北部の日常(一)
ドドドドッという地鳴りのような音に、ルシアナは飛び起きる。
慌てて辺りを見渡せば、すでにレオンハルトがベッドから下り、身支度を整えているところだった。
「レオンハルト様」
「ああ、起きたか」
レオンハルトはボタンを留めている手を止めると、ルシアナを振り返り、素早くナイトドレスを被せた。レオンハルトに促されるまま腕を通せば、近くにあったナイトガウンも肩にかけてくれる。
「おそらくだが、裏の山で雪崩が発生した。状況確認や現場視察でしばらく慌ただしくなると思うが……この地ではよくあることだから、慣れてくれると助かる」
信頼を感じられる真っ直ぐな眼差しに、ルシアナは高揚感を覚えながら、大きく頷く。
(領主として、公爵家の当主として、わたくしを共に責任を負う者だと認めてくださっているのがわかって嬉しいわ)
再び身支度に戻ったレオンハルトを見ながら、ルシアナはベッドから下りる。
「わたくしはどうすればよろしいですか?」
「俺の着替えを用意しておいてくれるか? 俺は先にギュンターたちに状況を確認してくる」
「わかりましたわ」
レオンハルトはナイトガウンを羽織ると頷き、部屋を出て行く。
「雪崩か。少し興味があるな」
「ベルは行かないほうがいいと思うよ?」
「お前に言われなくてもわかってる。と言うか、お前はなんでここにいるんだ。レオンハルトの精霊なんだからレオンハルトについて行け」
隣接された衣裳部屋に向かうルシアナの後を、精霊のベルとヴァルがわいわいと言い合いをしながらついて来る。
「ねぇ、ヴァル。ヴァルは北の山脈にいたのよね? そのときも雪崩は頻繁にあったの?」
レオンハルトの騎士服や外套を手に取りながらヴァルへ目を向ければ、彼はぱっと顔を輝かせてルシアナの傍に寄って来た。
「うんっ、雪崩はおれが居たときからよくあったよ。雪が普段よりたくさん降ったときとか! でも一番はやっぱり、魔物の縄張り争いかな?」
「魔物の?」
(こんなに雪深い、冬の真っただ中に?)
冬は多くの動物が巣に籠り、暖かい春を待つ。それは魔物も同じで、冬は大人しく息を潜め、春先になると活発に動き出すのだ。
「アンデッド系の魔物は季節関係なく出てくるけれど、これほど寒い土地ではさすがに活動できないでしょう?」
「この辺り……旧ルドルティ地域? って呼ばれる場所には、アンデッドは出ないんじゃないかな? おれは見たことないから」
「そうなの?」
寝室に戻り、暖炉の前のソファやテーブルにレオンハルトの騎士服を並べながら、小首を傾げる。ルシアナの意図を察したのか、ベルは何も言わずレオンハルトの騎士服を温めてくれた。
ベルにお礼を伝え、今度は自分の身だしなみを整えるべく髪に手櫛を通していると、ヴァルがルシアナの後ろに回る。ヴァルはそのまま、ルシアナの髪の毛を使って一つにまとめていってくれる。
(レオンハルト様がエステルに髪結いを習っていたけれど、それを見てヴァルも覚えたのかしら)
大人しくされるがままになっていると、ヴァルは髪を結いながら「この辺りはね」と先ほどの続きを話してくれる。
「雪深い土地特有の魔物っていうのがいるんだ。おれはここ以外をあんまり知らないからはっきりとは言えないけど、昔レオンハルトがそういう話をしてるのを聞いたことがある。ルドルティの魔物は、他の地域に比べて大きくて毛深いんだって」
「なるほど、土地に適応した成長をしたんだな。それを言えば、トゥルエノには毛深い魔物はいない……と言うより、トゥルエノはアンデッド系の魔物がほとんどだったな。あと、水辺が多いから水棲の魔物とか」
「そうなんだ! やっぱり場所によって出てくる魔物のいろいろなんだなぁ……おれ、いつかルシアナが前に住んでた国に行ってみたいな」
「そのうちな。それより先にお前はこの土地特有の魔物とやらについて教えろ」
「あっ、そうだったね!」
髪を結い終わったのか、ヴァルはルシアナの前に来ると、水の塊を二つ出した。
「この時期に雪崩を起こすほど暴れるのは氷角雪兎って魔物だよ。氷の角を持っていて、体が馬くらいの大きさがあるんだ」
「まあ……うさぎと言うから小さいのかと思ったわ」
「全っ然! ルシアナの何倍も何倍も大きいんだから!」
ヴァルは、水の塊の一つを鋭く長い角の生えたうさぎの形に変える。耳や尾は短めで、角があること以外は普通のうさぎに見える。
「この北の山脈は一年中雪が積もってるからか、氷角雪兎は足が長くて、地面を蹴る力がすごく強いんだ。だから、氷角雪兎がたくさん跳ねるとすぐに雪崩が起こる」
「厄介な魔物なのね」
「一応、冬に入る前に人間たちが間引き? っていうのをしてて、前に比べれば雪崩も少ないと思うよ」
ヴァルは、「それでね」ともう一つの水の塊の形も変える。
「この氷角雪兎と縄張り争いをよくしてるのが、尾長熊っていう魔獣。熊って言っても体毛は白くて、普通の熊より大きいんだ。名前の通り尾が長くて、体長の三倍から五倍はあるんだよ。尾長熊は結構大人しい種族なんだけど、縄張りに入ってきた生き物は何でも食べちゃうって特徴があるんだ」
(大人しい……?)
