30.『本条都九子』という少女 後編
「私はユキちゃんを幸せに出来るのはエド様だけだと思うんだけど、『わたし』はどう思う?」
「馬鹿野郎! 結局オルフェリア様がサイコーなんだよ!!」
『わたし』は条件反射のように、そう叫んだ。
ちなみに、ユキちゃんとは15年の時を超えてもなお色褪せぬ良作女性向け恋愛趣味レーションゲーム『ロスト・ミレニアム』における主人公のデフォルト名で、オルフェリア様は隠しキャラのユニコーン、エド様ことエドリーンはゲームのパッケージの真ん中にユキちゃんと一対で書かれている王子様である。
うーん、と私はうなる。
「でもさぁ。オルフェリア様、性格は申し分ないけど結局生活力ないじゃん? 狩りとかできるけど、そのあとよく考えればそのあと獲物をサバくのはユキちゃんじゃん? 私は意地でやり方覚えたけどさぁ、かわゆくて可憐なユキちゃんにはそんなことさせられません!」
「黙れモンペが!! ユキちゃんは確かにかわゆくて可憐だけど強い子だ! ユキちゃんなら出来る! 『わたし』に出来たんだからユキちゃんにも出来る!」
「はーい。そういう、『わたしに出来るんだから他人にも出来る』的な思考はよくないと思いまーす。『私がコウちゃんが大好きなんだからアンタもコウちゃんが大好きでしょ』的な態度取ってた誰かさんと一緒だと思いまーす」
「なんだと!? あんなクソ毒母と一緒にすんな!! つーかなんでエドリーン!? エドリーンと結ばれたって幸せになれるとは限らないでしょ!? だってエド様王子様だよ!? まともな教育も受けてない異世界のぽっとでの女が後宮で妃になって過ごすなんて、いじめてくれって言ってるようなもんじゃん!?」
「あー。それもそっかぁ。いやでも、オルフェリア様が1番ユキちゃんを幸せにするていうのはないわ。オルフェリア様はただただ『わたし』が好きなキャラってだけでしょ? 好きだからって他人に理想を押し付けるのはいくないよ?」
「ア、ハイ」
素直に認めてうなずく『わたし』。
うんうん、それでいいんだよ、と強くうなずく私。
「かといってジョージ様もなぁ。ちょっと破天荒すぎるっていうか。シメるところはシメててまさしく『王子!』って感じだったけど、あれはモテる。女関係のトラブル持ち込んでくるとか最悪」
「たしかに……浮気とかはしなさそうだけど、トラブルが向こうからやってくるんなら防ぎようがないし。うじゃうじゃ湧いて出る羽虫を蹴散らし続けるのもしんどいし」
「だからといって、フレリーくんじゃダメなんだ。可愛いんだけど、ショタにはユキちゃんを任せられない」
「ああ、わかる」
「いくら魔力が強いといっても、魔法が使えなくなるタイミングでなにか仕掛けられたら躱せないし。ああいうショタキャラの『おねえさんはぼくがまもる!』ってセリフは、たしかにグッと来るものはあるんだけど、背伸びしてそんなこと言ってても実際に腕力アップするわけでもないし……」
「わかる」
「それになんやかんやユキちゃんて主人公補正入ってるからトラブルホイホイだし、ショタを危険にさらすのはちょっと」
「めっちゃわかる」
そう。分かる。分かるはずだ。
ねえ──『わたし』。いい加減、分かっているんでしょう?
