第百九十三話「愛されている者」
「・・分かりました、そうしてください」
「先輩?!」
「いけません!そんな真似・・先輩を殺す様なモノです!」
そうだろう、お前らがそんな目を怯えさせるくらい。
俺の事を不安になり先の事に恐怖するのも分かる。
だが、所詮は君たちにとっての他人だ。
そこまで気にする必要はない。
俺は、俺自身の未来を崩しても生かさねばならない命があるッ!
「・・なるほど」
「ご理解いただけましたか?なら・・」
「この・・クソ虫がッ!!」
ズガッッ!!
その一瞬、何も抵抗する事なく鋭い拳で俺の頬が殴られた。
その勢いある鉄拳と共に俺は当たった瞬間に吹き飛ばされ。
廊下を何度も弾け飛び、体中が痛みを味わった。
とても、それは感情の込められた一撃だった。
どんな人を見る時もゴミを見るかのような無感情の人だと。
そう思っていた日もあった。
だけど、現実も本当の理事長代理も違った。
そこにいたのは、涙を流し、感情のまま殴りに来た理事長代理の姿だった。
眉間にシワを寄せて、鋭く睨み、歯を食いしばり怒りを表す理事長代理の姿。
涙を我慢するからの様なその姿に、俺は驚愕していた。
殴られた時、ほんの一瞬だ怒りが込みあがっていた。
だけども、違う・・今は・・そんな感情一切ない。
この、目の前の涙をヒタリと一滴流した理事長の涙の前で怒りなどない。
「いいか・・クソ虫・・一言だけ言う・・ディートリッヒは貴様の為にどれだけの愛と優しさを忘れていないか・・そして貴様はどれだけディートリッヒの事を理解できていないか」
怒りの言葉、それはまさしく説教。
「お前はな・・なにも理解できていないッ!なんにも・・ッ!馬鹿が・・どうして貴様の様など阿呆共がいつもいつも人生の最中で死の選択をして本当に死にそうになるッ!それがカッコイイとか!それで救われるのならとか!そういう問題じゃないッ!クソ虫ッ!お前にだって生きる命があるだろッ!?犠牲を払って生きた命は人生ではなくそれは別の何かッ!」
素早く連なる優しさに溢れた逆鱗の声。
「もし、お前の中でもう一度本当にディートリッヒの復活を望むというのなら・・もう一度考えろッ!そして思い悩めッ!自分が犠牲になるってのは愛された人間のやる事じゃないんだよッ!分かったか?!この人たらしのクソ虫がッ!」
その激しい怒りの説教を終えると、理事長は背を向けてその場を去った。
津久井先生も後ろを振り返り、この一言を残して。
「大人は君達子が思うほど強くない、無力だ」
「えっ?」
「無力だから・・力になれなかった時本当に悔しいんだ・・柳原菊君」
「津久井・・先生」
その後ろ姿に変わらぬ静かに勇ましく語る言葉。
「だからこそ、情けない話だが、菊君・・もしその気があるのなら・・理事長代理に力を貸してやってくれ、そして・・彼女の味方になってくれ・・君にその気があるのならね」
「・・考えて・・おきます」
それだけを言い残して、津久井先生も去る。
思わぬ出来事に静まり寂しさに浸る感情。
揺れ動く運命、凍り付く心。
俺達の物語は・・どこへ行こうと言うのだろう。
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