第12話 ケントの提案
「それでは次にNSD株式会社の代表、ノースサンドリアのケント王子にご説明をお願いします」
司会者にそういわれてケントは意気揚々と関係者たちの前に立った。吉音が説明資料を配り、前に計画図を張り出す。
「私たちは新しい発想でアイリスホテルを立て直します。まず、建物ですがオール平屋建ての建物を敷地内各所に建てます」
ケントは日本の旅館のイメージを前面に出した建物を提案した。広いフラットな空間に畳の部屋。すぐに外へ出ていける縁側と森林と融合させた庭。
部屋には露天風呂まで設置してある。元々、アイリスホテルは地下から湧き出る温泉水を利用していたので、それを活用したのだ。
「部屋の数は35とウェリントンの計画の半分以下だが、それで収益は得られるのか?」
聞いていたマシュー・アーリントンはそう質問した。ビジネスホテルの経営で成功した男としては、部屋数が収益に大きく関わることを知っている。
ウェリントンホテルの部屋数なら十分であるが、ケントの提案だと収益率が悪くなることが予想された。
「御心配ありません。この新しいアイリスホテル……いや、旅館アイリス亭の平均的な部屋の宿泊料は、ウェリントンホテルの3倍を計画しています」
そうケントは話した。確かに部屋の広さは3倍以上ある。
一つ一つが独立した建物でベッドのある寝室、くつろぐ和風の居間と洋風の居間。トイレに露天風呂が完備している。
「しかし、いくら設備が広くても3倍とは……」
マシューは懸念を表明した。ケントの提案はそれだけのお金が払える客をターゲットとしている。かなり思い切ったものだ。
とびっきり贅沢な空間とおもてなしがあれば妥当ではあるが、問題はそれが実行できるかである。
マシューはアイリスホテルを買収した時に、同様のことを考えたがおもてなしを実行する人材が確保できなかった。
旧アイリスホテルの従業員の大多数がやめてしまったからだ。
やむを得ず、アーリントンホテルの従業員を回したが、ビジネスホテルの運営に慣れた人材は、高級ホテルのサービスに対応しきれなかった。
それが失敗であり、今回の経営権の売却の事態になっている。
「従業員によるサービス体制はどうなっている」
マシューはケントの提案の確信を聞いてきた。ウェリントンホテルの3倍の宿泊料を取るなら、それに見合うサービス体制が取れていないと誰も利用しない。
「紹介したい人と特別サービスプランの一部を提案します」
ケントはそういうとアシスタントの吉音に目配せした。合図を受けた吉音は手を挙げる。その合図で現れた人物に集まった投資家たちは驚いた。
「レイラ・ウブロさんです。元アイリスホテルの経営者ウブロ家の正当な後継者です」
紹介されたレイラは深々と頭を下げた。カリフでも有名だったウブロ家の令嬢である。
社交界でも高嶺の花と言われた人物の久々の登場に、投資家たちは驚いた。
年齢は30代半ばであったがその美しさは、質素な服装からでも分かった。
「この旅館アイリス亭の女将兼社長にこのレイラさんを指名します」
ケントはそう宣言した。これは単なる元経営者一族の返り咲きと言う問題ではない。
未だに慕われるウブロ家の正当なる後継者の旗の下なら、元従業員たちが集まることを示していた。
アイリスホテルの従業員の優秀さは折り紙付きだ。アーリントンが失敗したのは、これら従業員を引き留められなかったことが原因の一つなのだ。
「そしてサービスの1つを紹介します」
ケントがポンポンと手を叩く。後方から移動式の簡易ベッドが2つ運ばれてきた。そして水着姿のモデルの男女がうつぶせに横たわる。
「これはノースサンドリア産のミネラル分たっぷりの泥です。これで体をパックしながら、マッサージを行います」
そう言いながら、実際にレイラがもう一人のスタッフと一緒にモデルの男女の背中や顔に泥を塗る。
「お客様が希望すれば、このサービス……エステと言いますがこれを受けられます。これをすると肌が生き返り、ぴちぴちになると同時に体から毒素を抜き、健康になります」
見ていた投資家たちは驚きで目を見張った。確かにモデルの様子を見ると気持ち良さそうだし、実際に肌が生き返ったようにもちもちと輝いている。
泥を実際に自分の腕に塗り、しばらくしてふき取ると明らかに違いが分かる。
これはホテル独自のサービスとしてはかなり売りになる。
「この泥パックエステは女性や高齢の方には人気のサービスになるでしょう。受けられるのはこの旅館アイリス亭と将来ノースサンドリアの建設予定のリゾートホテルのみです。このプレミアサービスを受けるために、カリフの富裕層だけでなく、リーグラード王国、アルトリア帝国、エルグランド王国等からも予約は殺到するでしょう」
ケントは顧客の予想人数をグラフで示した。確かに富裕層はここだけしか受けられない独自のサービスを欲するだろう。
ウェリントンホテルならどこでもあるから、カリフでなくてもよい。
「富裕層だけでない……。一般市民も結婚だとか何かの記念日に利用することもありうる。宿泊料は3倍とはいえ、特別な時には利用したいサービスである」
そう投資家の中でも興味津々に聞いていたのラクロア子爵。
カリフの投資家からすると、ケントの提案する買収案の方が自分たちも参加できるので元々、推しているのだが、儲かる気配が半端ない。
但し、投資家たちからするとウェリントンホテルの進めるインフラ整備も捨てがたい。莫大な建設費が見込まれ、そこに儲けの種がある。
ケントは旅館アイリス亭へのアクセスについては、専用の迎えの馬車の増発と港からの船によるアクセスだけを提案した。
移動にも時間をかけることで、カリフの自然を堪能するという意図もある。
「なるほど……両者の提案、どちらも捨てがたいな……」
そう評価したのはアイリスホテルを売り出すアーリントン家の総帥マシュー。どちらの案に乗るにしても20%分関わることができ、経営の成功はこれまでの損失を補うことにもつながる。
「おい、これはどういうことだ」
ケントの提案が終わり、アーサー・ウェリントンは隣に座っているカリフ第一銀行のノイマンに小声で問いただした。
この自信満々の小男はケントの提案など「田舎臭い安宿である」とアーサーの説明していた。相手の情報を正確に掴み、これまでそれを超えるアイデアを盛り込んで商売に勝っていたアーサーにとって、ケントの提案は「田舎臭い安宿」という陳腐なものではない。
「はあ……。閣下のウェリントンホテルに比べれば、設備も質素でサービスも洗練されているとは思えませんが……」
そうノイマンは言い訳をしたが、ここにいる投資家や売却主のアーリントン家の当主の反応をみるとほぼ互角。
他にないサービスと新たな価値観という点ではケントの提案が勝っていそうな雰囲気はノイマンですら感じていた。
「洗練されていないとお前は言うが、高級ホテルにはあのようなゆったりとした時間を過ごすことが贅沢だと思わせる要素が必要だ。このカリフは商業都市ではあるが、金持ちが集まる保養地でもある。アイリスホテルの立地はその点、適しているのだ。奴があのような提案をしてくると分かっていれば、対抗できたものを……」
アーサーは隣の融資課長がやはり無能だったと嘆息した。この男にはケントの説明する贅沢な時間が一生理解できないだろう。
そんな男に買収計画の片棒を担がせた自分の迂闊さを反省した。




