絶対に言えない取引ってものをした事がある
心底このあたりは空気が悪い。おれは久しぶりに見た魔王城の跡地を見回し、いまだ瘴気渦巻く毒の沼だの、毒の花粉をまき散らす草花だの、おかしいくらいに熱い地面だのを見回し、シャンドラとともに進んだ道を進んでいる。
魔王の城を壊したわけじゃねえから、ここでしばらく、ほとぼりが冷めるまでやり過ごせば、シャンドラだって新しい嫁を見つけるに違いない。
おれぁあいつの幸せってのが好きだ。何故かって言われたら、そりゃああいつが、おれの幸せってものを考えてくれる奴だったから。
幸せになってほしい、と臆面もなく打算もなく、真正面から言い切ってくれる善良な幼馴染を、嫌えるほどおれの性根はねじ曲がっていないわけだ。
幸せになってほしいなら、てめえさんも幸せになれよ、おれだけ幸せとか不公平だろ、とおれはいつかの昔、あいつに話した事がる。
あいつは解せねえって顔をした後、真顔になってこう言ったのだ。
「ヴァミーの幸せが、おれの不幸だったりするのか?」
「ばっかじゃねえの、お前の幸せの一端はおれの幸せだろうが。なんで友達の不幸せが幸せとか言うふざけた野郎にならなきゃならねえんだよ、おれがよお」
思い出すたびに、当時の自分の命知らずは極まってたなあ、と思う事があり、勇者と言われるほどの聖なる強大な力を持っていたあいつの頭を、思いっきりひっぱたき、びよんびよんとそのほっぺたを引っ張って、おれはあの頃言ったのだ。
「どっちも幸せ、それが万々歳だろうが」
「そっか! じゃあ俺たちは幸せにならなくっちゃな!」
シャンドラはその時、整いまくった顔をそれはそれはきらきらと輝かせて、笑ったのだ。
そしておれの手をぎゅうっと握り、思いっきり夢を語る顔でこう言った。
「俺たちはどっちも、幸せになろうな、ヴァミー!」
それに対して、何と答えたか、おれは思い出せない。あの時おれはなんと答えて、あいつが笑ったのだろう。
まあ、十歳にも満たない年齢の親友同士の、簡単な言葉遊びに似た物だろう。
そんな事を思い出しつつ、おれは、普通の靴の底では焼けて溶けたり燃えたりして、使い物にならなくなる地面の石畳を、竜の骨を削って作られた靴底の、魔王討伐の時から愛用している靴で歩いていく。
竜は、自身が高熱の炎を吹く事もあり、骨も肉も皮も、恐ろしいほどの防熱性と耐火性を持っている。
おまけの話だが、竜の肉ってのを食べるのには、物凄い手間がかかるのだ。
一度干して塩水につけて肉を柔らかくした後に、果物の汁に漬け込んで焼くのだ。そうしないと火が通らない恐るべき手間の肉である。
焼く時も、しっかり炭が白くなって、温度が一番高くなければならないし。
いっぺん、それを調理する店に入った事があるが、手間の割にうまい肉じゃなかった。
竜の肉を食べる習慣のある部族が少ないわけだ、とおれもシャンドラも納得した微妙な味だった。
竜の肉の一番の有効活用として、ひき肉にして汁をありったけとって、搾りかすと肉汁に分けて、搾りかすは荒れた大地の肥料、肉汁は加熱処理した後高級魔法薬の原材料にするというのが一般的である。
話がそれたな。おれは黙って魔王の城へ足を進めていく。当時二人でぶっ壊したままの城門、当時倒した魔物たちは大体消滅しているから、血の跡などが残っていない城の内部へ進んでいく。
こうして、魔物の脅威を感じずに見回すと、魔王の城は豪華で美しい城だった。
装飾品のいちいちが凝っているし、そこら辺の王国の城よりも手間暇がかかっているように思えるのは何故だろう。
そんな中を進んでいき、おれは魔王の玉座だった場所に到着した。
ここでおれとシャンドラは魔王とその部下たちと戦い、一度戦況を読み間違えたらあっという間に死ぬ激戦を繰り広げたのだ。
