北部の日常(七)
(まあ……)
この盛り上がりはなんだろう、と目を瞬かせれば、レオンハルトが「実は」と声を和らげた。
「雪崩の被害がほとんどなかったのは、彼らが食い止めてくれていたからなんだ」
「まあ。そうだったの?」
驚き妖精たちを見上げれば、彼らは翅を震わせて頷いた。
『そうだよ』『そう』
『ルシアナ、うれしい?』『うれしい?』
「ええ、嬉しいわ。本当にありがとう。……けれど、妖精さんたちが大変だったのではないかしら? 大丈夫?」
そっと手を伸ばせば、妖精たちはルシアナの手の周りを飛び回り、何体かは体をすり寄せた。
『だいじょうぶ』『だいじょうぶだよ』
『ルシアナいるから』『だから、がんばる』
「以前、今年は雪害が少ないと伝えたが、どうやら彼らが守ってくれていたらしいんだ。魔獣を早く見つけられたのも彼らが案内してくれたおかげだ」
レオンハルトの言葉に呼応するように翅を震わせると、妖精たちの一部はレオンハルトの顔の周りを飛ぶ。
『レオンハルトもいいにおい』『いいにおい』
『ルシアナよりあらいけど』『まえよりいいにおい』
(そういえば、妖精さんたちはレオンハルト様から溢れる精霊の気が強すぎて、レオンハルト様に近付けなかったのよね。ヴァルと意思疎通が取れるようになって落ち着いたようだけれど……)
彼らの言う「荒い」という状態がどういうものかわからいが、それでもこうして妖精たちがレオンハルトと交流をできるようになってよかったな、とルシアナは一人笑みを深める。
「ありがとう、妖精さん。みんなのおかげで、本当に助かったわ」
重ねてお礼を口にすれば、妖精たちは嬉しそうに翅を震わせた。それで満足したのか、彼らはぽつぽつと光球へと姿を変えていく。
『ルシアナまたきて』『あそびにきて』
『ここもすきになって』『すきになって』
「まあ……わたくしはもうここが好きよ。たとえ大変なことがあったとしても、みんながいるこの場所が好き。だから、妖精さんたちは無理をしないで。わたくしは、たまにお話ししてくれるだけで十分なのよ」
ルシアナの言葉に妖精たちはくすくすと笑い合う。それに合わせ、光球は楽しそうに訓練場のなかを飛び回った。
『いいの』『いいの』
『ぼくたちうれしい』『うれしいから』
「うれしい……?」
何が、と首を傾げれば、光球の一つがルシアナの鼻先にふわりと触れた。
『ルシアナうれしいとうれしい』『ルシアナいてくれるとうれしい』
『ルシアナのまわりはここちいいから』『ルシアナのそばはここちいいから』
(ああ……なるほど。妖精たちはもともと、精霊を居心地のいい存在だと思っているものね。強すぎる精霊の気は苦手みたいだけれど、契約した人間を介して漏れ出る精霊の気は基本的に抑え込まれているから……だから妖精は、精霊と契約した人間を好ましく思ってくれるのよね)
特に、ルシアナに加護を与えているベルは、周囲に影響を与えないよう極力精霊の気を抑え込んでいた。それもこれも、彼女が心の底からルシアナを愛し、大切にしているからだ。
(トゥルエノでは、お母様の傍にもお姉様方の傍にも、妖精さんたちはたくさん集まっていたけれど、ベルが覚醒してからはわたくしの傍に集まる妖精さんが多かったわ)
シュネーヴェ王国の王都に住む妖精はもちろん、この領地に住む妖精たちがルシアナをここまで気に入ってくれるのも、ひとえにベルのおかげだ。
(感謝の気持ちは深いのに、精霊であるベルにたいしたお礼ができないのが辛いところね)
それでも、今度改めてお礼を伝えよう、と決心しながら、ルシアナは柔らかな微笑を妖精たちに向ける。
「妖精さんたちがそう思ってくれて嬉しいわ。必ずまた来るから、そのときは是非話し相手になってね」
光球は了承するようにふるふると震えると、そのままぽつぽつと姿を消していく。
最後の一体がふっと消えると、近くにいた騎士が興奮した様子で声を掛けてきた。
「奥様! 奥様が来てくださってからいいことばかりです!」
「妖精の姿なんて初めて見ました! 奥様は精霊の加護だけでなく、妖精の寵愛も受けていらっしゃるのですね!」
「団長の元へ来てくださって本当にありがとうございます!」
(まあ……)
一斉に声を掛けてきた騎士たちに、ルシアナは思わず目を丸くする。
もしかして、彼らがにこにこと機嫌がよさそうだったのは、妖精たちが被害を食い止めていたからだろうか、と思いつつ、ルシアナは小さく笑んだ。
「わたくしは何もしていないわ。すべては妖精さんと、わたくしに加護を与えてくれた精霊のおかげだもの」
「そんなご謙遜を!」
「たとえそうであったとしても、それだけの魅力が奥様にあることに変わりありません!」
キラキラと輝く瞳に見つめられ、ルシアナは少し困ったように眉尻を下げる。
どう返答しようか迷っていると、脳内に深い溜息が広がった。
――言っておくが、私もそいつらと同じ意見だからな。
(――ベル……)
――妖精たちが精霊に引きつけられるのは事実だが、あいつらはいつだって、私ではなくルシーの名を呼んでいただろう。ルシーの人柄に惹かれて力を貸したという紛れもない証拠じゃないか。
(――そう、なのかしら)
――そうだ。私が言ってるんだから間違いない。そもそも、あいつらは無垢で善良な人間を好むんだ。あいつら自身がそういう存在だからな。ルシーが自分たちの力を利用しないとわかってるからこそ、あいつらは無条件で力を貸すんだ。そこに私の有無は関係ない。
わかったな、と念を押すように言うと、ベルは気配を消した。
長年傍で支え続けてくれた相手だからか、それとも絶対的な存在である精霊の言葉だからか、そうなのかもしれない、と思っていたよりもすんなり受け入れることができた。
(レオンハルト様に愛されて、自分という存在に自信がついたことも影響してるかしら)
ルシアナは少々面映ゆそうに目を伏せると、「ありがとう」と口にする。
公爵城で暮らす人々がこうして自分を受け入れてくれるたび、言葉にできない幸福感が胸の中に広がっていった。
(……もっとこの土地の、この場所に住むみんなのためになることをしていきたいわ)
自分によくしてくれる公爵城の面々を思い浮かべながら笑みを深めると、不意に頭を引き寄せられた。
「……!」
先ほどまでは騎士たちのほうに顔が向いていたというのに、気が付けばレオンハルトの肩口に顔を伏せるような格好となっていた。
「あの――」
「俺と妻は先に下がる。お前たちもゆっくり休め。――父上と母上も、お早くお休みください」
レオンハルトは少々声を張ってそう告げると、早足に動き出した。
「え、あの、レオンハルト様……?」
退出するならみんなにきちんと挨拶をしたい、と思い頭を上げようとするものの、後頭部をやんわりと押され、それも叶わない。
とりあえず声だけでも掛けようと「お先に失礼します」と声を上げると、義母の「おやすみなさい」という声が耳に届いた。
その声は少し笑みを含んでおり、周りの空気もどこか緩んでいるように感じる。
(……?)
いったい何が起きたのかわからないまま、ルシアナはただなすがまま、レオンハルトに身を任せた。




