第79話 異次元の鈍さと、静寂を破る着信と
探索部の学生たちを前にして、俺が最初に教えようと決めたのは「システムへの依存度を下げること」だった。
どれほど強力なスキルやステータスを誇ろうと、システムに頼りきった動きはいずれ頭打ちになる。深層に潜むバグじみた敵や、システムをジャミングしてくる原種を前にすれば、その依存は致命的な隙へと変わるからだ。
まずは現状の確認が必要だ。
訓練所の床に胡座をかいた俺は、周囲を取り囲む学生たちを見回した。
「そういえば、みんなはシステムの補正機能ってどのくらい使ってる?」
ふと尋ねると、体操座りをしていた矢野が怪訝そうに眉をひそめた。
「どのくらいって……全部マックスのレベル3に決まってるじゃないですか。それが普通ですし」
「俺は、エイム補助と魔力操作、身体制御補正をレベル2に下げて、他は3にしています」
少し離れた位置で背筋を伸ばして座る桐生君の答えに、他の部員たちが「えっ、部長そうだったんですか?」とどよめいた。
「うーん、やっぱりシステムは便利すぎるからね。それに頼りすぎると、たぶん成長が頭打ちになっちゃうよ?」
「でも、レベル1まで下げると、かなりキツイって言われてるんですけど……」
桐生君が戸惑いがちに視線を泳がせる。だが、俺の感覚からすればレベル1でも十分動けるはずだ。
(実際、ホルム村の連中にはナビ子の権限で強制的にレベル1で鍛えさせてるけど、支障なく動けてるしな)
『それは彼らが死に物狂いで環境に適応したからです。地球でレベル1を常用しているのは、トップ層や一部の戦闘狂だけですよ』
鼓膜の奥で響くナビ子の呆れ声に内心で苦笑しつつ、言葉を続ける。
「まあ、慣れたらレベル0も選んでみるといいよ」
完全手動の同志が増えれば、「異常者」や「原始人」といった有難くないレッテルも減るだろう。
俺がそんな打算を巡らせていると、すかさず冷ややかな念話が突き刺さる。
『やめてください。以前も言いましたが、システム誕生以来、自律進化の資格を獲得できたのは世界でたった三人だけです。マスターは異常なのです。まぁ、彼らが実行できるとは思いませんが』
(そういえば、いつかそんなこと言ってたっけなぁ……)
一人で納得していると、学生たちがぽかんと口を開けていた。
「……レベル0? レベル1の次は、もうボタンが押せない仕様ですけど」
「え? そうなの? 設定画面で下げるボタンを連打したらできない?」
「ボタンを連打、ですか……? あ、ほんとだ、できました! えへへ、じゃあ私も湊先輩と同じ設定にしちゃおっかな……。これで保存、と――ひっ……!」
宙に展開した半透明のウィンドウを操作していた凛が、唐突に息を呑んで硬直した。
「どうした、凛?」
声をかけると、彼女は震える指先で自らのシステムウィンドウを空間共有してきた。
空中に投影された彼女の視界。そこには、血を思わせる真っ赤な文字列がびっしりと敷き詰められている。
「な、なんですかこの、おどろおどろしい警告文は……!」
横から覗き込んだ桐生君の顔から、さっと血の気が引いた。
『【警告】システムの補正項目を解除しようとしています。
精神汚染、肉体の自壊、および生命の危機を伴います。
この操作は絶対に推奨されません。承認しますか? [YES] / [NO]』
「あぁ、なんか出るよね。え、そんな内容なの? こういう利用規約みたいなの読まないタイプだから、適当に『YES』を連打しちゃってたよ」
首を傾げながら呑気に告げると、その場にいた全員の視線が一斉に俺の顔へ突き刺さった。
「さすがに、こんな危ないことを皆に勧めるわけにはいかないね。下げるにしても、最大でレベル1にしとこう」
「……ま、待ってください。今の話からすると、湊さんはシステム補正をオフにしているってことですか? どの項目を……?」
普段は柔和な桐生君が、顔の筋肉を引き攣らせながら恐る恐る尋ねてくる。
他の学生たちも同様に怯えきった表情で後ずさっていた。中でも先ほど俺に突っかかっていた矢野などは、死人のように真っ青な顔で唇を震わせている。
「え? いや、全部だけど。まぁ、珍しいよね」
事もなげに答えた瞬間。
学生たちは、理解不能な化け物を前にしたかのように完全に硬直し――やがて、深く、絶望的な溜息を吐き出した。
