第82話 おじさんと、嘘を見抜く瞳
(どうしてこんなところに……)
予想外すぎる人物たちの姿に胃の腑が急速に収縮し、踵を返して逃げ出したい衝動に駆られる。だが、そんな俺の脳内に、硬質な少女の声が響いた。
『落ち着いてください。彼らがマスターを探してここまで来たとは限りませんよ』
(あ、ああ……そうだな。俺が探られているとは限らない)
ナビ子の冷静な指摘で、張り詰めていた呼吸のペースが少しだけ元に戻る。
俺は努めて自然な歩調を作り、舟木さんに近づいた。
「おはようございます、舟木さん。そちらにいらっしゃるのは《海神》様と、《神籬》様では?」
ここで気付かないフリをするのはかえって不自然だ。俺は下手に小細工などせず、テレビの中の有名人に偶然遭遇してしまった小市民としての戸惑いと純粋な驚きを、そのまま素直に声に出した。
振り返った舟木さんは、少し強張った表情で俺を見た。
「あ、湊さん。おはようございます。ええ、実は……」
困ったように言葉を濁す彼女を遮るように、氷室が動いた。中指で、銀縁眼鏡のブリッジをカチャリと押し上げる。
「いかにも。だが、あいにく今日はプライベートな休暇でね。サインや握手といったファンサービスには応じられない。悪く思わないでくれたまえ」
すらすらと、まるで定型文のような拒絶の言葉。
国を背負って戦うトップランカーであり、その偉業には心から敬意を抱いている。だが、俺のような末端の一般探索者とは、あまりにも住む世界が違いすぎる「雲の上の存在」だ。
有名人ゆえの苦労が偲ばれるが、ここで接点を持たずに済むなら、俺としてはむしろ好都合だった。
「あ、いえ。お見かけできて光栄です。お休みの邪魔をしてすみません」
俺がミーハーな一般人を装ってペコペコと頭を下げると、氷室は軽く顎を引いて応じた。そして、レンズの奥の冷徹な眼光を鋭くさせ、舟木さんと俺を交互に見比べる。
「それで舟木くん。彼は? 随分と親しいようだが」
「あ、はい。こちらは湊さんといって……私の、大切な友人なんです」
少し言葉を探すような間の後、舟木さんがキッパリとそう答える。
「友人、ね」
氷室は値踏みするように、レンズの奥の冷徹な眼光で俺の全身を射抜いた。
「ただの一般人にしては、随分と体幹の線が通っているな。……君も探索者か?」
「ええ、まあ。一応」
俺が素直に頷くと、氷室の眉根がピクリと動いた。
「……ん? 君、どこかで見た顔だな」
氷室が訝しげに目を細めたその時、隣にいた天宮がそっと身を寄せ、氷室の耳元で囁いた。
「透さん。彼……先日のスタンピードの映像から解析した探索者と、骨格や雰囲気が酷似しています」
二人の間だけで交わされた、空気を震わせるだけの微かな囁き声。だが、種族進化によって最適化されている俺の聴覚神経は、その言葉を一言一句、明確に拾い上げていた。
(映像の解析だと……!?)
首筋の産毛が逆立ち、背中をぞわりと悪寒が這い上がる。俺は必死に顔の筋肉を緩め、無知でミーハーな一般人の表情を皮膚の上に貼り付け続けた。
天宮の言葉を受けた氷室が、無音で半歩、距離を詰めてくる。ロビーの空気の密度が急激に跳ね上がり、露出した肌をピリピリと刺すような魔力の圧が鼓膜を打った。
「まさか、先日のスタンピードに突突如として現れた、ランキング一位の《剛神》というのは君のことではないか?」
単刀直入すぎる問いかけ。退路を物理的に塞がれたかのような圧迫感に、喉の粘膜がカラカラに干上がる。
だが、俺は内心で安堵の息を吐き出していた。
「いえ? 人違いじゃないですかね。俺は《剛神》なんて大層な名前じゃありませんし、ランキング一位の探索者なんかじゃありませんよ」
俺は肩をすくめ、心底からの呆れ顔を作って否定した。
嘘ではない。俺のランクは最近上がったばかりの『秘銀級』だ。なんなら、最近はダンジョンに潜ってないのもあるが、レベルアップが鈍化してるくらいだからな。
氷室が、確認するように横へ視線を逸らす。その視線の先で、柔和な笑みを浮かべていた天宮が、静かに一度だけ頷いた。
なんの合図だったのかは分からない。だが、氷室は微かに舌打ちをし、再び眼鏡を押し上げた。
「そうか。……では、先日の富士でのスタンピードを収めた探索者については、何か知っているか?」
次の矢が飛んでくる。ここで「知らない」と答えるのは不自然だ。あれだけテレビで報道されているのだから。
俺は肺に大きく息を吸い込み、両手を握り込んでわざとらしく目を輝かせた。
「そりゃあ、もちろん知ってますよ! いやあ、凄かったですよね! 男性の方は映像が粗くてよく見えませんでしたけど、一緒にいた女性の方!」
俺は身を乗り出し、早口でまくしたてる。
「白銀の髪に、真紅の瞳の超絶美女! あんなの、まるで深夜アニメのキャラクターが現実に出てきたみたいじゃないですか! SNSでもファンアートみたいなのが出回ってましたけど、あの冷たい視線が柔らかく微笑むのを想像したら、たまらなく良くて――」
息継ぎも忘れて熱弁を振るう俺を見て、氷室がわずかに上体を反らし、あからさまに距離を取った。隣の天宮も、先ほどまでの底知れない笑みを崩し、薄っすらと頬を引きつらせている。
『マスター……いくら何でもキモすぎます。エレオノーラに伝えたら、飛んで喜びそうですが』
