20、胃痛によく効くものは?
エリーが真面目に薬の説明をする中、未だ呆然とするクラウドの背後で宰相が囁く。
「これは他言無用で」
「……はい」
クラウドはこれを誰かに言い触らすつもりは欠片もないので、すぐに頷く。
誰にでも悩みはあるもので、王子は歴代の王のようになりたくないと若いのに気を揉んでいたのだろう。胃痛持ちで悩むクラウドとしては気持ちがよくわかる。
「わかりましたか?」
エリーの問いに王子は神妙な顔で頷いている。
「エリー、いやエアリル侯爵令嬢! 笑わずに付き合ってくれて感謝する。時に、これは私たちが使ってもいいのかな?」
王の目がさりげなく光ったように見えた。
「えぇ、ですがもっとよく効くものも作れます。今回は一度帰りまして、後日でもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ!」
破顔する王を見て、クラウドは改めてエリーを尊敬する。
「すごいな」
「そうですね、素晴らしい薬師です」
横で同意する宰相も嬉しそうだ。
(侯爵令嬢というだけで暮らしていけるというのに、たくさんの人の役に立とうとする……それを奪う権利、誰がある)
クラウドはエリーを王子妃候補として縛り付けようとした自分を恥じた。
(レイバン様は明るく振られたと言っていたが、きっとエリーのことを理解した上で判断したのだろうな……)
クラウドは反省する中で、それでも抑えられない思いを懸命に自制していた。
「エリー、我が国の王子の妃として嫁に来ないか? 身分的にも問題ないし、両国の絆も深まって良いことづくしだ」
突然の王の提案に、エリーは眉を寄せて何か考えてから口を開きかけたがクラウドがそれを邪魔する。
「駄目です!」
クラウドは自分でもびっくりするほど自然な止めに入っていた。
「それは、クラウド殿が自国の王子妃候補を探していることと関係がありますか?」
「まさか、そのために追ってきたのですか? 私はきちんと断りました」
エリーはクラウドにも眉を寄せる。
「知っています。レイバン様から聞きました」
「では、どうしてクラウド様がここに来たのです?」
エリーはクラウドの来た目的を勘違いして受け取ってしまった。
「自国の王子を袖にし、他国に嫁がれては体裁が悪いからですか?」
余計なタイミングで宰相が口を挟むので、エリーの皺がまた増える。
「私は結婚まで役に立つという理由で――」
「違う! エリーが役に立つから来たのではない。政治的にとか毛に役に立つからだとかではなくて、俺が一番エリーを必要としているからここに来た」
さり気なく暴言が含まれているが、クラウドの思いがけない告白にその場にいた誰もが固まった。
「……それは、胃の薬が欲しいからですか?」
「エリー、あなたは言ったじゃないか。薬よりも大切なのは安らぎだと」
今はエリーに振り回されているが、それでも二人で過ごした安らぎの時間をクラウドは忘れられない。
それがきっと何にも勝る、確固たる答えだろう。
「クラウド様は穏やかで、こんな風に必死で追いかけてきてくれるなんて思ってもみませんでした。帰りましょうか、みんなを心配させていますし」
エリーはクラウドに明確な返事をしなかった。だが、冷静な言葉運びとは裏腹に顔どころか首あたりまで真っ赤に染めている。
「エリー殿……」
残念そうな王にエリーは大丈夫と微笑む。
「嫁でなくても薬は薬師としてお届けしますから。お大事に」
少し毒を含んだ言い方なのは、エリーの静かな怒りともとれる反論だったのかもしれない。
クラウドとエリーは王宮を辞して、馬で侯爵領へと帰る。
「怒っていないのですか? 騙していたことを」
ふいにエリーが尋ねてくる。
「俺にそんなことを言う権利はないだろう? 言いたくない原因を作っていたのだから」
「そうですか……」
それきり二人の間には沈黙が流れる。
だが、それは不思議と気まずいものではない。
クラウドは勢いでした告白に何の反応も返っていないことを多少気にしていたが、元々期待していなかったのであまり落ち込まずにすんでいる。
二人はそのまま馬を走らせる。
「私が黙っていたのは、好感を持った人に他人との結婚を持ちかけられたくなかったからですよ」
砦の手前でエリーがぽつりと呟く。
「えっ……好感?」
「そうですよ。人のことを素直に褒めることができて、自分の立場におごらない。それに花まで摘んでくれる気遣いとか……私、そんな男の人知りません!」