一対一などありもせず、おれたちは四人の最上位魔族と、その頂点である魔王を同時に相手にしたのだ。
おれの短剣は鍛冶屋で、滅多な事では折れないし刃こぼれもしないように鍛えてもらったが、それでも刃こぼれした。
……おれはこの、魔王戦ともいえるもので、シャンドラにさえ言っていないとんでもない秘密を抱えている。
勇者はシャンドラであるわけで、シャンドラの方が間違いなく魔族たちに傷をつけていた。
でも。
おれはその時の事を、一秒前の事のように思い出せる。
あ、と思ったその刹那に、シャンドラの体が血しぶきをあげて吹っ飛ばされていったのを、おれは魔族の一人、肉弾戦を得意とする牛魔人系と殴り合いながら認識した。
「シャンドラ!!」
振り返る暇もない。叫んだ事で緩んだ力のせいで、おれも牛魔人に吹っ飛ばされる。
でもおれはそれに対して、受け身を取り、シャンドラに駆け寄った。
「おま、おまえ」
駆け寄ったおれが見たのは、シャンドラがまとう聖なる鎧が袈裟懸けに切り裂かれ、シャンドラの肉体が赤々と染まり、肋骨の白い骨が切断されているのが見えるほど、あいつが切り裂かれている状態だった。
治癒の魔法薬を、とおれは懐におさめていた、人間が作れる最高位の魔法薬を取り出したのに、事実は残酷で、魔法薬を入れていた容器がひび割れていて、中身はほんの数滴しか残っていなかったのだ。
いま吹っ飛ばされた衝撃のせいに違いなかった。
でもわずかに残ったそれを、シャンドラに落とす。
さすが最高位の力だけあって、傷はふさがった。
だが、切り飛ばされて、まき散らされた血の多さから、シャンドラが戦い続けられない事くらい、おれの頭でもわかった。
でも、古の妖精の一族が、魔王の呪いを解くと誓って譲ってくれた、この世で最も聖なる防御の力を持った鎧さえ、こうなる魔族たちから、逃げおおせる事が出来るなんて思えなかった。
だから。
おれは、短剣を強く握りしめて、まだ一人も倒せていない魔王とその直近の部下四人に向き直った。
「ほう、まだ戦うのか、勇者は戦えないだろうに」
「勇者に殉じる事など笑止」
「むだな悪あがきを辞めて、私達の下に着けば、あなたの命だけは助けて差し上げますわよ」
「頑丈な人間だ、その勇気と根性だけはたたえてもいい」
四人の部下が口々にそういう。そりゃあ、勇者さえ倒れる戦況で、まだ立てるおれが、滅多な人間じゃねえのは明らかで。
でも、魔王の言った言葉で、おれの頭の中の理性は吹っ飛んだ。
「勇者というのも口ほどのものもないのだな。おおかた、ちやほやされて運だけでここまで来たのだろう」
ふざけんじゃねえ、と怒鳴ろうとした時。
おれは、自分が背後に庇う相手の呼吸が、聞こえない事に気が付いた。
「……しゃんどら?」
魔王たちを無視して振り返る。傷は癒えたはずのシャンドラの胸が、腹が、呼吸のために上下していなかった。
魔王たちは、おれ一人簡単に始末できる、という調子で、おれの動向を見ていた。余裕があったんだろうな。
シャンドラは、穏やかな顔で、眠っているみたいだった。
でも、呼吸はしていなくて、血の気は退いていて、し、んだ、と思う物があって。
「しゃん、どら」
答えろ、せめて呼吸をしろ、おまえはいびきが時々うるさい。その音を聞かせろ。
おれの呼びかけに、答えろ。
そんな必死の言葉が頭をめぐっているのに、シャンドラの胸は動かない。呼びかけに対する、いらえはない。
「あ、あ」
おれの声帯はまともな音を作らなかった。
一番の親友を、何よりも幸せになってくれと祈った相手を、勇者として神に選ばれた重圧に苦しむ夜を過ごしているのを見てきたこいつを、しんだ、と認められなかったのだ。
でも事実として現実は転がっていて、おれは。
「ああああああああああああああ!!!!!!」
絶叫した。
