1.婚約破棄は却下
午後の光がさんさんと降り注ぐ神殿の中庭で、わたしは長年の婚約者と向かい合っていた。
「来月には君も学園を卒業ですか。感慨深いですね。初めて会ったときは俺の眼に入れても痛くないほど小さかったのに」
「そんな人外のサイズだったことはありませんね」
「俺も歳を取るわけです」
「まだ二十三歳なのにもうおじさんじみてる……」
「十八歳の小娘が俺に無礼な口をきくのはやめてください」
「小娘呼びは無礼じゃないという常識の国から来たんですか?」
「おや、俺が王弟であることを疑うと? 不敬罪で投獄しますよ」
「あいにくわたしの聖女権力のほうが強いので……、泣くのはあなたのほうになりますね、ジェラルド様」
「はぁ……、早く次の聖女が現れてほしいものです。そのときには君からすべての力をはぎ取って無力な小娘に堕とした上で、俺の箱庭で何不自由ない暮らしをさせてあげますよ」
「毒舌と甘言を一緒に出したら中和されると思ってます?」
ジェラルド様はにっこりと笑った。
もう九年の付き合いになる婚約者だけど、相変わらず本心が見えない───顔の良さに反比例しているかのごとく口が悪いことだけはわかる───人だ。
「ところでモニカ、君の卒業後のことですが……」
ジェラルド様がすっと眼差しを真剣なものにして切り出した。
わたしも姿勢を正した。今日のお茶会はこの話だろうとわかっていた。わたしが学園を卒業したらジェラルド様と結婚する。それは婚約が決まったときから予定されていたことだ。
だからわたしは、勇気を出して尋ねた。
「ジェラルド様は、わたしのことをどう思っていますか?」
「……どう、とは?」
「一人の女性として見られそうでしょうか?」
「……まぁ、結婚したら、いずれはそうなるんじゃありませんか」
「今すぐキスしたい、寝室に連れ込んでアレコレしたいと思いますか?」
「まっっったく思いませんね。君の卑猥な愛読書は燃やしてやりたいと常々思っていますが」
「わかりました。婚約は破棄しましょう」
「俺が君に淫らな真似をしないという理由で? いいですか、モニカ。君が周りのシスターたちから借りたという卑猥な恋愛小説は現実には起こりえない妄想上の産物で」
「卑猥卑猥ってやめてください。いつもいいところで途切れて次のシーンでは朝が来てるんですよ。わたしはもっと詳しい描写が読みたいのに!」
「……そこまで書いてある本を君に貸し出していたら俺はシスターたちを全員処刑台送りにしていましたよ……」
ジェラルド様が頭痛に耐えるように額を抑えながらいう。
わたしは紅茶を一口飲んだ。実際のところジェラルド様にそんなことはできない。わたしの聖女権力のほうが強いからだ。わたしという聖女の意思は、この国で何よりも優先される。……全然嬉しくないけど。
※
事の発端は、十数年前、先代の聖女が失踪して国が傾いたことにある。
わたしは先代に会ったことはない。だからこれはすべて聞いた話だ。
先代の聖女は虐げられていた。
代々聖女の祈りによって守られていた国だというのに、平和に慣れ切った人々は感謝を忘れ、聖女への敬意をなくしてしまった。酷使された聖女はやがて国を捨てて出て行った。行く先は誰も知らない。残された国と民は神の怒りを受けた。嵐は何十日も続き、大地は割れて、魔鳥が空を埋め尽くした。この国はもう終わりだと誰もが思ったという。
けれど、ある日、襤褸切れのような子供が神殿を訪ねてきた。
「ここにいきなさいという声がずっとしているから」
そう疲れきった顔で呟いた子供は、全身から淡い輝きを放ち、その手には聖女の証である聖痕が浮かんでいた。
───これは神が我々に与えてくださった最後のチャンスだ。
当時の大神官はそう断言し、子供を保護すると同時に手厚くもてなして、新たな聖女の望みをすべて叶えるようにとお触れを出した。
その聖女がわたし、モニカ・レイスローだ。