馬に乗っているため、エリーに近寄ることができないのをクラウドは悔しく思う。
だから、砦を通るために馬から降りたエリーをクラウドは思わず引き寄せてしまった
「エリー!」
クラウドがエリーの手を引いたのは一瞬だった。
風のような早さで間に割り込んで来たのはこの領地の領主であるゴルト=フレデリック侯爵。よく見れば、砦には見知った顔が集合している。
「心配させるんじゃないよ」
「大丈夫だとは思ったがな」
家族に囲まれたエリーは、さすがに申し訳なさそうに謝っている。
「やぁ、クラウド。ご苦労様。無事に戻って来られて何よりだよ。でもまだ仕事は終わりじゃないだろう」
当然のように現れたレイバンは侯爵たちが集まる方へクラウドを促す。クラウドは一瞬迷いながらも押し出されて歩み出る。
「こ、侯爵殿」
声が少し上ずったことに動揺したクラウドは、一度息を整えるために言葉を切る。そうすると、侯爵がしみじみとした面持ちで続きを遮ってきた。
「レイバン様に結婚相手はクラウド様でどうかと言われて迷っていましたが正解だったようですね」
「な、なんて話を……勝手にしているんですか!」
知らされた事実にクラウドはレイバンへ詰め寄る。
「いいじゃないか上手くいって。これで側近すべての婚姻が決まったな!」
「……どういうことですか?」
クラウドは怪訝そうにレイバンを窺う。
「王子妃候補とみせかけて、自分たちの嫁候補作戦は成功だな」
「ま、まさか、最初から……」
「もちろんそのつもりで選んだ。好みも完璧だっただろう。これで妃候補を部下に奪われた哀れな王子の出来上がりだ――あぁ、心配するな。処罰や邪魔などはさせないから」
「そんな……」
知らない間に進められていた計画にクラウドは呆然としてしまう。
「これは貸しだからな。キリキリ働いてもらうぞ」
「今までだって十分……うっ、イテテテテ」
ついに耐えきれなくなってクラウドの胃が痛みだす。今まで忘れていたが、薬をずっと服用していなかったからだろう。
「クラウド様、薬を用意するのでこちらへ」
「あぁ、すまない」
エリーがクラウドの背にさり気なく手を添えてくれる。じんわりと伝わる熱は、胃痛を少しだけ和らげてくれる。
「候補令嬢エアリル、クラウドは大切な側近だ。これからもよろしく頼むぞ」
「……はい、努力はしますわ。でも、あまり困らせないであげてくださいね」
「これから……努力? 薬師として?」
クラウドは胃痛に顔を歪める中、重要な会話を聞いてしまう。だから、尋ねずにはいられなかった。
「本当に私で安らぎを得られるなら……休みながら考えてください」
考えるまでもなくクラウドの答えは一つ。だが、周囲の目に気が付く。
(答えは……目覚めた後二人きりのときに)
クラウドはエリーに付き添われてその場を後にする。
「エリー様は穏やかな人が好きですが、それだけじゃ物足りないと思っていました。何せ一族が一族ですから」
うっすら意識が戻ってきたクラウドの耳に届いたのはウェズの声。彼は納得していないのかとぼんやり思う。
「あら。ウェズが気に入らないのは、もし私が王都へ行ったらリズも連れていかれるかもってところでしょう」
クスクスと笑うエリーの声はやはり耳に優しいとクラウドは再び沈みそうな意識をなんとか現実に引き留める。
「でも本当に穏やかなところが好きになったのですか?」
リズもいたようで、エリーは二人に責められている。
「ふふっ、クラウド様はあぁみえて。ううん、秘密」
「なんですか、気になります!」
「隣国の王宮で……う~ん、やっぱり秘密」
クラウドは王宮で王に向かって意見し、告白までしてしまったことを思い出す。それが、エリーの琴線に触れたようだ。
「じゃあ、この先の言葉に期待します。絶対、聞き逃しませんから」
「そろそろ目覚めるでしょうから楽しみです」
従者二人の過剰な期待に、クラウドは胃が痛くなるだろうと予想して身構える。
「クラウド様の胃に負担をかけるようなことは駄目よ」
嗜めるようなエリーの声にクラウドは胃痛が消えていくのを感じる。
「やっぱりエリーだ」
薬よりもよく効くエリーの言葉にクラウドは再度実感する。
「あっ、お目覚めみたい。大丈夫ですか?」
扉が開き、エリーが現れる。
「やはり、エリーしかいない」
突然のクラウドの言葉は皆が期待するように激しく情熱的ではなかったかもしれないが、エリーは深く微笑みクラウドもつられて笑う。
望んでいた穏やかな時間が今、流れはじめた。




