14.掴んだ男
管山を頭から地面に叩きつけた徹郎は、他に動く者が居ないことを確認してから上着を脱いだ。
雪奈に着せてやろうとしていた訳だが、それよりも早く雪奈の方が立ち上がって、いきなり徹郎の背中に抱き着いてきた。
「ぼっち君……ぼっち君……ぼっち君……来て……来てくれたんだね……!」
更に何かをいおうとしているらしいが、声が振るえてしまって言葉になっていない。
徹郎は自身の制服の上着を雪奈の肩にかけてやりながら、渋い表情を浮かべた。
「あんなぁ……自分でぼっち名乗る分には全然エエけど、他人にそう何回も連呼されたら、流石にちょっとへこむで」
「あは……はは……な、何、いってんのよ、もう……」
肩越しに見下ろすと、泣き笑いの美貌が潤んだ瞳で見つめ返してきていた。
こんな時まで空元気を出して、合いの手を返してくるとは。
どこまでも健気な娘だった。
しかし今は、彼女の精神状態を何よりも最優先に考えなければならない。未遂に終わったとはいえ、間違い無く雪奈は強姦被害に遭おうとしていたのだ。
その恐怖が、彼女の心理をバラバラに砕いてしまうかも知れない。そうなる前に、雪奈の心を落ち着かせなければならなかった。
徹郎は雪奈の体をそっと押しやり、まずは彼女の荷物をひとまとめにして鞄の中に押し込んだ。次いで、その丸太の様な豪腕で雪奈の体躯を軽々と抱え上げた。
所謂、お姫様抱っこという形だった。
「え? あ……ひゃあ……ちょ、ちょっと……!」
「喋んな。舌噛むぞ」
直後、徹郎は起伏のある公園内の緑地部を疾走し始めた。
雪奈は何が何だか分からない様子で両腕を徹郎の太い首に廻し、必死にしがみついてくる。
(後は局のひとらに任せよか……)
雪奈救出に走る前、徹郎はCIA極東支局に連絡を入れていた。彼女を襲おうとした不埒な連中を確実に葬る為には、日本の警察や検察では力不足だ。
闇の力でひとびとに害を為す様な連中は、同じく闇の力で裁くのが最も確実で手っ取り早い。
恐らくあの管山とかいう上級生は、明日にはもう退学処分となってこの街から存在そのものが消え失せていることだろう。
しかしその事実を、雪奈に知らせる訳にはいかない。飽くまでも表向きは、日本の国家権力が連中を罰したという形にしておかなければならないのだ。
その為にも、一刻も早く雪奈の精神状態を落ち着かせ、後になって錯乱して余計なことを口走らせない様に処置しておく必要がある。
だからこそ徹郎は、全力で疾駆した。
そして十数分後には、自身の高級マンション内へと雪奈を退避させていた。
ここに至るまでの間、雪奈は心ここに非ずの状態だった。が、徹郎宅のリビングで腰を落ち着けたところで漸く、我に返った様に両目を瞬かせていた。
「大塚さん、コーヒーか紅茶かココアやったら、どれがエエの?」
「あ、えぇと……じゃあ、紅茶で」
徹郎は上質なダージリンティーを用意した。
リビングに、まるで本格的な純喫茶にでも居るかの様な香りが漂う。
対する徹郎はというと――。
「ぼっち君はそれ、何飲んでるの?」
「え、ココアやけど」
すると何故か、雪奈が噴き出しそうになっていた。
逆に徹郎は、ここ笑うところかと、眉間に皺を寄せて訝しんだ。
「あ、ご、御免……何か、ちょっとイメージと違ったから」
「自分ココア舐めとるやろ」
徹郎は不機嫌そうに鼻を鳴らしながら、ダークブラウンの熱い液体をすすった。
その時、自動湯沸かし器の音声案内が鳴り響いた。浴槽に張っていた湯が、適量に達したらしい。
「風呂入ってきぃな」
「え? 良いの?」
ココアを飲み干しながら、徹郎はサムズアップで応じた。
雪奈が入浴して落ち着く時間を取り戻す間に、夕食を用意しておく腹積もりだった。
◆ ◇ ◆
徹郎が、軽めの夕食を用意してくれるということになった。
雪奈は折角だからとその言葉に甘えることにして、バスルームへ向かった。
脱衣所で、鏡の中の自分をじっと見つめる。
酷い顔だった。
薄く施していたスクールメイクは泥と涙ですっかり落ちてしまい、今はほぼすっぴんに近しい。
でも、心は満たされていた。
あの時――徹郎は表情こそ鉄仮面の様に抑えていたが、本気で怒ってくれているのが、十分な程に伝わってきた。
助けてくれたことには勿論、感謝している。
一生かけても返し切れない程の恩を感じている。
しかし何より嬉しかったのは、酷い目に遭わされそうになっていた自分の為に、徹郎が心の底からの怒りを発してくれたことだった。
家族以外で、あそこまで自分の為に怒ってくれたひとは今まで、何人居ただろうか。
(あ~ぁ、あたしったら……)
何故か涙が滲んできた。しかしこれは、嫌な涙ではない。嬉しい涙だった。
(掴まれたのは胃袋だけかなって思ってたけど)
たった今、確信した。
もう、間違い無かった。
(心まで、掴まれちゃったな……)
だからこそ、最高に嬉しかった。
やっと自分の気持ちを、素直に認めることが出来たから。