14、医者は子どもにとって怖いもの
焦っているときほど時間が経つのは早いもので、クラウドが最後の足掻きをする前に王子到着の一報が届いた。
忍んで来た苦労は一体どこへと感じるほど堂々と現れた一行に、クラウドはどっと疲れてしまう。
「やぁ、クラウド。久しぶりの再会だ、クラウドの胃が痛くなるという説教は聞けなくなると寂しいものだったぞ」
数人の護衛が後ろに控えているが、その誰もが疲れ切っていて道中の苦労を伺い知ることができる。
「レイバン様、どうしてここへ?」
「自ら視察に来ただけだ。他のところへも行ってきたぞ」
「……他のところとは?」
嫌な予感しかしないが、クラウドは尋ねるしかない。
「もちろん、数人挙げた女性たちのところだ」
自ら交渉に乗り出したのかとクラウドは驚くが、護衛の切実な叫びによってさらに驚かされることとなる。
「殿下、せめてここでは大人しくしていてください。もう三人と破談になっています! ここが最後の砦です」
「ふむ……隣国との最後の砦と掛けているのか。中々、いいぞ」
護衛の言葉は王子にはまったく届いていない。
「ちょ、ちょっと待ってください! 三人と破談だなんて、何をしてきたのですか」
「何も、いつも通りに振る舞っただけだ」
悪いとなど欠片も思っていない主にクラウドは頭を抱える。
「あぁ、そんな状況で俺に一体どうしろと……各地に派遣されていた者たちはどうしていますか?」
一緒に着いてきていないところを見ると、先に王都へ帰ったのかもしれない。
「みんな、クラウドと似たような反応をしていたぞ。だが大丈夫だ。最終的にはすべて丸く収まった」
「丸く収めたのでしょう、無理矢理……」
痛む頭と、今にも暴れだしそうな胃を押えてクラウドはため息をつく。
「みんなよければそれでいいじゃないか。そんなに悩むとまた胃が痛くなるぞ」
「誰のせいだと思っているのですか!」
「なんだ、カリカリするな。あぁ、胃のことを言われるのが嫌だったよな。なら、悩みすぎるとハゲるぞ?」
「余計なお世話です!」
いつものやりとりにクラウドはついここが侯爵領で、領主の挨拶がまだであることを忘れてしまう。
「このような田舎にようこそいらっしゃいました」
忘れ去られていた侯爵が一歩歩み出て礼をとる。
使用人たちも遠巻きからそれを見守っていて「やっぱり見目美しいわね」「うちの姫様を迎えに来たの?」など様々に囁き合っている。
「おおっ、フレデリック侯爵に会うのは二度目だな。相変わらず腹に一物を抱えていそうな笑顔だな」
「覚えていただいていて光栄です。一物くらい持っていなければレイバン様に覚えていていただけないでしょう?」
侯爵は王子に向かって笑みを深くする。
「こういう領主の地は面白いからな。今回の目的は色々あるが、楽しませてもらえそうだ」
「ご期待に沿えるかはわかりませんが、精一杯もてなさせていただきます」
丁寧な対応をしてくれる侯爵にクラウドはこれから起こるだろう面倒を想像して、申し訳なくなってしまう。
「では、さっそく――」
「レイバン様!」
「なんだ、ちょっと聞きたいだけだ。ゴルト侯爵、前侯爵のアージェントヴィルはいないのか?」
キョロキョロと周りを見渡す王子は、伝説的な人物である前侯爵を探しているようだ。
「今は隠居の身として、静かな場所で生活しています」
「そうか。ほとんど記憶もないような幼い頃、一度剣を教えてもらってな。あれ以来、鍛えるのが趣味になってしまったからぜひ会いたかったな」
鍛練の相手になれと幼少時に追い回されたことをクラウドは思い出し、余計なことをしたのは前侯爵かと逆恨みする。
「少し離れたところに住んでいますので……」
柔らかくではあるが、断りを入れられた形になったためクラウドはレイバンが怒るのではないかとハラハラしていた。
「そうか、まぁ仕方がないな」
クラウドの予想は外れて、王子の機嫌はとても良い。
(これなら令嬢に会っても印象は悪くない! 他が断られたのだから、ここは頑張らなくては)
気合いを入れたクラウドだが、令嬢が現れる気配はない。
「それで、クラウド。書簡は呼んだか?」
「……はい」
「では、首尾はどうだ?」
まさか、まだ会えていないとは言えず、けれど嘘を付くこともできずクラウドは黙り込む。
「どうした? 何か言いにくいことでもあるのか?」
レイバンはすべてお見通しとばかりに目を輝かせている。
「言いにくいことなど……実は――」
「令嬢と恋に落ちてしまったとかか?」
「はっ?」
クラウドが正直に伝えようとした言葉を遮って、レイバンは斜め上、いやそれ以上の予想を立ててくる。
「遠慮しなくてもいい。そうなるのではないかと思っていたんだ」
「あの、その……何ですか、その話は?」
勝手に話を進めるレイバンにクラウドは困惑するしかない。
「照れるな、照れるな」
会ったこともない相手と恋に落ち、照れることなど不可能とクラウドはなんとか誤解を解こうと言葉を探す。
「これは、何か騒がしいときにお邪魔してしまったようですな」
わざとらしい大声で場の雰囲気を壊したのはアーヴィンだった。後ろにはエリーも控えている。
「んっ? 誰、だ?」
「診療所を開いている、アーヴィンと申します」
「ほぉ……噂は知っている」
レイバンの興味はアーヴィンに移ったようで、クラウドへの意味のわからない追及は終わりを告げた。
「えっ、噂とは?」
クラウドは自分がまったく知らない噂をレイバンが知っているということに納得がいかない。
「こちらも色々と聞いていますよ」
「どうせ悪い噂だろう」
王族相手にもまったく態度を変えないアーヴィンにレイバンは笑っている。
「さぁ、判断するのは聞いた人間ですから」
「なら、アーヴィンだったか? お前はどう思う?」
「それは……王子、レイバン様がここに何をしに来たかによります」
ふと二人の顔が真面目なものに変わる。
「珍しい薬花があると聞いてね」
今日のレイバンの言うことはさっぱりわからないと、クラウドは戸惑いっぱなしだ。
「それはご自身用にですか?」
「さぁ、どうだろうな。とっておいて自分のものにしてもいいし、必要ならあげてもいい」
「左様ですか……聞いたところで簡単に差し上げませんけどね」
アーヴィンの鋭い目線がレイバンを射ぬく。
「ケチだな。本当に必要としているかもしれないだろう」
「少なくとも、殿下は必要としていないでしょう?」
二人は何かをわかり合ったように顔を見合せて笑う。
会話に着いていけないクラウドがエリーを見れば、なぜか不快そうに顔を歪ませている。
侯爵はハラハラした面持ちで状況を見守っている。
妙に威圧感のある診療所の主の出現でクラウドはレイバンに侯爵令嬢のことを話すタイミングを完全に失ってしまい、いつ切り出していいか今度は悩むこととなった。