第52話 おじさんと、頂上の景色
先導するナビ子の背を追って、深層から上へ駆け上がる。
靴底越しに伝わる感触が、ざらついた岩肌から、踏み固められた土へと変わっていく。
壁面には苔が浮き、湿った空気に、煙と油の匂いが混じり始めた。
視界の端を、人影が過る。
擦り切れたマント。盾に刻まれた無数の傷。鼻を突く薬草の苦い匂い。
中層、浅層へ近づくほど、その数は増えていく。
装備も役割も、見慣れた構成だ。
重装で前線を塞ぐ盾役。隙間を縫う軽装の遊撃。後方で戦況を俯瞰する支援役。
異世界においても、効率を突き詰めれば形は似る。収斂進化というやつだ。
奇妙な親近感だけを横目に、彼らの脇をすり抜ける。
「ここが出口か……?」
ナビ子の軌道の先に、巨大なアーチが見えてきた。
ぽっかりと開いた洞窟の口を、探索者たちが行き来している。
その流れの端へ紛れ、足を止めずに外へ踏み出した。
「へぇ……ちゃんと整備されてると、異世界でもダンジョン前は賑わうんだな」
出口を抜けた瞬間、頭上の圧迫感が消える。
天井のない空気が、肺の奥まで満ちた。
眼下に広がるのは、石畳で舗装された広大な広場だ。
その奥には王都の城壁が鎮座し、見張り台と尖塔が空を刺している。
広場の縁には、探索者協会の出張所らしき建物。
武骨な武器屋の露店に、怪しげな鑑定所の屋台。
呼び込みの太い声と、金属が擦れ合う乾いた音が、活気となって空間を埋めていた。
「これ、王都の中じゃねぇよな? 城壁が見えてるし」
『はい。ここは王都の外縁にある「ダンジョン前町」です。入口のそばに協会と市場を配置し、人と物流のハブとして機能させています。……極めて合理的な都市設計ですね』
「なるほど。これならスタンピードが起きても王都への被害は最小限か。探索者っていう防波堤もあるしな」
放置された廃棄地域の峡谷ダンジョンとは、雲泥の差だ。
地面は掃き清められ、魔導灯の配置も計算されている。行き交う探索者の表情にも、明日の食事を憂うような悲壮感はない。
一通り観察を終え、王都へ足を向ける。
前町の喧噪を背に、石造りの街道を進む。歩くたび、視界を覆う城壁の影が濃くなっていく。
王都の門前には、長蛇の列が出来上がっていた。
荷車を軋ませる商人、戦果を語らう探索者の一団、護衛付きの馬車。
人の流れが太い川となり、門という一点へ吸い込まれていく。
「……これ、前回もらった印を見せりゃ、並ばなくていいんだよな?」
『はい。あちらの「特別通行口」へ。貴族や要人、通行許可証を持つ者だけのルートです』
ナビ子の視線が、門の脇――兵が直立する細い通路を示した。
懐を探る。指先に、硬質な感触が触れた。
取り出した小さな札は、角度を変えると紋章が薄い膜のように浮かび上がる。
門番に差し出す。男の目が一瞬細められ、即座に背筋が伸びた。
「失礼しました。……こちらへ」
長蛇の列を横目に、ゲートを抜ける。
背中側で、ざわめきが一瞬だけ途切れた気がした。
特別扱いされるのは事実だ。便利でもある。
なのに、胸の奥がむず痒い。
「……悪いな。俺も別に偉いわけじゃないんだけど」
小さく溢すと、門番は聞こえなかったふりをして、無言で掌を先へ向けた。
門をくぐる。
途端、空気の質が変わった。
香辛料と焼き菓子、革と鉄、そして人の熱気。生活の匂いが層になって鼻腔を叩く。
軒先には、のれんや赤提灯を模した布が揺れ、胃を刺激する香ばしい煙を吐き出している。
行き交う人々の肌には艶があり、足取りも軽い。
前回は状況に流されて見落としていたが、この赤提灯もどき――どう見ても、地球の居酒屋のノリだ。
「なぁナビ子。これ、先輩が作らせたのかもな」
『可能性は高いかと。この世界において、あの意匠は文化的文脈を無視しています。国王様は地球への執着が強い。……精神的なアンカーとして配置したのでしょう』
「……そっか」
ホームシックか――と緩みかけた頬が、途中で固まる。
よく考えれば、あの人は“帰る場所”がない中で、数年間も踏ん張ってきたのだ。
胸の奥に刺さっていた棘が、少しだけ丸くなる。
――もうすぐ帰れるはずだ。良かったな、先輩。
言葉は飲み込み、肺の空気を入れ替える。人の流れに身を任せ、丘の上に鎮座する王城を目指した。
白亜の城門前で、一度だけ歩みを止められる。
だが、ここでも話は通っていた。
「湊様ですね。国王陛下より承っております。こちらへ」
