第9話 王女の豹変
「はん……よくも私の前に現れましたわね。この猿が!」
ケントはバルコニーを見上げる中庭で王女がひっくり返した花瓶の水を頭から引っ被っている。
ロイス王家の屋敷に来たが門前払いされた。仕方がないので、ケントは中庭へ忍び込んだ。
王女マリアーノによく夜這いをしていたから、屋敷内への侵入経路は分かっている。
門前払いされたのは、リーグラード王家の騒動を察知したロイス王家の家来が、ケントとマリアーノを会わせないように画策したのだと自分に言い聞かせた。
後ろに控えている吉音はもう結果が分かっていた。マリアーノ王女もアイリーンとさして変わりない。
(この花のような笑顔の王女様も所詮は王妃の座を狙う女豹ズラ)
マリアーノはケントが窓に向かって小石を投げる合図でバルコニーへと姿を現わした。
いつもなら笑顔を振りまき、ついでに豊かな胸元をチラチラ見せて、ケントのために縄梯子を垂らし、バルコニーからケントを自室へと導く。
これまで何度もそうやって逢瀬を重ねてきた。
しかし、今日は違った。
マリアーノはたくさんのバラが生けられた部屋の花瓶をひっくり返し、バルコニーの下にいたケントの頭に中身をかけたのだ。
頭からぐっしょりとなったケント。ショックで声も出ない。
「オーホホホホ。ザマないですわね」
「ど、どういうことだ、マリアーノ?」
まだケントはどういうことか分かっていない。
「分からないの、本当にあなたはお馬鹿さんね」
マリアーノは花瓶を落とした。
高価そうな花瓶はケントをかすめて地面に落ちて割れた。
「マ、マリアーノ、危ないじゃないか!」
「あら、マインツの花瓶が割れましたわ。それとても高価ですのよ。あなたのような貧乏人は、その欠片でも拾って売ったらどうですの?」
「な、何を言っているのだ、マリアーノ。今日は君の力を貸してもらうために来たのだよ」
そうケントは懇願した。マリアーノを通してロイス王国軍を動かす。
常勝の天才と言われる自分が指揮すれば、都にいる反逆者どもは一掃できる。
そう丁寧に説明した。マリアーノは世間知らずの王女様だ。その王女様に分かりやすく説明した。
「バカですか?」
ケントの分かりやすい説明は、無残にも王女に鼻で笑われた。
マリアーノはさらにケントへ決定的な言葉を吐く。
「我がロイス王国はあなたを敗残者と認定しました。あなたと関わることはロイスにとってはマイナスですわ。よって、さっさと私の目の前から消えなさい!」
「そ、そんな……マリアーノ、俺たちはあんなに激しく愛し合った仲じゃないか!?」
「はあ、何か言いましたか、お猿さん?」
マリアーノの顔は今までに見たことのない顔。まるで町で汚いゴミためを見るような表情だ。
「さ、猿とはなんだ!」
さすがにケントはキレる。馬鹿にするにもほどがある。
「だって猿でしょ。自分の胸に聞いてみなさいよ。私の上に乗っかって猿みたいな下半身運動をして。あなたみたいな猿より、次期国王陛下となるメイソン殿下の方がたくましいですわ」
「メ、メイソン……って、兄上かよ!」
ケントは驚いた。そもそも先ほどまでリーグラードの宮廷であった出来事が、ロイスの姫であるマリアーノに伝わっていること自体がおかしい。
恐らく、ケンジントン公の指金であろう。ケント王子の追放と同時にマリアーノ王女とメイソン王子との結婚でロイス王国を取り込むつもりだろう。
「だ、だから、この状況を覆すためにここへ来たのだよ」
ケントは懇願するが返事は冷たかった。
「あ、熱い、何をする!」
マリアーノは侍女に運ばせた紅茶のカップを傾け、ベランダ下のケントの頭にかけたのだ。その目は完全にゴミを見る目だ。