君は『わたし』なんだから、私が言いたいことなんて。
「ねえ。こういう、誰かの幸せを願ったり、誰かのことを考えて明るい気持ちになる時間こそが、『愛』なんだよ」
ハッと、息をのむように私を見る『わたし』。私はそれを、過去のアルバムを眺めるように眺めている。
私は、知っている。
目の前にいるこの子が、欲しくて欲しくてたまらなかったもの正体を。
この子はただ、誰かに愛されたかっただけなんだ。
誰かに愛されたくて、必要とされたくて、あなたじゃなくちゃダメだって言われたかった。けれど現実的に彼女は愛されなくて、それでも愛がほしくて、愛を求めて地団太を踏んでいた。テストでいい点を取ってもいい子でお手伝いをしてもご褒美の飴玉を与えられないから、駄々をこねて拗ねていた。それは小さいときの、我が儘だって怒られて泣いていた私そのもので。
だから私が、君に真実を教えてあげよう。
君が見ないようにしている、残酷な現実を教えてあげよう。
「君は、家族には愛されない」
そのとき、私は、『わたし』が、たしかに傷つく瞬間を見た。
雨の日に置き去りにされた子犬みたいに、不安げに瞳が揺れるのを。
……それでも。
かまうものか。
「だって、あいつら、私にちょっとも興味ないもん。誰かの幸せを願ったり、誰かのことを考えて明るい気持ちになる時間が愛なんだったら、興味のないものを誰が愛する? 博愛主義の偽善者が同情して恩着せがましく神の愛を語ってくれるかもしんないけど、そんなの、君が欲しかった愛じゃないでしょ?」
「そん、なの……」
『わたし』は目に見えて動揺している。図星を指されて、二の句が継げないでいる。見れば分かるから、『わたし』は逆に冷静でいられる。やがて泳いでいた視線が下を向いて、観念したように『わたし』は言った。
「そんなの、知ってる。お母さんもコウにいも、お父さんも、わたしのこと、いてもいなくても同じものみたいに思ってるって。でも……」
「ううん、知らない。知らないっていうか、見ないふりをしてる。あいつらは愛は有限だと思ってる。一番大事なもの以外に捧げたら価値が減るものだと思ってる。だから1番以外には目もくれない。母さんは兄貴が、兄貴は母さんが、父さんは自分の母親が1番だから、君があいつらの視界に入ることはないんだよ」
「でも……だけど!」
「そう、だから──もうやめな。あいつらを愛するのを」
言いながら、私の目からも一筋の涙がこぼれたのが分かった。自らの心臓に自らの手でナイフを突きつけて痛めつけるなんて、笑っちゃうくらいの自傷行為だった。いつから私はマゾヒストになったんだろうなんて思って、失笑する。滑稽で、愚かで、まるで陳腐な舞台の悲劇のヒロインみたい。
泣き笑いした私の姿を見て、『わたし』からもまた、涙がこぼれる。ぽろぽろ、ぽろぽろ、なんだか宝石みたいだなって私は思う。
「つらいよね。かなしいよね。ずっと、愛されたかったんだもんね。これをしたらお母さんは喜んでくれるかも、お母さんが笑顔になってくれるかもって、考えてたしたことを、全部否定されるのは、何度されても本当にしんどいよ。ああ、でも、あれだけは逆に笑っちゃったよね、覚えてる? そろばん塾の日曜試験の終わりに花屋に寄って、母の日のカーネーション買ってから帰ったら、兄貴と二人だけで遊園地に遊びに行ってたの」
「はは……たしかに。あれは、わらえた。わらえて、泣けた」
「ほんとにそうだね! 母の日に子ども孝行する親もどうかと思うけど、私だってあなたの子どもじゃないのかー! って、とにかく笑えた。いっぱい笑って、いっぱい泣いた。そしたら、すごぉくスッキリした覚えがあるよ。思えば私が家族に諦め始めたのって、あの日が境だったかもね」
「うん……」
「だいじょうぶだよ。君が頑張ってたこと、私は知ってる。頑張ってきたこと全部、結果は返ってこなかったけど、なかったことにはならないよ。私だけは、君を褒めてあげる。いいこいいこしてあげる」
「……うん……」
「抱きしめて、ぎゅうってして、もういやだって思うまで、ハゲるまで頭なでてあげるからさ」
「……っ」
「――おいで」
私が両手を広げると、『わたし』がすがるように胸に飛び込んできた。
ぎゅう、と力いっぱい抱きしめる。
ずっと、誰かにそうしてほしかったから、私がこの子を、抱きしめてあげるんだ。
「……ふふっ」
ふと、と私の中の『わたし』が、笑う気配。
「あったかい……」
そうして彼女は溶けるように、私の中に消えていった。
満ち足りた、しあわせそうな笑顔だった。
彼女が消えていくのと同時に、あたたかい気持ちが、私の中にすうっと入り込んでくる。
──ぱちんっ。
その瞬間、なにかの映像がはじけた。
(ん?)
家の近所の、もっといえばいま通っている高校の真裏にある、古い神社。
泣いている子供の私が、ご神木と呼ばれる大樹の幹でうずくまっている。
誰かの声。やさしい、やさしい、子守歌──。
(んん?)
なんだいまの。
書いててつらかった…泣きそうになっていた作者です。
暗い話をお読みいただきありがとうございました。
もうすぐ第1部「グリモアツクール編」が終わります。毎日更新はもう難しそうなのですが、この先もお付き合いいただけますと幸いです。