案内役の兵は、余計な口を利かない。
靴音が石床を叩く反響音だけが、回廊に規則正しく響く。背中が妙に落ち着かない。
長い回廊の先、重厚な扉が開かれる。
広間の奥、豪奢なマントを羽織った偉丈夫――猪狩先輩が待っていた。
「来たか。……お前、相変わらず早いな」
「そら、最高峰の戦いが見れるなんて、面白すぎますからね。すぐ来るってもんですよ」
「よし、じゃあ行くか」
「どこに?」
「ダンジョンだよ。そこなら人目もない。あぁ、安心しろ、相手には『連れがいる』ってことも伝えてる。深層くらいなら潜れるよな?」
「えぇ、丁度そこから来たところですから」
◇
城を出た俺たちは、そのまま王都ダンジョンへと取って返した。
入口を抜け、来た道を逆走する。
先輩の背中が速い。
速いのに、足音がない。
追いかける脚に熱が溜まり、喉が乾く。それでも距離が詰まらない。
辿り着いたのは、荒涼とした大地が広がるエリア。
ナビ子曰く「荒野・断崖バイオーム」。
そこには既に、先客がいた。
空気が、押し戻してくる。
胸郭の内側に鉛を詰め込まれたように、呼吸が浅くなる。
『マスター、この気配──』
ナビ子の警告より早く、視線が岩山の上へ吸い寄せられた。
そこにいる女は、腰掛けているようでいて、足先が地面に触れていない。
岩肌から指一本分、重力を無視して浮いている。
皮膚の感覚が遠のく。冷えた膜で全身を撫でられているように、世界の輪郭だけが異様に際立って見えた。
「おぉエレン。待たせたな」
先輩が親しげに声を投げる。
振り返った女帝は、白銀の髪をさらりと揺らし、鮮血のような瞳でこちらを見下ろした。
豪奢だが露出の少ないドレスアーマー。背後には六つの自律浮遊する魔導兵装が、衛星のように等間隔で並ぶ。
何もしていないのに、喉の奥がひりつく。熱ではない。純粋な“圧”だ。
「遅いじゃない、ヴィクター。……あら? そちらがあなたの後輩とやら?」
「コイツは俺の後輩だ。湊、紹介する。こいつはゼノビア帝国の皇帝、エレオノーラだ」
「はじめまして。……と言いたいところですが」
一歩、前へ出る。
相手が皇帝だろうが、世界最強だろうが、言わねばならないことがある。
「実は初対面じゃないんです。前に探索中、レジェンダリーアイテム『聖域の結界石』をカツアゲされた仲でして」
「は!?」
先輩の口から素っ頓狂な声が漏れた。
「エレン、お前そんなことしてたのか?」
「……覚えてないわ。何かの間違いじゃない?」
エレオノーラは小首を傾げ、鈴を転がすような声で笑う。
だが、赤い瞳の奥は乾いていた。余計なことを言えば――と、肌が先に理解する。
「奪ったのではなくて、私に『献上』したんじゃなくって? ね? そうよね?」
「レジェンダリーアイテムを献上なんてするわけないでしょう! 面白そうなおもちゃだから寄越せって分捕られたんです!」
圧に屈せず言い返すと、エレオノーラの眉間に不機嫌な皺が寄る。
先輩が深く溜め息をつき、頭を抱えた。
「おまえな? そんな事ばっかりやってるから孤独になるんだよ。対等に話せる相手が居ないとか以前に、自分より弱い奴に対する性格直せよ」
「いくらヴィクターの言うことでもそれは無理。こいつらは普通に扱ってあげるとすぐにつけあがるんだから」
「おい、まぁ扱いに関しては分かった。だが、盗ったもん返せよ。流石にレジェンダリーを取るのはやべぇだろ」
先輩の言葉に、首を横に振る。
「先輩、いいですよ。いい勉強になったんで。それに、レジェンダリーアイテムなら皇帝様への『借り』を充当するのにも使えるでしょう」
「……チッ。まあいいわ。ヴィクターへの貸しは今日でチャラにしてあげる」
女帝様が悔しげに舌打ちをした。
どうやら、これで先輩の「貸し」が少し返済できたらしい。
「というか先輩、なんかこの皇帝様と仲良くありません? まさか――」
「ねぇよ」先輩が即答する。「お前が勘ぐるような関係は一つもねぇ」
言い切ったあとで、先輩はバツが悪そうに頭を掻いた。
「無茶な探索してるときに、ちょっと助けられちまってな。……そっから、まぁ、こんな感じだ」
「そう、だから今日も戦ってもらうわ」
エレオノーラは退屈そうに肩をすくめ、指先で空中に小さな幾何学模様を描いた。
「それじゃあ、始めましょうか」
エレオノーラが、椅子から立つように軽く足先を動かす。
それだけで、身体はふわりと宙に浮いたまま位置を変えた。