(うそだ、うそだ、うそだ……アイリーンに続いてマリアーノまで……)
ケントは茫然と立ち尽くすのみ。マリアーノは大声で警備兵を呼ぶ。立ち尽くしたケントは警備兵に掴まれ、屋敷から叩きだされた。
「主様、もう無理ズラ。あきらめるズラ」
ケントと一緒に叩きだされた吉音は、そう言ってケントを慰める。マリアーノに水やらお茶やらをかけられて濡れたケントの頭をハンカチで拭く。
吉音に頭を拭かれても、ケントはされるがまま。それどころか、その両目は焦点が合っていない。
さらにぶつぶつと何かつぶやいている。壊れたカラクリ人形みたいである。
(仕方ないズラ。一応、信頼していた女2人に完全に裏切られたズラ。まあ、これも主様の不誠実な態度が招いたと言えなくはないズラが……)
2人の元恋人にも問題がないとはいえないが、それでもケントがどちらかと誠実に付き合っていたのなら、こうはならなかったかもしれない。
所詮は、上面の関係しか作れず、両人ともから利用する男認定しかされなかったことが原因だ。
だが、さすがに精神的ダメージは大きい。
結婚を考えていた女から完璧に振られたのが短期間でダブルである。
女性不振に陥るどころか、精神的に壊れてしまうかもしれない。
「あ、あいつら……絶対に許さないぞ。目に物を見せてやる!」
ぶつぶつ言っていたケントは何かを思いついたようだ。
(あ~あ……そうなったズラか。落ち込むよりマシだけど)
吉音は振られた男の思考には2つあると考えている。
1つは落ち込み、泣きわめき、精神的ダメージでふさぎ込むこと。
そして2つ目は今のケントが取っている行動。すなわち『復讐』。
嫌がらせやストーカー行為は最低であるが、復讐もやり方のよっては失恋から立ち直る方法の一つだ。
『もっといい男になってやる』『もっと出世してやる』『もっと金持ちになって見返してやる』と復讐の方向を健全にすればプラス方向に行くこともある。
しかし、怒りにまかせているだけでは、冷静さに欠けて実現不可能なことを叫んでいるバカな人間となる。
そして今のケントは冷静さに欠けていた。
「馬車を第7師団本部に向けろ!」
そうケントは御者に命じた。
(あ~あ……これはダメズラ)
吉音はケントの考えが分かった。
第7師団はケントがアルトリア帝国との戦争で主力として率いた軍である。
遠征軍はすでに解散したが、第7師団はまだ首都に駐屯している。
半分の兵には休暇を取らせて故郷へ帰しているが、まだ5千人の兵が駐屯しているはずだ。
「第7師団を率いてケンジントン公を逮捕する」
「武力でひっくり返すズラ?」
一応、吉音はケントの考えを確認した。答えはその通りであった。
「そうだ。王家に対する反逆を正す。これが真の後継者の取る道だ」
(はあ~っ)と吉音はため息をついた。
この王子は姫たちに袖にされたショックで物事が冷静に見られないのだと同情した。侍従の吉音でさえ、これは悪手だと思う。
「止めた方がよいズラ」
「何を言っている。軍は俺を英雄視している。この状況を知れば必ず俺の味方になるはずだ」
「そうズラか?」
吉音はわざと首を傾げる。それはケントに少しでも冷静に物事を考えてくれることを願っての行動であるが、ケントは吉音のことは目に入らないようだ。
(それに……)
吉音は知っている。戦の天才とほめたたえられているとはいえ、それを妬む人間も軍には多い。
また、若干18歳のケントの戦功を本人の力と信じていない者も多くいるのだ。
時期国王と言うメッキがはがれた今の状況で、ケントの思うとおりに軍が動くはずがない。
それに老獪なケンジントン公爵が第7師団に手を打っていないわけがない。
第10話「クーデター未遂事件」は夜8時頃公開です。