国が傾いていた当時、わたしは十歳で、王都の孤児院で暮らしていた。赤ん坊のときに捨てられたので親の顔も知らない。先代の聖女が消えた後、嵐のせいで孤児院の屋根は吹き飛び、店頭から食べ物は消えて、面倒を見ていた年下の子供たちは泣き続けるという大変な状況だったのに、突然へんな声は聞こえてきたのだ。そのうえ身体は光り出すわで、なにこれ!? という感じだった。神殿で聖女だといわれたときもなにそれ? と思っていたのだけど、あれよあれよという間に聖女様とあがめられる立場になり、その後、親を自称する人たちがどっと神殿に押し寄せるようになった。最悪だった。
神さまの声とやらはあのとき以来一度も聞こえていないけれど、実際、わたしが『聖女様』の地位に収まってから気候は安定し、地割れも収まり、魔物の数も減った。
おかげでわたしを利用したがる人間はどっと増えて、神殿は対処に頭を痛めるようになった(ちなみに先代の聖女を虐げた人たちは全員すでに命を落としていた。死因はさまざまだったけれど、神の怒りに触れたのだといわれていた)
───聖女の機嫌を損ねたらどんな報復があることか。己の命を奪われ、国も傾くだろう。
そんなこの世で最も危険物・取り扱い厳重注意な聖女だ。下手な人間と親しくなっては困る。お偉方はそう判断したのだろう。十歳のわたしの前に生贄のように差し出された婚約者、それが当時は第二王子だったジェラルド様だ。
初めての顔合わせのとき、ジェラルド様はわたしを見て露骨に顔を歪めた。そして深くため息をついた。わたしがびくりと身体を震わせると、ジェラルド様は忌々しそうな顔をして……。
※
「聞いていますか、モニカ?」
「えっ、あっ、はい。婚約破棄の話ですね?」
「違います。仮に俺との婚約を破棄したら、君はその後どうするつもりなのかという話です」
「それはもちろん真実の愛を探します」
「はぁー…………。この中途半端に箱入りで生真面目で聖女の務めに忠実なせいで夢見がちな妄想癖だけが育った小娘が」
「暴言で訴えて勝ちますよ」
「なんですって? 真実の愛?」
「わたしを好きになってくれる人を探すんです。キスがしたいと思ってくれる人を!」
「……で? 好きな男がいるんですか」
「これから見つけます」
「はぁー…………。いいでしょう、わかりました」
「……っ。……それじゃ、婚約破棄の手続きを」
「婚約は破棄しませんよ。ですが、君の意思は尊重します。どうぞ男漁りにふけってください」
「───? 婚約したまま新しい出会いを探したら不貞行為ですよ?」
「この国で君の望みは最優先事項です。それに俺が君の後見人代わりに婚約を結んだことは広く知られた事実ですから。君が見目麗しい男を聖女の権力に任せて何人囲い込もうと問題ありません」
「名誉棄損で訴えます。それにジェラルド様と婚約したままじゃ出会いだってないじゃないですか!」
「婚約を破棄したら出会いが訪れると? それはあまりにも考えが浅いのでは? 君は生真面目に朝から晩まで聖女の務めを果たして、そのうえ毎日数時間は信徒たちの話を聞いてやるという理想的な聖女ぶり。そんなだから妄想癖だけ育つんです。俺が何度も街へ遊びに行くよう勧めたのにまるで聞く耳を持たなかった君が、婚約を、破棄したくらいで、新しい男と、出会いが、ある、と?」
ジェラルド様が一言一言区切って強調してくる。
わたしはぐぬぬと唸りながらも美形の婚約者を睨みつけた。ここで言い負かされてなるものか。好きな人に保護対象としか見られていないことを知りながら、何食わぬ顔で結婚なんてできない。ジェラルド様に幸せになってほしいから……なんて綺麗事はいえない。わたしはただ、いずれこの人が責任感でわたしに触れてくるのだと思うと、耐えがたい気持ちになるだけだ。
「婚約破棄してもしなくても出会いがないなら、せめて不貞をしない人間でいたいんです!」
「婚約していれば出会いがありますよ」
そんな馬鹿な。
まじまじと見返したわたしに、ジェラルド様は薄い青の瞳を細めていった。
「俺が紹介して差し上げましょう。君の伴侶となるにふさわしい男をね」
ずっとシリアスな長編を書いていたのでラブコメが書きたい~!!!となって書きました。
全7話予定。サクッと終わる予定です。




