17、薬の組成
「あの子は隣国にも客がいたからな……往診という可能性がある」
「そうですね。そう……」
自らを落ち着かせるように侯爵は何度も頷いている。
「アージェントヴィル殿、エリーは往診かばんを持って行ったのですよね?」
クラウドは往診の可能性であることを信じたいと、それを裏付ける事実を尋ねてみる。
「えぇ、そうです。それと、引退した今はアーヴィンで通っていますのでそちらで呼んで欲しい」
「はぁ……それで、エリーの居場所はわかりましたがエアリル嬢は?」
「んっ? エリーがいるところにエアリルがいる」
そんな当然のように言われても、クラウドが知る筈もないと説明をはぶくアーヴィンたちに不満を抱く。しかし、レイバンはそう思わないようで何やら感心した面持ちをしている。
「王子を放って薬師の仕事か……さすが申し出を堂々と断ってきただけはあるな」
「申し出を断る? いつそのような話を! というか、会ったのですか」
クラウドはついレイバンに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ってしまう。
「会ったが、なぜクラウドに言わなくてはならない? お前も会っているだろう」
「えっ? それはどういう意味で……」
混乱する頭の中で、いくつもの情報が組み合わさっていく。
(エリーとエアリル、森へ行く、侯爵や使用人たちとの付き合い方……それに令嬢のことを話したときの感じ、そしてアーヴィンやレイバンの発言……)
ようやく、クラウドは答えに辿りついた。
「エリーが、エアリル? エリーは侯爵家令嬢のエアリル嬢なのですか?」
「やっとわかったのか。こっちはエアリル嬢にしっかり断りを入れられていたのに、クラウドはのんきに嫉妬だからな、まったく」
呆れているようで、その実楽しんでいるレイバンがにっと口の端を上げて笑う。それに申し訳なさそうに侯爵が頭を下げる。
「エリーが何か考えているのかと思って余計なことを言わなかったのです」
「私もエリー様から口止めされました。エリーとしてもうしばらく接したいと言っていました」
クラウドはエリーがリズに何か囁いていたのを思い出す。
ずっと会いたい、会わなくてはと思っていた人物は侯爵領に入ってはじめに出会っていたのだから驚きだ。
「エリーがエアリル……」
未だ信じられない心地のクラウドだが、事実は変わらない。それに、エリーがいなくなった理由もまだはっきりしない今、ぼおっとしている時間はなかった。
「すぐに隣国に行って確認を」
「大げさに動いて刺激してはならんぞ」
アーヴィンの助言に侯爵はまた考え込んでしまう。
「では、ウェズでは駄目ですね。間者の疑いがかかる可能性がある」
「ですが、情報を集めることができる者で万一のとき動ける者でなくてはならないでしょう」
ユアンも妹を見つけるために案を練っているようだが、人選が難しいらしい。
「本当に往診だけならいいが……無事でいてくれ、まだエリーについて知らないことばかりだ。痛っ」
クラウドの胃がいつも以上に痛む。思わず膝をついてしまったクラウドは慌てて立ち上がろうと足に力を入れる。
「薬は飲んだのか?」
レイバンに言われて、クラウドはエリーからもらった薬が前回飲んだ分でなくなってしまっていたことを思い出す。
「……もうありません」
「クラウド様の薬も切れていましたか。邸にある分もちょうどなくなってしまい……」
「だから森へ来たのか。そろそろエアリルの仕事もしなければと言っていたから診療所に来るのはおかしいと思っていた。そう考えるとやはり急に往診とは……何かあるかもしれない」
「父上!」
侯爵が思い余ってアーヴィンを呼ぶ。
「あくまで予想だ。エリーは患者がいればどこまでも進んで行く。今回もそうかもしれん、さっさと方針を決めろ」
「クラウド」