すっかり妙な空気になってしまったが、これ以上システムの話をしていても仕方がない。俺はパン、と手を叩いて強引に空気を切り替える。
「……えーと、とにかく! いきなり全部オフにするのは危ないみたいだから、まずは少しずつ補正を弱めて、自分の意志で体を動かす感覚を掴もう。深層に行くなら絶対に必要になる技術だからね」
それから俺は、システムのアラートが出ない不意打ちへの対処法や、身体制御補正が切れた時の重心の取り方など、ダンジョンで生き残るために必要な『マニュアル操作のコツ』をみっちりと彼らに叩き込んだ。
皆、最初は戸惑っていたものの、素直で筋のいい若者たちだ。数時間後には見違えるように動きが洗練され、俺としてもやりがいのある特訓となった。
そうして日が暮れる頃には全員が床に転がるほど疲労困憊になり、本日の指導はお開きとなったのだった。
◇
特訓を終え、自宅のマンションに戻ってきた俺は、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
「あー、疲れた。やっぱ人に教えるのって向いてないな。結局、マニュアル操作の感覚にある程度ついてこれたのは凛と桐生君くらいで、あとの子は最後まで掴みきれてなかったみたいだし」
『そんなことないですよ。今日の内容を理解できたのが二人もいたというだけで、マスターの指導者としての素質は十分です』
「とはいっても、あの子らが多分、元からすげえセンスを持ってるだけなんだよな。凛は言うまでもないけど、桐生君も」
『桐生 颯真。帝央大学探索部部長ですね。検索しました。インターハイ優勝、インカレの個人戦でもベスト16に入った期待の探索者です。メディア対応も良く、世間的な知名度もかなり高いようですよ』
「へえ、道理でいい動きをするわけだ」
『渚さんの魔力波形も安定してきましたし、教えた成果は確実に出ていると思いますよ』
「そういやさ」
プシュッ、と小気味良い音を立ててプルタブを開けながら、俺はふと気になっていたことを口にした。
「昼間の話で思い出したんだけど、俺以外にも自律進化の候補者って三人いたわけじゃん。その人らってどうなってんの? あの審査空間で生存できなかったら、やっぱ死んだの?」
『いえ、あの生存審査は仮想空間で行われるので死ぬことはありませんよ』
ナビ子は淡々と答えた。
『審査に不合格となっただけで、現実には帰還しているはずです。おそらく、自律進化の代わりに、何か別のスキルを付与されておしまいだと思いますが』
「へえ、そうなのか。死んでないなら良かったよ。ちょっと気になってたんだよね」
『私の記録には、彼らの詳細なデータは残っていませんね。……念のため、情報集積庫にアクセスして検索してみましょうか』
「お、頼むわ」
数秒の間、ナビ子が沈黙する。
そして、わずかに不可解そうな声で告げた。
『……おかしいですね。名前も、現在のステータスも一切引っかかりません』
「出てこないって、どういうことだ?」
『システム内に存在している痕跡はあるのですが……。おそらく、私の権限が届いていないのだと思います』
「またそれかよ。ま、ちょっと気になっただけだからいいよ」
『根本的には私の問題ではなく、マスターの問題ですからね!』
相変わらずの減らず口に苦笑しつつ、傾けた冷たいビールを喉の奥へ流し込もうとした、その時だった。
テーブルの上に放り出していたスマートフォンが、ぶうっ、と一回だけ短く振動した。
「ん? 誰だ、こんな時間に」
画面を点灯させると、舟木さんからのメッセージだった。
画面をタップして内容を開く。
『夜分遅くに申し訳ありません。先日のスタンピードでの一件、改めてきちんとお礼をさせていただけないでしょうか? もしよろしければ、私の実家である山梨の方へご招待させてください。もちろん、ご都合が悪ければ私どもの方から東京へお伺いすることも可能です』
「お礼、ねえ……」
わざわざこっちまで出向いてもらうのも悪い気がする。
山梨なら富士山のすぐ近くだし、少し足を伸ばせば気晴らしに観光もできるかもしれない。
数秒ほど考えた後、俺は「せっかくなので、こちらから伺います。観光ついでに」と短く返信を打った。
こうして、俺の山梨行きがふんわりと決定する。
◇
同じ頃、東京・千代田区大手町。
官庁街と隣接する日本の経済中枢に聳え立つ、探索者協会の本部ビル。その最上階の執務室。
