かわいいひと(二)
「そう、なのですか?」
「ああ。貴女を前にああいう顔を浮かべてしまう気持ちはわかるが……」
レオンハルトはそこで言葉を区切ったものの、“許せない”というほのかな怒りが、彼の瞳のなかで揺らめいている。
(身内相手にはそれほど強い嫉妬心は抱かないとおっしゃっていたのに……)
彼は十分、強い嫉妬心を抱いているように見える。いや、もしかしたら、彼にとってはこのぐらいの嫉妬は当たり前のものなのかもしれない。
宥めるようにそっと頬を撫でれば、彼はすぐに怒りを消し、蕩けるような甘い眼差しをルシアナに向けた。
愚直にルシアナだけを映すシアンの瞳に、胸が甘く締め付けられる。
(……みんなと良い関係を築いていきたいから、本当は喜んではだめなのだけれど……けれど、正直嬉しいわ。それだけわたくしのことを愛してくださっているということだもの)
「レオンハルトさま……」
小さく名を呼べば、彼はわずかに目尻を下げ、ルシアナの唇に軽く口付けた。
「先ほども言ったが、貴女の行動を制限したくはない。だから貴女は気にせず心のまま過ごしてくれ。その結果、俺が嫉妬心を抱き、許せないと思っても、それは気にしなくていい」
「気にしなくてよろしいのですか……?」
「いちいち気にしていたら、貴女は誰とも交流できなくなるぞ。いいのか?」
一拍置いて、ルシアナは首を横に振る。
レオンハルトは小さく笑むと、ルシアナを抱き締め直し、優しく頭を撫でた。ルシアナはそれに身を任せるように、レオンハルトの胸板に鼻先をすり寄せる。
「あまり貴女の不利益になるようなことはしたくないんだが、嫉妬心だけはどうしようもないんだ。こればかりは、どうか許してほしい」
「許すだなんて、そんな……わたくしは嫉妬していただけて嬉しいですわ。それに……許しを請うならば、わたくしのほうです。他の方と交流すせずにいることは難しいですし、公爵家に仕える騎士や使用人には、つい顔が緩んでしまうでしょうから。ですから、わたくしこそ、許していただかなくては――」
「貴女が許しを請う必要はない。そんなことはしないでくれ。これは俺の問題なんだ」
ルシアナの言葉を遮り、捲し立てるようにそう告げると、レオンハルトは抱き締める腕に力を込める。苦しいくらいの抱擁に、ルシアナは深く息を吸い込みながら、そっと顔を上げた。
見上げたレオンハルトの顔は、どこか苦しそうに見える。
「……レオンハルト様」
固く閉ざされた彼の唇に、指先を滑らせる。導かれるように口が開き、熱い吐息が指先に触れた。
「……この強い嫉妬心が、いつか貴女を傷付けるような気がしてならない。貴女に呆れられたくなくて先ほどは狭量じゃないと言ったが、本当は、貴女に関することにはひどく狭量なんだ。他の男の視線が貴女に向いているのを見るだけで、俺は……」
レオンハルトは言葉を区切ると、深く息を吐き出した。自分を落ち着かせるように三度ほど深呼吸を繰り返すと、指の背でルシアナの頬を撫でる。
「ルシアナ。貴女の心の中の、一番奥深いところに俺を置いてくれ。これから貴女の世界はどんどん広がり、多くの者に出会うことだろう。そうした出会いのなかでも、決して揺らぐことない場所に俺を置いてほしい。近くにいても離れていても、俺のことを忘れない、そんな場所に」
「――っ」
(なにを……!)
懇願するように切なげにそう漏らすレオンハルトに、頭に一気に血がのぼった。
いったいレオンハルトは自分を何だと思っているのか。
先ほどまでは彼の発言を嬉しく思っていたが、今の言葉はとても許せるものではない。
まるで彼だけがルシアナのことを好きで、自分は彼のことを好きではないと思っているようだ。
(っ確かにレオンハルト様ほど言葉にも行動にも出せていなかったかもしれないけれど! わたくしだって、たくさん好きだと、愛していると伝えて来たのに……!)