エリーの無事を祈ることしかできないと静かに成り行きを見守っていたクラウドに声がかけられる。その声は、場にそぐわず少しだけ弾んでいた。
「自分の薬は自分でとってこい。それとも、薬ではなく嫁か?」
「な、な、何を」
「当然のことだろう? エリーを助けたいのだろう?」
もうレイバンの中では、エリーは誘拐さられたことになっているらしい。
「もちろん助けたいですよ」
「ならいいじゃないか。クラウドが一番適任だろうしな」
「ほう……それは」
アーヴィンが興味深そうにクラウドを見つめてくる。クラウドは自分が適任と言われる最たる理由がわからないため、見つめられても困るばかりだ。
「クラウドは見た目がどう見ても屈強ではないし、腹黒で狡猾そうでもない。だからまず間者などと警戒されない」
「なるほど」
レイバンの言葉を受けて、場にいる者の視線がクラウドに集まる。上から下まで見回されてクラウドは居心地が悪い。
(なるほどって……どうせ俺は弱そうだよ)
実は結構言われることが多いこの言葉は、クラウドをそれなりに傷つけている。そんなクラウドの心情を察したのか、それとも気の向くままなのか、レイバンがクラウドの肩を叩く。
「これは喜ばしいことだぞ、クラウド! その見た目のおかげで名誉ある役目につけるのだからな。さらわれた女性を助ける! これこそ男のロマンじゃないか?」
レイバンは意外にもロマンチックな一面を持っていて、大いに盛り上がっている。
「ですかレイバン様、危ないことがあっては困るのでは?」
侯爵はクラウドを心配しているようでいて、実は娘をクラウドが無事に助けられるのかと疑っているようにも見える。
「大丈夫だ、ゴルト侯爵。こう見えてクラウドは中々の腕前なんだ」
「散々付き合わされましたからね」
クラウドは幼い頃の無茶な特訓を思い出して遠い目をする。
「こうなると、クラウドが行かない理由などないだろう? それとも怖くて行けないか? 胃が痛むから寝ているか? それなら王子として動くぞ――」
「うわっ、国を巻き込む争いになります! 止めてください」
レイバンは行くと言えば本当に行くことをわかっているので、クラウドは慌てて止める。
「なら、さっさと名乗りを上げろ。本当なら、話もろくに聞かずに隣国へ走りだすのがお約束だぞ。まぁ、そこはクラウドの冷静な判断力ということで許してやる」
「はぁ……お約束と言われても。ここでいきなりでしゃばるのもどうかと……」
家族がいるからとクラウドは言い訳する。
「考えるより動け!」
レイバンの命令にも聞こえる声にクラウドは背筋を伸ばす。
「行ってきます」
クラウドは言われた通り、考えるより先に動いた。それは、長年仕えた主人が破天荒ではあるが最終的に間違ったことはしないことをよく知っているからだ。
「準備を手伝います」
リズとウェズがクラウドの後を追って、後は突然の展開にしばし沈黙が流れた。
「いやー、エアリルとクラウドの組み合わせはどうかと持ちかけ、ゴルト侯爵にも王子よりはと若干失礼な前向き意見をもらっていたのだが……まさかこんなドラマがあるとは。こちらの計画の上を行くな」
「ドラマどころかトラブルですよ!」
さすがの侯爵も娘のこととなると穏やかな笑みは保てないようで、変わり者を返上し父親の顔になっている。
「心配しなくても大丈夫だろう。エリーは敵には容赦しない」
「そうですね。麻痺する薬、眠らせる薬、毒もある……っとそれは冗談。毒などという危険なものは命を救う者としてエリーは許さないだろうし」
穏やかながらも黒さが垣間見える侯爵が戻ってきた。
「うむ、それでもし何かエリーの身にあったら……総力を上げて叩き潰せばいい」
「平和だからって、こっちはボケていないからね」
侯爵一家の会話が段々と怪しくなっていく。
「頑張れよ、クラウド」
レイバンの応援は茶化したものではなく、色々な意味を含んでの本物だった。