全面ガラス張りの窓から首都の夜景を見下ろしながら、銀縁眼鏡の男――《海神》氷室 透は、端末に表示された報告書に冷徹な視線を落としていた。
『富士山周辺スタンピード事案に関する映像解析報告』
ドローン映像のノイズが極限まで除去され、「謎の探索者たち」のシルエットが浮かび上がっている。
くたびれた作業着に、鉄パイプ。そして、特徴的な猫背気味の姿勢で跳躍する男。
さらに、彼と共に空を舞っていた女の姿もまた、明確に捉えられていた。
白銀の髪と、赤い瞳。背後に六基の特異な浮遊兵装を従えている。
「解像度の問題で、顔まではクリアにできませんでした。これでは協会のデータベースと突合して個人を絞り込むことは不可能です」
背後から、柔らかな声がした。《神籬》天宮 巫だ。
「……ああ。男の方はともかく、もう一人の女……推定される称号は『六印魔姫』といったところか。これだけ特徴的な外見と兵装ならすぐに足がつくと思ったが、該当なし。ログの痕跡も皆無だ」
氷室は、指先で小さくデスクを叩き、忌々しげに息を吐く。
「手がかりなしか……」
「そういえば」
行き詰まる氷室に、天宮が思い出したように報告を付け加えた。
「現場にいた探索者たちへの聞き込みによると、彼らが『一人の女性探索者を連れて消えた』という情報があります。もっとも、なぜか数日後には全員が『あれは勘違いだった』と証言を訂正していましたが」
「……訂正した、だと?」
氷室はピタリと指の動きを止め、銀縁眼鏡の奥の目を鋭く細める。極限状態の戦場で集団幻覚を見た可能性もあるが、どうにも引っかかる。それは明らかに、意図的な情報操作の匂いがした。
「その女性探索者、身元は割れているのか?」
「ええ。情報によると名前は『舟木 葵』。先日までこの探索者協会に所属していた元職員ですね。現在の探索者ランクは白金級とのことです。へぇ……若いのに、凄いですね」
「元協会職員か、都合がいい」
氷室の口角が、凶悪な弧を描いて吊り上がる。
これは単なる英雄探しではない。国家の根幹を揺るがす「特異点」の尻尾を掴む絶好のチャンスだ。
「天宮、その舟木という女の足取りと、証言を翻した連中の周辺を徹底的に洗い直すように指示してもらえるか。必ず突破口があるはずだ」
「承知いたしました……ふふ、少し楽しみですね」
◇
一方、富士山の麓。
スタンピードの爪痕が残る樹海近くの薄暗いプレハブ小屋で、金髪の巨漢が窮屈そうにパイプ椅子に座り込んでいる。
《騎士王》ジョージ・ウィンザー。
「……なるほど。やはり、君たちは『何も知らない』のだな」
ジョージは、目の前に直立する数人の探索者たち――スタンピードの現場で湊に助けられた『藤野パーティ』の面々を見据え、鷹揚に頷いた。
「ええ、本当に。あの人たちが何者なのか、俺たちも探してるくらいで」
リーダーの藤野が、額に冷汗を浮かべながら緊張した面持ちで答える。
天鋼級が放つ生来の威圧感は、ただそこに座っているだけでも彼らの肺を圧迫するのに十分だった。
だが、ジョージの碧眼は藤野ではなく、その横で顔色一つ変えずに沈黙を保っている男――スカウトの船橋史郎に注がれている。
「……君は、どうなのだ?」
「俺も、リーダーと同じです。何も知りません」
鋭い視線を受け止めながらも、船橋は淡々と答えた。
ジョージの口元に、微かな笑みが浮かぶ。
「……そうか。ならば、よい」
ジョージは立ち上がり、軋むパイプ椅子から身を起こして小屋の出口へと歩き出す。
そしてすれ違いざま、船橋の肩を分厚い掌で軽く叩いた。
「良い仲間を持ったな、名も知らぬ騎士よ」
ジョージの巨体が去った後、藤野パーティの面々は糸が切れたようにその場へ崩れ落ち、深く息を吐き出した。
ジョージは確信していた。あの男たちは、意図的に何かを隠している。強大な権力に屈することなく義理立てし、命の恩人を売らなかったのだと。
「気に入った。……さて、せっかくの久しぶりの休暇だからな。しばらくはこの周辺で楽しむとしようか」
金髪の騎士王は、富士の裾野に広がる広大な景色を見渡しながら、愉快そうに笑い声を響かせた。
マニュアル操作の感覚を掴めた人
その1:インハイ優勝、インカレベスト16の人→分かる。
その2:この間まで普通の女子大生 凛ちゃん→分からん。
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