縄張りに入らなければ無事でいられるのだから大人しいと言えなくもないのだろうか、と思いつつ、曖昧に頷けば、突然扉が開かれ、レオンハルトが戻って来た。
「レオンハルト様!」
レオンハルトは、ルシアナの傍にいるベルやヴァルを見てどこか安堵したように目尻を下げると、ルシアナに目を向ける。
「やはり雪崩が起きていた。雪崩の起きた場所はこの城の裏のようで、また詳しく調査するが、幸い民家のほうに被害はなさそうだ」
“民家のほうに被害はなさそう”という言葉に、ルシアナはほっと息を漏らす。
「雪崩の原因は魔物なのですか?」
着替え始めたレオンハルトを手伝いつつ問えば、彼は驚いたように目を見開いた。
「何故わかった?」
「おれが教えたんだよ!」
ルシアナが答えるより早く、ヴァルが嬉しそうにそう告げる。褒めてほしいと視線で訴えるヴァルに、レオンハルトは小さく苦笑を漏らすと、彼の頭を撫でた。
「そうか。助かった」
親しげな二人の様子に、ルシアナも嬉しそうに笑む。
二人のやりとりは、以前に比べるととても自然になった。これからもっと仲を深め、当たり前のようにヴァルの力を引き出せるようになれば、レオンハルトはさらに素晴らしい騎士になるだろう。
想像するだけで楽しみだ、と思っていると、レオンハルトは視線をルシアナへと戻した。
「ヴァルが教えた通り、原因は魔物だ。尾長熊という魔物の縄張りに氷角雪兎が入ったことが原因だと思う。大体の場所の目安はついているから、父上とラズルド騎士団の団員数名と現場に行ってくる」
「わたくしは――」
「ルシアナは母上とここにいてくれ。団員のほとんどを領内の確認に向かわせたから、その報告を受けてまとめてほしい」
「わかりましたわ」
ルシアナは特に反対することなく頷く。
魔物討伐だけであれば、自分も力になれると訴えたかもしれないが、ルシアナはまだ雪道はもちろん、雪山にも慣れていない。雪深いこの地での過ごし方について学びはしたが、知識があるだけで簡単に攻略できるほど自然は甘くない。
自分が同行してもむしろ足手まといになるだけだと理解していたからこそ、ルシアナは自分の分の騎士服は用意しなかったのだ。
そんなルシアナの考えを知ってか知らずか、レオンハルトは手袋を着ける直前、素手でルシアナの頬を撫でると、軽く口付けた。
「いつか必ず、雪山での過ごし方、動き方を教える。貴女に残ってもらったほうがいいと判断したときはそうしてもらうが、そうでないときは共に討伐に出よう」
どこまでも澄んだシアンの瞳は、騎士としてのルシアナを信頼し、尊重していると告げているようだった。
妻として彼に愛でられている自分だけでなく、危険に身を置く騎士の自分のことも愛しているのだと、そう教えてくれるような眼差しに、ルシアナの口元には自然と笑みが浮かぶ。
「どうかお気を付けて、レオンハルト様。留守はどうぞわたくしにお任せください」
何事もなく戻って来ますように、という願いを込めて、彼の少し冷たい指先にルシアナはそっと口付けを落とした。




