第8話 カリフ第一銀行
「頭取、あのケント王子が会社を興し、出資を呼び掛けているそうです。当銀行としては、どういたしましょうか?」
カリフにあるカリフ第一銀行の頭取室。豪華な椅子に座ったあごひげが立派な紳士の前で両手をニギニギしながら中年の男が話かけた。
頭取と呼ばれた白い顎を生やした老齢の男はこのカリフ第一銀行の頭取。名前をリチャード・ソロスという。リーグラードの貴族で伯爵の地位にある。
今は今朝、侍従が持ってきた新聞記事に目を通していたところだ。紙面の活字を目で追いながら、ノイマンに目を向けることなく聞いている。
その頭取の前で媚を売るかのように上目遣いで意向を伺っているのが、融資担当課長のノイマン。40歳になる中堅の管理職だ。
ノイマンは平民ながら、貴族の上司に取り入り、強かに銀行内で出世を重ね、現在は平民の同期で1番の出世頭であった。
これはノイマン自身の能力と言うより、彼の強欲と出世のためには媚びへつらうことを厭わない性格のおかげ。
優秀な部下の手柄を横取りし、ライバルになりそうな人間は、早めに地方へ追いやり、今、目の前の大貴族の頭取に気に入られたからだ。
カリフ第一銀行の融資課長の地位は、銀行内でも破格であり、次期部長への最終力候補である。部長になれば銀行の経営に関われる重役へあと一歩となる。
「ケント王子か……あのお方は既に過去の人物だ。融資などするに値せぬ」
そう頭取は切り捨てた。頭取と言っても、カリフ第一銀行では名誉職であり、彼も銀行業務に精通しているわけではない。
商人出身の他の重役に実務は任せ、主に対外交渉に専念していた。対外交渉とは、政治家との折衝。
この銀行の頭取は無理難題を言って銀行から融資を引き出そうとする無能な貴族から、銀行を守る存在なのだ。
「一応、ラクロア子爵の呼びかけで、カリフの有力な投資家の何人かと商業組合、そしていくつかのカリフ商業銀行が話を聞くそうです」
そうノイマンは説明した。知っていることは話しておかないと、後で機嫌を損ねると考えたからだ。そこに深い考えはない。
「う~む……」
ノイマンの説明を聞いて、初めて視線をこの冴えない中年男に向けた。
ソロス頭取もお飾りの頭取とはいえ、全く無能ではない。ましてやラクロア子爵は、投資に対しては独特な嗅覚をもっている。その男が自分の知己に声をかけたということは、美味しい話である可能性もあった。
「このカリフ第一銀行はリーグラードで一番の名門であります。落ちぶれた王子の世迷言など無視するのが一番かと思います」
ノイマンはそう言った。ソロス頭取の顔色と話の流れ、そしてこの銀行は東リーグラード王国の宰相ケンジントン公の影響があることを考慮してのベスト解答だと思っている。
ソロス頭取はノイマンに鋭い視線を向けた。能力がないわけではないが、このように追従し、本質を見ようとしない男は無能だと分かっている。だからこそ、出世させてきた。
ノイマンを取り立てることで、自分たち貴族が銀行から利益を得ることができる。そして恨みはすべてこの男に向けさせる。そういう役割は賢い人間にはできない。
ノイマンのような強欲で出世欲があり、上には媚、下には傲慢な人間が最も扱いやすいと思っている。
「それだけの投資家や銀行関係者が来ているのだ。こちらも誰か行かないと顔が立たないだろう。ケント王子の顔を立てることになるのは癪ではあるが、奴が何を企てるかの情報を知ることも大切だ」
ソロス頭取はケントを「奴」と称した。貧乏領地の落ちぶれた男と認定していることが形として出たようだ。ノイマンはそれを聞いてケントに対するわずかばかりの畏敬の念も消し飛んだ。
ノイマンはケントのことを、いつも融資を懇願してくるゴミのような中小企業の経営者と同じ人間だと格付けしたのであった。
「そ、そうですね。確かにおっしゃるとおりです」
慌ててノイマンは追従した。ソロス頭取は(そんなものは無視せよ)というとばかり思っていたから、慌てたのだ。
「それでは頭取自ら出席なさいますか?」
「馬鹿を言え。そこまで奴の顔を立てる必要はない」
大銀行の頭取自らが顔を出せば、ケントの投資話に華を添えてしまう。それはケンジントン公に聞こえたら不興を買うかもしれない。
「では役員の誰かを?」
そう言ったノイマンに向かってソロス頭取は指を差した。ノイマンは自分が指名されたのだと知った。
「よいか、目的はケント王子の情報。そしてこの投資話を失敗させること。あの王子に動かれてはケンジントン公も目障りだろう」
そうソロス頭取は言った。ケント王子はかつて国王候補ナンバー1であったが、今は政局に敗れて追放された身だ。助けてやる義理もない。
「さすが頭取です。弱った相手の傷に塩を塗り込む。まさに晴れの日に傘を無理やり貸し、雨の日に取り上げる我が銀行の経営方針に即した判断です」
とんでもないことを口にするノイマン。だが、ソロス頭取はにやりと笑っただけであった。口にはしないが、この男の心情と合致するものであったからだ。
ノイマンは頭取室から出ると部屋の外で待っていた部下に調査を命じる。まずは集まる投資家、銀行の情報。そしてケントの目論見。ノースサンドリアの現在の状況である。
「いいか、ここでケントを潰せば、いよいよ頭取の覚えが良くなる。この俺が平民出身で初めての重役になるのだ。このカリフ第一銀行のだぞ!」
少し興奮気味でそうまくしたてるノイマンに部下は嫌な顔をした。ノイマンの銀行員としての能力は低いわけではないが、やり方が汚く、そして薄情。行員の間では評判はすこぶる悪かったからだ。
今も自分の出世のために融資先を潰そうとする発想がどうかしていると部下は思ったのだ。
「課長、ケント王子の計画がわが銀行に大きな利益をもたらすかもしれません。最初から邪魔をする姿勢ではそれを逃すかもしれません」
そう部下は思わず口にしてしまった。部下としては当然な進言ではあるが、ノイマンはきっとにらみつけた。
「貴様、何を妄想しているのだ。そういう奴はこのカリフ第一銀行のエリート集団である融資課のメンバーにふさわしくないぞ」
「い、いや、私は可能性を口にしたまでで……」
慌てて部下はそう言い訳をする。このノイマンは部下からの進言に腹を立てると地方に左遷することで有名であった。
部下は言わなくてもいいことを言ってしまったと後悔した。先ほどくらいのことで飛ばされては割に合わない。
「まだ調査はしていないが、奴の狙いは借金。貧乏領地の経営に多額の金がいるからな。そして金の貸し先として国はもっとも不適格だ。いろんな理由をつけて謝金を棒引きにしようとするからな」
ノイマンの懸念はもっともであった。時の権力者というのは、強権を振りかざしてとんでもないことをするものだ。そして庶民から金を巻き上げる。
但し、それを行えばその後は信頼をなくし、やがて滅びる。国はともかく、貴族で没落していった者を数多く知っているノイマンにとっては、権力をもつ者との取引は真剣勝負であった。




