後編
カレンの行動が世に知れるようになってくると、疑問視されるのはギルバートの行いだ。「従姉妹の真似ばかりする婚約者を諌めようとして、つい手が出てしまった」と言い訳していたのに、そもそもその婚約者が真似をしているのではなかったとすれば、ではなんのために婚約者を叩いたりしたのか?
彼の苦しい言い訳は二転三転しているらしく、どんどん彼から人が離れていく。素直に「カレンの言うことを鵜呑みにして自分の婚約者を誤解してしまった」と認めればまだ世間も呆れるだけで軽蔑されるまではしなかったろうに。
「リリー」
「……メドーズ様」
食堂でギルバート・メドーズが声をかけてきた。私は家名を強調して呼んでやった。
「リリー……。もうギルバートとは呼んでくれないんだな」
「当たり前ではないですか。メドーズ様も、私を名で呼ばないでくださいませ」
家名と敬語を使ったらギルバートは悲しそうに肩を落とした。
「……オーセベリー嬢。ちょっと、いいかな」
「……なんでしょう?」
「ここでは、ちょっと……」
「席を移さなくてはいけないような内容の話なら、父か兄を通してお願いします」
イザベルとモリーも大きく頷き、私を庇うように立ちはだかった。
「そ、そんなことではない、数学でわからないところがあるのだが、皆の前では恥ずかしくて」
「教師にお聞きくださいませ」
「いやその、君が書いた論文についてなんだが」
「まあ。理屈っぽく小賢しい女の論文など、どうぞお気になさらず」
ギルバートは黙り込んだ。が、卑屈な作り笑いを浮かべると、手にしていた紙を差し出してきた。私の論文の写しだ。
「いや素晴らしい内容だったから。だがこの部分の根拠が甘いのではないかと思ってね」
私は鼻で笑った。「素晴らしい内容」などと言う割に、その内容を理解していないことが露呈していたからだ。人間、理解できないことがあるのは当然だが、それをあたかも理解したかのように振る舞い論拠のない言いがかりで貶めようとするなら黙っていない。だから私は、その部分の論拠を説明してやった。
「……と、いうことです。お分かりいただけましたか?」
「……」
お分かりいただけなかったのだろう。私は畳み掛けた。
「メドーズ様が、こんなに数学に興味がおありとは存じませんでした、メドーズ様は、文芸を専攻しておいででしょ?」
「え?」
彼は心底驚いたという顔をしていた。
本当は私は、彼が自分の父親を尊敬しているのを知っていた。彼の父親は数字に強い人物で、会計係として重宝されているのだ。しかしギルバートはあまり数学が得意ではなく挫折し、文学に転向した。それならそれで構わないのに、彼の言い訳はいつも同じ。
「そ、そうさ、数学もいいが、文芸が楽しくなってしまってね、それで文芸を学んでいるのさ」
ギルバートは乾いた笑いをあげていたが、すぐに私をちらりと見て、もごもごと呟き始めた。
「でも、君が数学を志したのは、僕のその……、苦手をカバーして支えたくて……」
「え?なんですの?よく聞こえませんわ」
「いや……。何故君が急に数学を始めたのか気になってね」
「あら、せっかく隣国へ行きましたので、科学分野全般を始めたのです。数学はその中で、たまたま得意で向いていたというだけなんですのよ」
ギルバートは何故かショックを受けた顔をして、ふらふらと背を向けて去って行ったのであきれてしまった。
「まったく、何がしたいのかしら。理解に苦しむわ」
最近はすっかり崩れた口調でイザベルに話しかけると、彼女とモリーは顔を見合って苦笑している。
「そうねえ、メドーズ様はただ単に、リリーと話がしたかったのだと思うわ」
「……え?なんでまた今更?」
二人は顔を見合わせて含み笑いした。
「さあ、どうかしら。双方納得の上の円満婚約解消だったと世間にアピールしたいんじゃない?もしくはあなたにアピールしたいのかも?」
「え?円満解消だったわよ?アピールの必要ないと思うんだけど」
こちらから解消を持ちかけようかと考え始めていた時だったのだし、頬を叩かれなくてもいずれは解消することになったと思う。
だが、イザベルとモリーは爆笑した。
「リリーの頭の中は、数字でいっぱいなのかもしれないわねえ」
「いいのよ、そこがリリーの良いところよ」
褒められているのか貶されているのか分からない。また私が拗ねると、二人は例のカフェのケーキをご馳走してくれた。甘くて可愛くて幸せだ。我ながら簡単な奴だと思う。
長期休暇が近付いている。最近カレンの姿を見ないが、休暇の前には全校で式典がある。さすがにその時には出席すると思われる。私は、実は数学の論文が評価されて受賞したので、その式典で披露することになっている。ぜひカレンにもギルバートにも、その姿を見てもらいたいと、ちょっと楽しみにしている自分がいる。
ところがそのギルバートから、またもや食堂で話しかけられた。
「君、その、休暇前の式典のパートナーは、どうするんだい?」
「……は?」
式典ではパートナーと出席する学生も、いるにはいる。だが、私はイザベルとモリーと共に出席する予定だ。モリーには婚約者がいるが遠方にいて出席できないし、私とイザベルには婚約者はいない。
「誰と出席するんだ?君、正式な婚約者はいないのだろう?」
正気を疑う発言を平然とするギルバートに、逆に私は冷静になった。
「ええ、誰かさんのおかげでね。あなたの口からそんな言葉を聞くなんて神経の在りどころを問いたくなりますけれど、どうぞご心配なく。式典は友人らと出ますし、婚約に関してはありがたいことに複数、お申し入れをいただいておりますので、父と兄が厳選している最中ですわ」
「き、君はそれでいいのか?家族が決めた相手と……」
「当たり前ではないですか。何をおっしゃりたいのか全く分かりませんが、父も兄も、カフェで令嬢の頬を叩くような男を二度と選んだりはいたしませんからご心配なく」
ギルバートは奥歯を噛むと踵を返した。
式典では壇上に呼ばれ、本校初となる受賞を発表されてトロフィーを受け取った。鍛えた歩き方と礼を披露して喝采を浴びた。イザベルたちも我が事のように喜んでくれたし、駆けつけてくれた家族にも晴れ姿を見てもらえたし、母の目に涙を見た時はもらい泣きしてしまった。いい日だった。
さてと。私は名誉を回復することができたし、あの二人の評判は地に落ちた。このまま本国にいても良いのだが、私の噂を信じたり悪口を言っていた人々も居心地悪いだろうし、私だってやりづらい。直接謝罪をしてきた者たちもいた。私の悪評を鵜呑みにしてきた顔も知らない人々も、「根拠のない噂など簡単に信じるものじゃない」と省みただろう。だから、もういい。煩わされまい。
それに、カレンとギルバートがこれからも爪弾きにされ、ずっと小さくなっていれば、そのうち「もういい加減可哀想だから許してあげなさい」とか「親戚同士なんだから仲良くしないと」などと言い出す者たちが出てくるに違いない。隣国に行くなら余計なことを言われる前の、表彰を受けた今だろう。
できるだけ早く隣国へ出よう。長期休暇が終わっても、少なくとも学園にはもう戻ってこない方がいい気もする。家族や、イザベルとモリーと離れてしまうのは残念だが、彼女たちは休暇中に訪問してくれることになっている。一緒に過ごしたいところがたくさんある。可愛いカフェとか。ゆっくり楽しんで、それから歩み出せばいい。
私は荷物の箱の一番上に、数学のトロフィーと件の髪飾りをのせて、蓋を閉めた。
お読みいただきありがとうございました。




