表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
"誰でもできる仕事"をしていた私が辞めたら、会社が止まった【連載版】  作者: 霧原 澪
一人総務 ―『誰でもできる仕事だから』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/23

第1話「誰でもできる仕事」

短編「"誰でもできる仕事"をしていた私が辞めたら、会社が止まった」

ご好評いただきありがとうございます。


連載版をスタートすることといたしました。

章ごとに主人公が変わるオムニバス形式で様々なストーリーを描いていきます。


第一章は短編のリメイクとなります。

完全新作は第二章からとなりますのでよろしくお願いいたします。

「辞めます」


 と言ったとき、部長は鼻で笑った。


「急だな」


 それだけだった。

 七年間、この会社のためにやってきたことへの言葉は、たったそれだけ。


「まあ、引き継ぎだけちゃんとやってくれ」


 部長はパソコンの画面に視線を戻した。

 私の退職届を、引き出しに放り込んで。



 総務部、と名前はついているけれど、部員は私一人だ。

 社員百二十人の中小メーカーで、総務に人を割く余裕はないらしい。だから全部、私がやる。


 朝は八時十五分に出社する。

 まず給湯室のコーヒーメーカーを動かして、来客用のお茶の在庫を確認する。足りなければ発注をかける。お茶の銘柄は三年前に専務が「これがいい」と言ったものを変えていない。備品業者の担当の山下さんの名前も、締め日も、最低発注数も、全部頭に入っている。


 九時半、来客対応。

 会議室の予約状況を確認して、お茶を出して、終わったら片付ける。営業部は直前に予約を入れてくるし、開発部は予約せずに使う。私が毎朝ホワイトボードを書き換えなかったら、会議室はとっくに戦場になっていた。


 昼までに届く宅配便の受け取り。

 備品の発注処理。コピー用紙、トナー、ボールペン、付箋、クリアファイル。フロアごとに消費量が違うから、発注のタイミングも変える。開発部はホワイトボードマーカーの減りが異常に早い。


 午後は契約書の管理。

 取引先との契約書はすべて私がファイリングしている。更新時期が近づけば担当営業に声をかけ、原本を金庫にしまい、PDFをサーバーにアップする。百二十人の会社に、取引先は二百社以上ある。


 社用車の管理も私だ。

 三台ある社用車の車検、保険の更新、タイヤ交換の手配。営業が「来週大阪出張なんですけど」と言えば、車の空き状況を見て割り振る。高速のETCカードの精算も私。


 経費精算は月末に集中する。

 百二十人分の交通費、出張旅費、接待費。領収書の日付が間違っている。金額が合わない。上限を超えている。一件一件確認して、差し戻して、締め日までに処理する。月末の三日間はほとんど昼食を取れない。


 それから、歓迎会の店探し、忘年会の幹事、健康診断の日程調整、防災備蓄の管理、取引先からの電話の一次対応。


 これが私の一日だった。

 毎日。七年間。



 面談は半年前のことだ。


 年に一度の人事考課で、部長と二人きりの会議室に入った。部長は私の直属の上司ということになっている。実際に何かを指示されたことはほとんどないけれど。


『来期の目標と、自己評価を聞かせてくれ』


 私は用意してきた資料を広げた。

 業務改善の実績。備品コストの削減率。契約管理のデジタル化。経費精算の処理時間を前年比で三割短縮したこと。数字を出せるものは全部出した。


 部長は資料にざっと目を通して、閉じた。


『うん、まあ、頑張ってるのは分かるよ』


 その「まあ」に、全部が詰まっていた。


『ただね、正直に言うと、昇給は難しいんだよ。君の仕事は、うーん、言い方が難しいんだけど——誰でもできる仕事だから』


 頭が真っ白になった、というのは嘘だ。

 むしろ、すごくクリアに聞こえた。一語一語、輪郭がはっきりしていた。


 先月、部長のプレゼン資料を徹夜で作り直したのは私だ。スライドのデータが古いと気づいて、最新の数字を引っ張ってきて、グラフを差し替えた。部長は翌朝「お、よくなってるな」とだけ言った。


 その資料を持って出張に行ったのも部長だ。出張の手配——新幹線のチケット、ホテルの予約、先方へのアポイント調整——を三十分で組んだのは私だ。当日朝に「やっぱり飛行機にしてくれ」と言われて、全部取り直したのも。


 出張から帰ってきた部長が取ってきた契約。

 それが評価されて、部長は課長から部長に昇進した。


 面談では「来期はもっと目に見える成果を」と言われた。


 ——目に見えない成果で会社を回してきたのは誰ですか。


 そう思ったけれど、口には出さなかった。

 口に出しても、届かないと分かっていたから。


 代わりに、退職届を書いた。

 百均で買った便箋に、黒のボールペンで。書式はネットで調べた。こういう事務的なことだけは、得意だった。



 引き継ぎ資料の作成に二日かけた。


 フォルダの場所、発注先の一覧、業者の連絡先、更新スケジュール、各部署の備品消費量の傾向、来客対応の手順、経費精算のチェックポイント。七年分の知識を、誰が読んでも分かるように書き起こした。


 A4で三十二ページになった。


 目次をつけて、索引をつけて、よく使う連絡先には付箋をつけた。共有フォルダにも格納して、全社員にメールでパスを送った。


 でも、誰も読まないだろうなと思った。

 私がいるうちは読む必要がないし、私がいなくなったら存在を忘れる。

 三十二ページ分の「誰でもできる仕事」の手順書を、誰も開かない。そういう未来が見えていた。



 最終日。


 十二月の金曜日だった。送別会はなかった。

 誰かが企画してくれるかもしれないと、少しだけ思っていた自分が恥ずかしい。そもそも、今日が最終日だと知らない人のほうが多い。退職の挨拶メールは前日に送った。返信は三通だった。百二十人中、三通。


 朝、いつも通りに出社した。

 コーヒーメーカーを動かした。来客用のお茶を補充した。郵便物を仕分けた。届いた請求書を処理した。午後の来客に会議室を用意した。最後まで、いつも通りだった。

 誰も「今日で最後なんですね」とは言わなかった。


 定時になった。

 パソコンの電源を落とした。デスクの引き出しを確認した。私物はトートバッグ一つに収まった。七年でこれだけか、と思った。


 ロッカーに忘れ物がないか確かめて、鍵を総務の棚に戻した。

 受付の前を通ったとき、誰とも目が合わなかった。


 ビルを出た。

 十二月の風が冷たかった。マフラーを巻き直して、駅に向かって歩いた。


 振り返らなかった。


 明日から、行く場所がない。

 それがどういうことなのか、まだ分かっていなかった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


縁の下の力持ち、総務を軽視してはいけません。

気にいていただいた方は、高評価・ブックマークよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