ルシアナは勢いよく体を起こすと、レオンハルトを押し倒すかのように、彼の両肩を抑え込む。
「ルシアナ――」
「わたくしは……! っわたくしだって、レオンハルト様を愛してるのに……! どうしてそのようなことをおっしゃるのですか……っ」
「! ルシアナ……!」
じわり、と視界が滲むのとほぼ同時に、レオンハルトは慌てたように体を起こし、ルシアナを抱き締めた。
「わ、わたくしだって、レオンハルト様を愛しています……! レオンハルト様とは少し、あ、愛し方が違うかもしれませんが、それでも深くっ……、ふ、深く愛しているのに……!」
「もちろんだ! わかっている。すまない、そういうつもりで言ったんじゃないんだ……! ただ、広い世界を知った貴女が、いつか俺のおかしさに気付くんじゃないかと――」
「たとえレオンハルト様がおかしかったとしても、わたくしはレオンハルト様が好きなのです……! レオンハルト様を知るたびにどんどんどんどん好きになって……! っあなた様になら、何をされても構いません! たとえ傷付けられたとしても……!」
彼の胸板を押し、視線を交えながら必死に訴える。
自分が愛しているのは彼で、彼が唯一自分の最愛なのだと。
彼ほどの苛烈さはなかったとしても、想いの深さは負けていないのだと。
ルシアナはこぼれ落ちそうになるものを必死に堪えながら、彼の寝衣を掴む。
「わたくしの心の一番奥深くに、レオンハルト様以外いったい誰がいると言うの! わたくしの気持ちを疑うなんて、レオンハルト様であっても許せないわ!」
ルシアナは息を荒くしながら、呆然と自分を見つめるレオンハルトに、鋭い視線を向ける。
こんな風に誰かに怒りをぶつけたのは初めてだ。まさか、最愛のレオンハルトに対してこのような態度を取ることになるとは思ってもみなかった。
(けれど、後悔はないわ! わたくしだって、怒るときは怒るのよ!)
眉間に皺を寄せながら、精一杯の不満げな表情でレオンハルトを見続ける。
どれほどそうしていたのか、そろそろ表情を保つのも難しくなってきたところで、レオンハルトは顔を伏せた。
(も、もしかしてレオンハルト様を不快な気持ちにさせてしまったかしら……)
これまで、“怒る”ということをほとんどしてこなかったせいか、怒ったあとどのような行動に出るのが正解なのかがわからない。もし彼を不快にさせていたら、と思うと急に不安になってくる。
レオンハルトの言葉に抱いた怒りは本物だし、今も許せないという気持ちはあるが、怒りという感情はどんどん小さくなっていく。
どうしよう、と内心焦り始めたところで、レオンハルトから、ふ、と小さな笑い声が漏れ聞こえた。
「……レオンハルト様?」
おずおずと名前を呼べば、レオンハルトは突如ルシアナを抱きすくめた。
彼の首元から、ほのかな石鹸の匂いと、彼自身の香りが、ふわりと香り立つ。
その心地いい香りに、ルシアナは思わずほっと息をついた。
「……貴女は本当に俺を舞い上がらせる天才だな」
「わたくし、怒っているのですよ」
「ああ、わかってる。貴女の気持ちを踏みにじるようなことを言ったのは、申し訳ないと思ってる。本当にすまなかった。ただ……不安だったんだ。貴女は外の世界をあまり知らずに俺という人間に出会っただろう? それも結ばれるのが前提だ。それは……ある種の刷り込みだ」
またそんなことを、と反論しようとしたルシアナだが、顔を彼の首元に押し付けるように抱き締められているため、声を発することができない。
少しでも不満が伝わるように、とぐりぐりと頭を押し付ければ、レオンハルトはおかしそうに喉を震わせた。




