27.原初の洞窟
ということで都九子さん、ただいま登山中でございます!
……またかよ。
「ぜぇぜぇ……この1ヶ月ちょっとで体力付いた……と思ったけどやっぱちげーや……ぜぇぜぇ」
『ツッコ、むりだったらわたしの背にのるのですよ。ツッコがつらそうなのは、わたしもつらい』
「うう……! ジュエルぅ!」
「ツッコ、大丈夫ですか。後少しですが、むりはしないで」
「うう! センさんんんん!」
朝から出発して歩きに歩き、かれこれ4時間。向こうの国とこちらの国の境界になっている川に沿って、上へ上へと坂道を登っている。
ずーっと坂が続いているせいで、この地獄は永遠に終わらないのではないかと思えるほどだ。息も絶え絶えになりつつ、「この苦しみはいつ終わるのか」と禅問答のような質問をセンさんにしたところ、「世界のはじまりまでです」と、いっそ哲学じみた詩的な答えが返ってきた。曰く、この国も隣の国も全体的に上から下になだらかな坂になっていて、その始点にあるのが、『原初の滝』と呼ばれる大きな滝なのだとか。我々が目指す『原初の洞窟』はその滝のすぐ近くにあるという。だから、我々が目指すのは世界のはじまりであるのだと。
──原初の洞窟に行きましょう。
と、昨日、センさんは言った。
真摯な瞳だった。真剣で、ほんの少しの心配と、決意の籠った──
『本当は、叶うなら、あなたを連れて行きたくない。けれど、魔導書の闇と対峙する必要があるのなら、決して避けては通れない道なのです。それに……』
『それに?』
『いまのあなたなら、大丈夫な気がします』
『いまの私? ですか?』
『ええ……ツッコ、いま、すごくスッキリした顔をしているから』
あなたが悩んでいたことに気付かないなんて、師匠失格ですね……と、あのあとなぜか落ち込んでしまったセンさんをあの手この手で慰めるのには骨が折れたのだけど。
だが、しかし。
しかしである。
本気でこの坂はキツい。
センさんが『連れて行きたくない』って言ってたのの真意って、『行く途中で体力がないテメェじゃ力尽きるだろ』って意味だったのかもしれない。あり得る。途中で何度も休憩をはさませてもらっているが、もうむし、まじ、しんどい。こんなセリフ、推しキャラを想って涙する以外に言う日がくるとは思わなかった。
「その、……ぜぇぜぇ……原初の洞窟っていうのは、ぜぇぜぇ、あとどのくらいですか……」
「ここからあと数刻ほどでしょうか。本当にあとすこしですよ、ツッコ」
「う……がんばります……」
『ツッコ。がんばって。ぐりもあつかいの、げんしょのどうくつの修行は、きびしいとききます。ツッコがいなくなったら、わたしはかなしい』
「あ、ありがと、ジュエル……でも、ぜぇぜぇ、ジュエルまで、付いてくること、なかったのに……おうちで、留守番でも、よかったんだよ……?」
『どうせひまだったので。それに』
「それに?」
『ひまだったので』
そんなにひまだったんかーい! というツッコミをする余力は、いまの私にはないのであった。
その代わりに、ははは~と乾いた笑い声を浮かべたときである。
「──ツッコ、聞こえますか」
センさんが、耳を澄ますように指示をした。
たしかに、大きな水音が聞こえる。
まさしく、滝の音だ。上から下へ、濁流が塊となって落下している音。──どこかなつかしい、いのちの、うぶごえの音。
その音が聞こえ始めてから、私の足は嘘のように、何かに突き動かされるように動き始めた。
決して足の痛みが取れたわけでも、疲れが癒されたわけでもない。だが、この音の正体を確かめなければ、この音の根源をこの目に焼き付けなければという思いが、不思議なことに後から後から湧いてきた。
黙々と右足と左足を交互に前に動かしていると、徐々に水音が大きくなってくる。まるで巨大な化け物の心臓の音のようだった。踏みしめる大地そのものが、それの腹の中でひびく鼓動のようだった。
そのとき、横目に見えていた川と森が終わり、視界が開けた。
「ツッコ。あれが、原初の滝です」
──大きな、本当に大きな、滝だった。
地球における世界三大瀑布は、イグアスの滝、ナイアガラの滝、ヴィクトリアの滝とされる。教科書やクイズ番組でしか見たことがないが、この滝はたぶん、それらに匹敵するくらいの大きさと神々しさだろう。この滝から世界が始まったと言われても、今なら信じることができた。
しばし滝の偉大さと荘厳さに圧倒されていた私だったが、センさんに促され、また一歩、また一歩と足を動かし始める。歩きながら、私は命の流れのことを考える。この滝から流れ落ちた水は、一体どこへ行くのだろう。原初の母のぬくもりから離れた命は、いったいどこへ流れていき、どこで朽ち果てるのだろう。私はどこへ行くのだろう。
「あそこです」
洞窟の、入り口が見えた。
入り口まで近づくと、ひんやりと冷たい。この先には死が待っているといわれても、納得してしまいそうな冷たさだった。
センさんは自分の荷物のなかから、ランタンを出してきた。マッチで火を灯したあと、私に向かって差し出す。
「ツッコ。ここから先は、ひとりで行かなくてはなりません。魔導書は、自分を映す鏡にも似たもの。誰かと一緒では、誰かに助けてもらっては、その真の力を発揮したとは言えない。それは、分かりますか」
「……うん。なんとなく、わかります」
「そうですか……では、この先に、誰が待っているかは?」
「うん」
私は、深く頷いた。
センさんの手からランタンを受け取り、そして、
「大丈夫だよ、センさん」
笑った。
「現実的に、話せば分かるやつだからさ」
私は洞窟の中に入っていく。
中は予想通り、とても暗くて寒かった。
入り口の肌寒さとは比べ物にならないほどの孤独だった。
ここは、原初の滝の中──岩場の中にあたる場所らしい。
だからここが、正真正銘、この世界のはじまったところ。だから私も、ここから、始まらなくてはならないということ。
一歩一歩、進んでいく。
彼女は、少し奥まった場所にある、踊り場のような空間で待っていた。肩口までの黒い髪、世界をつまんなそうに見下している傲慢なまなざし。胸が他人よりちょっと大きいが特徴といえばそれだけの、どこにでもいる平凡な小娘。
「──待ってたよ」
古来より、魔法使いの修行の定番といえば相場は決まっている。
つまり、
「わたし」
自分自身との、対話である。




