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間章1 In the dream, in the tragedy

「……テーム」

 小さな声が僕を呼ぶ。

 金、白、青。ステラの色が視界の端で揺れる。

 そして、首元には瞳の色と同じ痣のような印。

 驚く元気も混乱する力もない。名前を呼びたいのに、何も声が出ない。

 そういえば、ここは驚くほど静かだ。

 あの後、どうなったんだっけ。いや、そもそも僕は生きているの?

 何も確信が持てないまま、再び瞼が閉じていく。右手を握る彼女の気配を確かに感じたまま。



「テーム、どうしたの」

 これは夢だ、と思った。

 姉さんの声がしたからだ。

 顔を上げてみるとやはり向かいの席に姉さんがいた。ただ、目の前の姉さんはだいぶ幼い。慌てて自分の手を見ると、なんだか随分子供っぽくて小さい手だった。

(子供の頃の夢だ)

 そう気付いた途端、夢の中の風景がはっきりと広がってくる。

 白いカーテンにテーブルクロス、子供達の話声。

 ここは《リンカーネイション》の食堂だ。家具の配置も照明も、ずっと何も変わっていない。

 姉さんの隣にはナタリーがいる。目は今よりずっとギラギラしていて、それでも机の上の食器の使い方がわからないのか睨むように見つめている。

 僕の隣にはカミル様がいる。周りの皆とは違って慣れた手つきで手を動かしているけれど、よく見るとずっと肉を切り分けているだけで口に運ぶ様子はない。

 幹部になれば食事の場所は変わってしまうから、こんな光景を見たのは久しぶりだ。

 でも、見慣れないという事情を除いてもたまらなく変な心地がする。あの頃年上だった皆は、今の僕からすればどう見たって子供だ。そして、そんな子供である皆は食事が終われば当たり前のように薬品と血の臭いのする場所に戻されるのだという事実が微かに僕の背中を撫でた。

(大丈夫、大丈夫。これは夢だ)

 夢の中の続きのことなんて、心配しなくていい。それにもう過ぎた話じゃないか。

 ……だからと言って何かが解決するわけではないということは、いくら頭の悪い僕でもわかっているけれど。

「……テーム」

 ぼうっとしていた僕をカミル様が呼び止める。幼い声はやはり聞き慣れない。

「は、はい!」

 自分の意志で喋っているようで、夢に言わされているような気もした。

「……お前にやる」

 そう言うとカミル様は僕の目の前の皿に自分の肉の切れ端を載せた。

「え……でも」

「……俺はいい。今は腹が減っていないから」

 そういえば昔はよくこんなことがあった。あの頃はそのぶっきらぼうな言い回しが怖かったけれど、今こうして見るとむしろその大人びた態度は不安に感じる。

「……」

 気を取り直して目の前の皿に目を移す。

 結論から言ってしまうと、気は晴れなかった。

 その肉は妙に生焼けに見えるし、何よりソース。ソースが嫌に赤いのだ。

 例えるなら、

(血の色みたい)

 そんなことを咄嗟に思ってしまった。慌てて首を振る。そんなことがあるものか。ベリーソースに決まっているじゃないか。そう言い聞かせる。姉さんならきっと『食事の場でお行儀が悪いわ』って言うだろう。

「大丈夫、大丈夫……」

 口の中で呟きながら、ナイフを持ち直す。

 プスリ。突き刺したその瞬間、僕はなんだか猛烈に怖くなった。

 咄嗟に顔を上げる。

 いつの間にか辺りは静まりかえっていた。

 ナタリーもカミル様も、気付けばいなくなっている。

 ただ姉さんだけが目の前に変わらずいた。それでも、どういうわけか子供の頃の姿ではなくなって、大人になった今の姿だ。

「……」

 目が合う。

 背がぞくりと冷えた。

 怖い、と思った。

 違う人みたいだ、と思った。

 僕と同じ緑の瞳。笑いかけているようにも、涙をこらえているようにも見える。

 わからない。わからないんだ。姉さんが何を思っているのか。今まで一度だってこんな風に感じたことはなかったのに。

 ふと手元に違和感を感じる。錆びついた人形のように首を動かす。今の僕は誰かに操られているみたいだ。

「あ……」

 先程まで肉に刺さっていたはずのナイフは、いつの間にか皿の上の布を裂いていた。

(……この布って)

 姉さんのマフラーだ。

 気付いた瞬間、どこからともなく赤い液体が机上に溢れ出す。僕はもうこれをソースだとは思えなかった。どんどんこちらに流れ出して、僕の袖と手を汚していく。

 いつの間にか目の前の気配が消えていた。恐る恐る顔を上げる。

 誰もいない。

 まるで、最初から何もなかったかのように。

 その席には、誰もいない。

「……あーあ」

 その代わり、誰かが後ろで僕に語りかけた。

 よく知った誰かの声のはずなのに、どうしても思い出せない。

「魔が差さなければ」

「君があれを持ち出さなければ」

「開けたりしなければ」

「もっと賢かったなら」

 声は鳴りやまない。纏わりつくように放たれる。

 耳を塞ぎたい。塞ぎたいのに、手は皿の上のマフラーを切り裂き続ける。

「何の話か、わかる?」

 わかるよ。いくら僕だって、わかるよ。君が次に何を言おうとしているのか。

 でも、

「そうだよね。自分が一番わかっているんでしょ」

 言わないで。その続きは、


「姉さんが死んだのは、お前のせいだ」


 ……ああ、そうか。


 その言葉でやっとわかった。


 これは、僕の声だ。



 その瞬間、僕は夢から醒めた。



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