第10話 ザ・ウェリントンホテル
カリフ第一銀行の融資課長ノイマンは、目の前の外国人に得意げに話している。
外国人はノイマンの説明に落ち着かない様子で、白い口髭を右手で何度も触った。
「大丈夫です。閣下の案件はこの天下のカリフ第一銀行が後ろ盾になります。お任せください」
ノイマン課長の前に座っている初老の紳士は、アルトリア帝国の貴族である。
名前はアーサー・ウェリントン。
世界的に展開している高級ホテルチェーン『ザ・ウェリントン』を経営する男である。
彼はこのカリフにホテルを建設することを計画しており、アイリスホテルの買収を目論んでいた。
「元々、このカリフには進出しようと昔から計画はしていた。だが、ここ数年はリーグラードと我がアルトリアは戦争状態であった。今回の和平で計画が進むことになった。リーグラードのケント王子にはお礼を言わないとな」
そう言ってアーサー・ウェリントンは極太の葉巻を取り出した。
先っぽをカットするとお付きの人間が火を付ける。
「それでノ……ノルマン課長だったか」
「ノイマンです。ノイマン・フレーゲルです、侯爵閣下」
ノイマンはそう訂正した。
このアルトリアの貴族のホテル王は、銀行の融資課長程度など名前を覚えるに足りぬと思っているのであろう。
これまで何度も話し合いをしてきたが、いつも正確な名前を言わない。
「アーリントン家が条件を変えてきたのはなぜだ?」
ホテル王はそう端的に聞いた。ノイマンの回りくどい説明に少々イライラしているのだ。
いくつものホテルを経営し、その数を拡大している状況でホテル王が必要としているのは、正確な情報とスピード感のある決断だ。
のろまな奴は無能だといつも思っている。そう言った意味でこのカリフ1番の金融機関の課長とやらは使えないと思い始めていた。
(最初に結論を言わない奴は使えない……)
「買収に名乗りを上げた奴がいまして……そいつらの条件がアーリントン家にも経営に参画させるというものでして……」
「な、なんだと、それを早く言え!」
アーサー・ウェリントンは葉巻を手に持ったまま、思わず椅子から立ち上がった。
これは一大事である。
「は……すみません。アーリントン家からそのような申し出があったと聞いたのが3日前で……」
「み、3日前だと……貴様はそんな大事なことを3日もわたしに伝えなかったのか!」
ノイマンはホテル王のあまりの激高ぶりに縮こまった。どうしてそこまで怒るのかこの男には理解できない。
「情報の裏どりをしてからと思いまして……3日間で競争相手のこともアーリントン家の思惑もこの通り……把握しました」
ノイマンは自分の仕事ぶりをそう披露した。
金融を扱う仕事において、憶測や噂で動くわけにはいかない。
アーリントン家が売却額を上げるために流した偽情報である危険もある。
「馬鹿かお前は!」
そんなノイマンを一喝するホテル王。契約はスピードであることを知らない銀行屋に、自慢げに言われたくないと思った。所詮は大銀行の中で生きている雇われ人である。
「よいか、アーリントン家はこの売却に対して積極的ではない。損切りを決めたものの、まだ高級ホテル路線の経営に未練があるのだ。当初、経営権の10%を残して売却などという条件を出して来た時に奴らの考えは把握した。それで競争相手の条件は?」
「経営権の20%をアーリントン家。10%を従業員による持ち株。30%がカリフの銀行や投資家。残りの40%が奴らの出資だそうです」
「……アーリントンに20%も……だれだ、その競争相手は?」
ホテル王は突然現れた競争相手が侮れないと感じた。
従業員による持ち株というのが気にかかったのだ。
「NSDです」
「NSDだと……」
アーサー・ウェリントンは思わず呻いた。それを知らないからだと誤解したノイマンが説明する。
「御心配は無用です。NSDはノースサンドリアというへき地の領主が作った投資会社です。吹けば飛ぶようなもので今回の買収についても資金不足ゆえのものです。全額を出せるアーサー様とは比較になりません」
ホテル王は絶望的に使えないとこの口のうまい課長を評価した。アーリントン家が経営に失敗したのは、高級ホテルの接客方法のノウハウと人材がいなかった点である。それ以外では資金も潤沢で顧客イメージも悪くはない。
NSDはそれを見越してアーリントン家の資金を生かしつつ、従業員の確保に目星をつけているに違いない。
「それでアーリントン家の意向は?」
「ありえないのですが、今回の売却について我が方と競合させたいと……」
「20%だ」
「は?」
アーサーは葉巻をぐいっと灰皿に押し付けて火を消した。そして目の前の小男では話にならないと思った。直接、頭取と協議すべきだと思った。
「頭取に会う。アーリントン家に20%経営権を残す。急ぎ、80%分を確保したい。すぐに条件を伝えてアーリントン家と契約を結ぶ」
「アーサー様。頭取は王都へ出張中です。この件はすべてわたしが全権を任されています。大丈夫です。1週間後にアーリントン家主催による競争入札があります。それには売却金額だけでなく、今後のホテル経営の方針を示す必要があります。アーサー様の『ザ・ウェリントン』のノウハウがあれば勝つのは我々です」
そういってノイマンは競争入札について説明した。
アーリントン家はよほどこのアイリスホテルに未練があるらしく、売却すると決めても少しでも関わりたいと欲を出している。
これはアーサーにとっては、面倒なこと以外にない。グループの総裁は自分一人で経営判断は自分一人で行う。役員はいるがあくまでも経営判断上の意見を言わせるだけで、決定権はない。
だが、競争相手が現れたとなると譲歩せざるを得ない。条件を一緒にしつつ、売却金額を積み上げればアーリントン家はなびくと考えた。
しかし、結果的にはアーリントン家は金ではなびかなかった。あくまでも競争で決めると言うのだ。
(ホテル経営者としては優秀だ。さすがはビジネスホテル界の雄と言うべきか。だが、高級ホテルの経営は別物だ。その競争入札とやらで圧倒的なクオリティの違いを見せてやる)
アーサー・ウェリントンはそう決意した。久々の競争入札である。
少し不安なのはその窓口がこのカリフ第一銀行の融資課長。
優秀を気取っているが、根は小心者でなにより姑息な人間だと見抜いていた。
資金力と『ザ・ウェリントン』のノウハウ。
優秀な人材とカリフ第一銀行の信用は圧倒的であるが、ノイマンという男だけは不安要素であった。
彼が全ての全権を任されているということと、担当替えを要望したくても頭取が出張でいない状況を思えば、それもできなかった。
(まあよい。我がホテルグループの全力をもって競争に勝つ。それだけだ)
アーサーはそう思いなおし、部下を呼んでアイリスホテルの立て直しプランをもう一度練り直すように伝えた。




