かわいいひと(一)
レオンハルトは早歩きで部屋まで戻ると、ベッドにそっとルシアナを下ろした。
「レオ、んっ……!」
顔を上げると同時に口を塞がれ、小さく声が漏れる。遠慮なく口内を蹂躙する舌の動きに、ぞわりとしたものがせり上がってくる。
「っふ、ん……」
縋るように彼のジャケットを掴めば、レオンハルトはゆっくりと顔を離した。
「……汗を流してくる。先に休んでいてくれ」
囁かれた声はとても柔らかで、彼が気遣ってくれているのがわかる。しかし、頬を撫でる手も、見下ろしてくるシアンの瞳もとても名残惜しそうで、胸がきゅうっと締め付けられる。
(可愛らしいわ)
胸が甘く高鳴っているのを感じながら、ルシアナはまだ冷たいレオンハルトの頬を撫でた。
「レオンハルト様とお話ししたいので待っていますわ。けれどすぐには出ずに、ゆっくりお体を温めてくださいね」
「……わかった」
レオンハルトは、嬉しそうな、申し訳なさそうな表情を浮かべると、唇に軽く吸い付き部屋を出て行った。
(団員の方たちと同じ大浴場へ行かれたのかしら?)
帰ってくるまでに体が冷えないだろうか、とも思ったが、今から近くの浴室にお湯を運んでもらうのも使用人たちに悪いか、と大人しくレオンハルトの帰りを待つ。
(それにしても、どうしてレオンハルト様は突然お部屋に戻られたのかしら?)
すでに魔物も見終わっていたため、あれ以上あの場に留まる意味は確かになかった。けれど、それにしても彼の行動は突然だった。
(あのまま会話が続いていれば、休む時間もどんどん遅くなっていたでしょうし……切り上げどきだと思ったのかしら?)
それにしては慌ただしい退出だったな、と思いつつも、それ以外に理由は特に思い当たらない。
(そうよ。レオンハルト様はお優しいから、きっと早くみんなが休めるようにあのような行動をされたのだわ)
一瞬、嫉妬だろうか、という考えが頭をよぎったが、それはさすがに自意識過剰だろう。そもそも、嫉妬するような場面でもなかったはずだ。
(レオンハルト様が深く愛してくださっているからと、何でも自分に都合のいいように考えてはだめよね)
優しく気配り屋なレオンハルトに相応しい伴侶でいられるよう、気合いを入れ直さなければな、とルシアナは密かに気合いを入れ直した。
「いや……すまないが、ただの嫉妬だ」
どこか申し訳なさそうにそう漏らしたレオンハルトに、ルシアナはきょとんと目を瞬かせる。
レオンハルトが戻ってきてすぐ、ルシアナは労いの言葉とともに、レオンハルトの行動について自分の考えが合っているのかを問いかけた。わざわざ聞く必要のないことかもしれないが、相手の考えや気持ちをわかった気になって決めつけるのは、やはりよくないと思ったのだ。
今回のことはさして重要なことではないが、こうした決めつけや思い込みが癖になってしまうと、二人の間ですれ違いが発生してしまう可能性がある。最初は些細なことでも、それがのちのち重大な問題を引き起こす可能性もないとは言えない。
だから、ルシアナはなるべく言葉を尽くそうと決めていた。
あまり何でもかんでも言葉にするのは煩わしいかもしれない、とは思ったが、幸いにもレオンハルトも言葉を尽くしてくれる人だ。
問いかければ答えてくれて、さらに言葉を重ねてくれることをありがたいと思わなかったことはない。
レオンハルトが誠実に向き合ってくれるように、自分もそうでありたい。
そういう思いもあって、こうした取るに足らない小さなことでも、気になれば尋ねるようにしていたのだが、正直今回のことについては自分の考えに自信があった。
嫉妬という可能性も確かに考えてはいたが、やはりいくら考えても理由が思い当たらなかったからだ。
(……自惚れではなかったのね)
嬉しさと、どうしてだろう、という疑問が頭のなかでぐるぐると巡っている。
考え込むように黙っていると、寝る準備を終えたレオンハルトが、ルシアナを抱き締めベッドに横になった。
まだほのかに温かいレオンハルトの体に身を寄せながら、ルシアナは顔を上げる。
「団員の方とは、王都でもこちらでも話したことがあったと思いますが……」
「さすがに男と話しただけで嫉妬するほど狭量じゃ……いや、正直狭量ではあるが、さすがに身内相手にはそれほど強い嫉妬心は抱かない」
身内でなければ強い嫉妬心を抱くのか、とわずかに頬が赤くなる。
(……もしかしなくても、本当に、思っている以上に愛されているのかしら。今だって十分愛されているという自覚があるのに……)
レオンハルトの想いの深さと重さを見誤っていた。これはきちんと聞いておいてよかった、と思いながら、愛おしそうに自分を見つめるレオンハルトを見返す。
「その……今後の参考までにどのようなところに嫉妬心を抱かれたのかお伺いしてもよろしいですか?」
「そうだな……」
レオンハルトは目を細めると、ルシアナの頬を指の背で撫でた。数度指を滑らせると、レオンハルトは、ふ、と口元を緩める。
「貴女はいつも朗らかに笑ってはいるが、親しい者に対する笑みと、万人に対する笑みに、多少の違いがあるだろう?」
レオンハルトの指が口の端に触れるのを感じながら、ルシアナはこくりと頷いた。
己の感情を素直に晒すのは、貴族社会では足を掬われる行為だ。
位が高ければ高いほど、己の気持ちを笑顔で覆い隠す術を身に着けているものだ。
ルシアナは生来穏やかな気質なため、感情を覆い隠すために笑っている、というわけではないのだが、親しい人以外の前では、本当に嬉しかったり喜んでいるときに、その感情が乗らないように気を付けていた。
高位貴族であればあるほど、王家に近しい人間であればあるほど、ちょっとした表情の変化に聡いものだ。自分の感情を見せることで余計な憶測や思惑を抱かれないよう、いつもフラットな笑みを心掛けていた。
「あのとき、貴女はとても嬉しそうな、幸せそうな笑みを浮かべていた。いつも皆の前でするのは違う、貴女本来の愛らしさが見える笑みだ」
「……確かに、そのような気持ちにはなっていましたわ。公爵城のみなさまが、本当によくしてくださるから……」
きっと、知らず知らずのうちに、自分も彼らを身内のように思っていたのだ。だから、彼らの前でもそのような表情になったのだろう。
「つまり……親しい人の前でだけするような表情を彼らにしていたから嫉妬した、ということでしょうか?」
「そうだな……半分正解、というところだ」
「半分?」
不思議に思い小首を傾げれば、レオンハルトは壊れ物にでも触れるように、そっと目尻を撫でた。
「貴女が彼らの前で自然体でいられるのは喜ばしいことだ。貴女には心の赴くまま過ごしてほしいと思っているから。だが……彼らの前で愛らしい表情を浮かべるのは許せない。気付いていたか? 貴女が嬉しそうに笑んでいたとき、貴女の前にいた騎士は顔を赤らめていたんだ」
澄んだシアンの瞳を鈍く光らせるレオンハルトに、ルシアナは小さく喉を鳴らした。




