ。学校に通えるぞ。」
兄妹が連れ立って歩いてゆく。
その背中には自由の翼が生えているかのようであった。
一方、愛美のアパート前には引越し業者のトラックが停まっていた。
「あ、そのテーブル…母からの贈り物なので…丁寧にお願いします。」
愛美が指示を出す。
そんな愛美を虎太郎は不安げに見ていたが、やがて引き止めて一言。
「あとは俺が。もう一人の身体じゃないんだから…ね?」
そう言われて愛美ははにかむ。
愛美のお腹の中には小さな命が宿っていた。
虎太郎は夜勤明けの眠たい目をこすりながら引越し業者に指示を出す。
夜に強いということで手に入れた職は、夜間警備の仕事。決して楽ではないが稼ぎはいい。
愛美はガランとした居室を見渡す。
あの小さなシャワールームで、そしてベッドのあった場所で何回愛を重ねただろう。
思い出がたくさん詰まった小さなワンルームに愛美は小さく頭を下げて呟いた。
「今までありがとう…そしてさよなら…」
新居となるマンションに今までの家具と、新しいベビー用品が運ばれていく。
愛美はまだ小さな命を愛おしそうにさする。
快晴の8月。虫も、花々も、そして鳥たちも自らの営みを全うしてゆく。
虎太郎が愛美に尋ねる。
「名前、決まった?」
愛美はしばし逡巡して口を開く。
「男の子でも女の子でも…空。この子がどこまでも何処までも自分の羽で飛んでいけるように…」
それを聞いた虎太郎は愛美の頭をくしゃりと撫でると、
「部屋に入ろう。妊婦さんに日差しは大敵だ。」
と微笑んだ。
確証など何もない。
もしかしたら燕は再発するかもしれない。
空は産まれてくるかもわからない。
それでも⸺希望だけは捨てまいとするのが人間なのだと。
虎太郎は燦々と降り注ぐ陽光を見つめながら思っていた。
fin
皆様。ここまでお付き合いくださり誠にありがとうございました。
不眠症は私も悩まされています。SSRIによる悪夢。ステロイドによる過覚醒。そんな中で思いついた作品です。
稚拙ではありますがお読みいただけたことに心よりの感謝を込めて。
2026/07/02 杜 妃湖




