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IFルート第5話:雇われ社長の皇帝と「神聖帝国ホールディングス」


**IFルート第5話:雇われ社長の皇帝と「神聖帝国ホールディングス」**


 神聖帝国の買収劇から、一年が経った。

 かつて血統と身分、無意味な面目と権力闘争に明け暮れていた「神聖帝国」の姿は、もはや欧州のどこにも存在しなかった。

 旧帝都――現在の『神聖帝国ホールディングス本社』。

 豪華絢爛だった宮殿の大玉座の間は、壁一面に欧州の大地図と、刻一刻と変わる交易レートを記した巨大な掲示板が並ぶ、経営執務室へと改装されていた。

「CEO、今期の第三期決算が出ました」

 仕立ての良い黒の上衣を隙なく着こなした副社長――かつての副官マルクが、分厚い決算書類をデスクに置いた。

「北方海運部門の利益は、前年比で二割増。さらに旧マルセル公国領の治安維持費は、地元民を警備員として雇った結果、四割削減できました。全体で、予定利益を大きく上回っています」

「いい傾向だ」

 広い机の革張りの椅子に深く腰かけ、書類に次々とサインを入れていく青年、アラン・デュ・ボスク。

 泥の中から這い上がった傭兵は、いまや欧州の経済を表からも裏からも握る、巨大企業国家の最高経営責任者となっていた。

「血筋だけの貴族の天下りポストを廃止し、成果主義に切り替えた効果が出ているな。……ところで、我が社の代表取締役社長のご様子は?」

「はは、相変わらずお元気に、現場を飛び回っておられますよ」

 マルクが愉快そうに笑った。


 同じ頃、本社の広い庭園。

 豪奢な冠を脱ぎ捨て、胸に『代表取締役社長』の名札を付けた老皇帝が、他国の出資者や大商人の一行を前に、汗を拭いながら身振り手振りで説明していた。

「ご覧ください! こちらが我が社自慢の最新型物流倉庫でございます! 神聖帝国ホールディングスとご契約いただければ、全欧州どこへでも、安全確実に、保険付きでお荷物をお届けいたしますぞ!」

「おお、これは素晴らしい! さすがは皇帝陛下、見事なご説明だ! ぜひ契約させていただこう!」

「ありがとうございます! 今後とも、我が社を何卒よろしくお願いいたします!」

 深々と頭を下げ、契約書を手に嬉しそうに微笑む老皇帝。

 かつて玉座で冷や汗を流し、大貴族の顔色をうかがいながら破産におびえていた男は、いまや全欧州で最も有能で親しみやすい、看板の営業社長として生き生きと働いていた。

 商談を終えて汗を拭きながらアランの執務室に入ってきた老皇帝は、疲れた顔ながらも満足げに、長椅子へ腰を下ろした。

「ふう……今日も南方の港町の大商人から、大口の輸送契約を取ってきたぞ、アランCEO」

「お疲れ様です、社長。見事な営業手腕です。今月の賞与に、成果給を上乗せしておきましょう」

 アランが差し出した温かい紅茶を一口含み、老皇帝は深々とため息をついた。

「昔は毎日、暗殺の恐怖と重臣どもの愚痴、底をつく国庫の帳簿に、胃を痛めておったものだ。それに比べれば、品物を売り込んで客に感謝され、働きに応じて給金をもらえる今の暮らしは……実に健康的で、素晴らしい」

「お気に召したなら何よりです。権力は非効率な負債ですが、責任と対価が明確な『仕事』なら、人を成長させますから」

「はっはっは! 皇帝を従業員として再教育した男の言うことは、違うな!」

 老皇帝は愉快そうに笑い声を上げた。


 かつては戦争が起これば、何万人もの農民が徴兵され、畑は荒らされ、膨大な命と財産が理不尽に失われた。

 だが、アランが国家を買い取って企業とした結果、世界は劇的に変わった。

 戦争を仕掛けようとする諸侯がいれば、アランは軍を送るまでもなく、その諸侯への融資を止め、資産を凍結した。

 資金も兵糧も調達できなくなった諸侯は、戦う前に自滅し、失脚していった。

『戦争は、最も利益率が低く、リスクの高い事業である』

 アランが掲げたこの単純な企業理念によって、欧州から無駄な戦争は一掃されたのだ。


 夕暮れ時。

 本社の屋上テラスに立ったアランは、夕日に染まる街並みを見下ろしていた。

 荷馬車が行き交い、黒い制服の警備員たちが静かに街の安全を守り、人々が笑顔で買い物を楽しんでいる。

「……アラン」

 隣に並んだマルクが、静かに声をかけた。

「お前は結局、世界を買い取っちまったな。最初から、こうなることを計算していたのか?」

「まさか」

 アランは口元をゆるめ、遠い目をした。

「俺はただ、あの泥まみれのアルデンヌで、無駄死にするのが嫌だっただけだ。自分と仲間の命の値打ちを計算して、一番リスクの少ない道を選び続けた。その結果にすぎん」

「それが今じゃ、全欧州の人間が、お前の作った会社のルールの中で生きてる。大した計算違いだな」

「いや、計算どおりさ」

 アランは懐から、黒狼隊の最初の旗の切れ端を取り出し、風になびかせた。

「身分や血統という理不尽なルールに縛られるくらいなら、俺たちが作った『契約と数字』という公平なルールで世界を縛る。これ以上の安全対策はないからな」

 アラン・デュ・ボスク。

 泥の中から這い上がり、武力ではなく金融と商いの力で、世界を買い取った男。

 彼が築き上げた『神聖帝国ホールディングス』という揺るぎない仕組みは、血を流すことのない平和を約束しながら、新しい時代の空の下で、どこまでも力強く機能し続けていくのだった。


(IFルート 完)


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