(うるさい。こういうのは勢いが大事なんだよ)
脳内で呆れ返るナビ子の声を無視し、俺はさらに一歩踏み込もうとする。
「そうですか。時間を取らせてすまなかったね」
氷室は冷ややかな声で会話を完全に打ち切り、踵を返した。天宮も「ごきげんよう」と軽く会釈を残し、二人の姿はロビーの奥へと消えていく。
遠ざかる背中を見送りながら、俺は肺の底に溜まっていた息をゆっくりと吐き出した。
◇
湊たちから離れ、人気のない廊下まで歩を進めたところで、氷室が忌々しげに深く息を吐き出した。
「どうだった、天宮。あの男」
問いかけに、天宮は瞬きを一つ落とす。黒い瞳の奥で揺らめいていた虹色の魔力を散らし、静かに首を横に振った。
「嘘は吐いていないようでしたね。言葉の波長に、一片の濁りもありません」
「ちっ。ハズレか」
天宮の持つ『嘘を見抜く瞳』の判定は絶対だ。
氷室は苛立たしげに銀縁眼鏡を押し上げ、早足で歩き出した。
「まぁ、あの薄気味悪い早口オタクが『剛神』なわけないか」
「ふふっ。でも、少し熱が入りすぎていて、逆におかしかった気もしますが」
「オタクの熱量なんてあんなもんだろう。……行くぞ。引き続き、舟木葵の周辺を探る」
二人の足音が、冷たい静寂の中に消えていく。
◇
「湊さん、すみません。お引き止めした上に、あんな風に問いただされてしまって……」
隣に座る舟木さんが、申し訳なさそうに眉を下げる。トップ探索者の放つ威圧感にあてられ、彼女も相当気を張っていたのだろう。肩の力がふっと抜けるのが分かった。
「いや、気にしないでください。日本を代表する探索者のお二人に声をかけられるなんて喜ばしいことですよ」
俺は努めて軽い調子で返し、二人でロビーのソファに腰を下ろした。
『それにしてもマスター。なぜあそこまで頑なに正体を隠すのですか? 自分がスタンピードを収めたと言えば、あんな茶番を演じる必要もなかったでしょうに』
ナビ子が不可解そうに脳内で問いかけてくる。
(目立つのが嫌なのもあるが、一番の理由は『面倒くさいから』だ)
俺はフロント横の自動販売機で買った缶コーヒーに手を伸ばす。冷えたプルタブを指の腹で弾き開けながら、内心で答えた。
『面倒、ですか? あのお二人は協会の重鎮でもあります。彼らにだけ明かして庇護下に入れば、マスコミへの対応なども全て引き受けてくれるはずですが』
(だからだよ。あんなトップの連中に目をつけられたら、派閥争いだの政治だの、探索以外の面倒事に巻き込まれるのは目に見えてるだろうが。バールで殴って解決できない問題は、俺の専門外なんだよ)
『……確かに。マスターって基本脳筋ですもんね』
(一言多いぞ。それに、あの二人はスタンピードを収めた探索者のことを『世界一』だと勘違いしてるだろ? ようやく『秘銀級』になったばかりの俺が名乗り出たところで、素直に信じるとも思えない)
『確かに。その程度の探索者だと、核の魔物を倒せませんしね』
(だろ? そうなると、必然的に『ダンジョン外出力』について話さなきゃならなくなるじゃねぇか。自分の切り札を見せられるほど、信用してねぇんだよ)
『マスター……』
ナビ子の声に、微かな感嘆の響きが混じる。
『意外に考えてたんですね』
(お前、普段俺のことをなんだと思ってるんだよ。敬う気持ちが全然足りてないんじゃないか?)
『い、いえ? ソンナコトナイデスヨー』
わざとらしく平坦な声で動揺するフリをしておどけるナビ子。いつか分からせると心に固く誓いつつ、俺は隣に座る舟木さんに向き直った。
「そういえば舟木さん。昨日話していた、実家の道場を見せてもらってもいいですか? 独学で動いてきたので、一度『型』というのを知っておきたくて」
「はい、もちろんです。でも、変に型を取り入れてバランスを崩したりしなければいいのですが……」
「大丈夫です。自分に取り入れるかどうかは、ちゃんと自己責任で判断しますから」
俺が請け負うと、舟木さんは少し嬉しそうに頷いた。
「分かりました。それなら、私も一緒に稽古しますね。一度部屋に戻って着替えてきますから、道場で待ち合わせましょう」
舟木さんを見送った後、俺がロビーのソファから立ち上がろうとした矢先、ズボンのポケットでスマホが振動した。
画面を見ると、凛からのメッセージだ。
『湊さん! 今度、帝央大学の探索部が泊まりで探索演習をするらしいんです。是非ついてきてほしいって言われてるんですけど、どうしたらいいですかね?』
(ああ、桐生たちが言ってたやつか。新入生の引率もするんだったっけ)
人差し指でぽちぽちと画面を叩き、少し長めの返信を打ち込む。
『今までソロだったなら、パーティの動きを見るのはいい経験になると思うよ。ただ、ダンジョンは命がけだということを忘れないこと。何があっても自己責任だし、「自分なら助けられる」と過信したらすぐに死ぬから。自分にできることを見極めて、生きて帰ることを最優先にできるなら行ってもいいんじゃないかな』
送信ボタンを押すと、すぐに『肝に銘じます!』というスタンプが返ってきた。
短く息を吐き、俺はスマホをしまって道場へと向かった。
殴って解決する問題には強い→どこの荒くれもの……。
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