絶叫したおれの足元が、でたらめに明滅し、刃こぼれして使えなくなっていたおれの短剣に、おれにとって見知らぬ紋様が浮かび上がる。
体中に全く聞いた事のない痣に似た物が浮かび上がり、おれの短剣と共鳴するように鳴動し、おれの短剣が変貌した。
短剣はそれを芯にしたように、純白の光をまき散らし、辺りの魔族の空気に対して火花と電撃を散らす、身の丈ほどの戦闘斧に変貌したのだ。
おれの頭の中には、このとき、たった一つの事しか浮かばなかった。
シャンドラの事を殺して侮辱した、こいつらをただでは済まさない。
たったそれだけで、おれの変貌に驚いていた彼等に、おれは踊りかかった。
力自慢であろう牛魔人は、おれが振りまわした戦闘斧の一撃をうけとめようとし、しかし柔らかな何かのように真っ二つになり、そのまま消滅した。
魔法が得意であろう妖艶な魔女は、持っていた魔杖を振りかざしたその時、おれの突き出した戦闘斧の石突に胸を貫かれ、呪文を唱えようと開いた口から、大量の血を吐き出して消滅した。
最強の剣士と言われていた竜の頭の魔族は、おれの戦闘斧と打ち合おうとして、己の剣が一瞬で錆びクズとなり、驚愕の眼差しを向けたまま、頭から尻までを両断されて、倒れながら崩れていった。
魔王の盾を自負する角の生えた魔族は、おれのあきらかにおかしな攻撃力に動揺しながらも、防御呪文を唱え、己を万全の堅さにし、魔王を庇おうとした。
でも、おれの戦闘斧と鳴動する痣が、ひときわ強く音を立てると、防御呪文は霧散し、戦闘斧をがむしゃらに叩きつけられた大盾ごと潰れ、絶命した。
全部全部一瞬の事で、残っているのは魔王とおれ。
魔王は目を見開き、おれはその隙を見逃さなかった。
最後打ちかかったおれに、次々とぶつかってきた攻撃魔法は、光を失わない痣によって全て無力化され、切りかかったおれに、魔王は腕を二本とも切り飛ばされた。
それでも魔王は戦いを続け、防御などまったく考えない捨て身のおれが、どれだけ攻撃魔法をぶつけられても、毒の息を吐きかけられても、向かってくるから、最後は
「ま、まて!!」
と叫んだ。
……はっきり言って、そこでおれの理性の欠片が戻ってきて、おれの手は止まったのだ。
そこで視認した魔王は、血まみれで、ぼろぼろで、一体どういう攻撃を受けたらこうなるんだ、と言いたくなるものがあった。
「さいごの遺言か」
おれの声はおれのものとは思えないほどぞっとする響きがあった。おれはこれを聞いて、ああおれは、間違いなく魔王を殺すつもりなんだなって、自分の感覚を理解した。
「ゆ、勇者よ!! お前の親友を救いたくはないか」
「おれぁ勇者じゃねえ」
「お、お前こそが勇者だ!! お前の持つそれは聖なる戦神の戦斧! お前の体に浮かぶその紋様は、戦神の寵愛の印!! 何故だ、その血筋は全て殺したはずだったというのに!!」
なんかさらっととんでもねえ事言ってるな。頭おかしくなってないか。
そんな事をいくつか思った後、おれは問いかけた。
「おれの友を救うとは、どういう事だ」
「お前の親友はまだかろうじて冥府に魂が向かっていない! 私の最後の力を使えば、mお前の親友を現世に引き換えさせられる!!」
「……何を条件に持ってくるつもりだ?」
「お前でなく、お前の友が、私にとどめを刺してくれ!!」
罠かもしれないとは思った、だがシャンドラが戻って来られるなら、その賭けに乗るのも悪くないと思ったのだ。
「ゾンビにして生き返らすとかじゃねえよな?」
「ああ! 生きた本物の人間として救う!!」
魔王は必死だった。嘘のない必死さだったから、おれはそれに同意した。
そして、生き返ったシャンドラに、魔王のとどめを刺してもらったのだ。
だから、本物の勇者が果たしてどちらだったか、というのは非常にあいまいなものだった。