瞬間、世界の色が変わる。
◇
エレオノーラが仕掛ける。
彼女の背後で、六基の兵装がいっせいに灯った。
光が線になる。一本、また一本。空へ、釘を打つように真っ直ぐ伸びる。
その頂点から、極大魔法が落ちてきた。
かするだけでも――身体どころか存在の輪郭ごと削り取られそうな、純粋な死の光。
だが、先輩は逃げない。
暢気に肩を回しながら、落下点へ歩き出した。
「いきなり始めんのかよ」
「合図はしたはずよ」
光が落ちる。
鼓膜が圧で潰れ、音が遠のく。
視界の中で、岩山が溶けるよりも早く崩れ落ちた。赤黒い粘液が跳ね、遅れて届いた熱波が頬を焼く。
「先輩――!」
叫びは、爆風に食われた。
視界が白い粉塵で埋まる。乾いた空気が喉に張り付く。
……だが、煙が内側から割れた。
そこから、先輩が歩いて出てくる。
煤ひとつない。足取りも普段通り。肩を回し、首を鳴らし、笑っている。
「やっぱり、これくらいじゃダメね」
エレオノーラが、退屈そうに言った。
「いや、ちょっと痛いぞ」
一拍。
エレオノーラの赤い瞳が、すっと細まる。
「舐めないで!」
白銀の髪が光を孕み、白い肌に幾何学模様が浮き上がる。
人の形は保っている。けれど、そこに在る“質量”だけが異常に膨れ上がっていく。背後の兵装が王冠の棘のように起立し、切っ先が先輩へ向いた。
「おぉ、もう顕現か。……流石にこのままじゃきついな」
先輩が息を吐き、短く断じる。
「顕現。不可侵武神」
呟きと同時、先輩の全身から金色が噴き上がった。
光は散らず、身体の縁へ張り付く。薄い膜のように輪郭をなぞり、そこだけ遠近感が狂ったように見える。
黒い瞳の奥に、極細い金の輪が灯るのを俺は見た。
二人が変化した瞬間、戦場の空気が沸騰した。
エレオノーラの兵装が、絶え間なく光を吐く。
一発で地形を変える極大魔法が、呼吸をするような速度で連射される。圧で空間を縫い止め、逃げ場を塞いだところへ、熱量が流し込まれる。
だが、先輩は避けない。
直撃の瞬間、光が弾けて散る。
プロレスラーが相手の技を受け切って“魅せる”ように、すべてを胸で受けて前へ出る。
――なぜ、避けないんだ。
疑問が口に出る前に、ナビ子が答える。
『これが、死合いではなく、エレオノーラが成長するための手合わせだからでしょう』
以前、彼女と対峙した時の記憶が蘇る。決死の覚悟で、やっと指一本を動かせた絶望的な怪物。
それが、先輩の前では教え子のようにあしらわれている。
エレオノーラですら届かない、天鋼級探索者。
その背中は、果てしなく遠い。
――遠い。けれど、「見えない」わけじゃない。
瞬きすら惜しんで、二人の挙動を網膜に焼き付ける。
先輩の足運び。呼吸のタイミング。エレオノーラの術式構成。
システムのオート操作に任せていたら、一生理解できない領域。
だが、俺の「完全手動」なら。一つ一つの動作に分解すれば、あるいは――。
「すげぇ……」
声が漏れた。胸の奥が灼けるように熱い。
恐怖も、絶望もない。あるのは純粋な「飢え」だけだ。
あの場所に、俺も立ちたい。
気づけば、指が掌に食い込むほど拳を握り込んでいた。
『確かに、この二人は規格外の強さですが』
ナビ子の声が、脳内に響く。
『マスターなら直ぐに追いつけますよ。自律進化は真の意味で唯一無二なのですから』
◇
どれほどの時間が経ったのか。
鼓膜を叩き続けていた轟音が消え、急激な静寂が落ちてくる。
砂塵が晴れた先には、文字通りの更地が広がっていた。
岩山は消え失せ、裂けた地面からはマグマが赤い飛沫を上げている。熱気で歪む景色の中心に、二つの影があった。
先輩は、肩で息を整えている。
対するエレオノーラは膝をつき、赤い瞳で先輩を睨み上げていた。その唇が、悔しげに噛み締められている。
「……私の負けね。やっぱり、まだ届かないか」
「ま、相性が最悪だからな。お前がいくら魔導の天才でも、俺みたいな『理屈が通じない相手』には、打ち手がないだろ」
「だからこそ、あなたに勝てるようになれば天鋼級の壁を超えるきっかけが掴めるんじゃない」
「もっと、いい方法があると思うんだけどなぁ……」
二人が、言葉を交わしながらこちらへ歩いてくる。
慌てて表情を引き締め、出迎えた。
「どうだった?」
「……ちょっと、想像の遥か先を行ってましたね。先輩の戦い方が雑なのは相変わらずでしたけど。あと、なんか途中、”顕現”とか言って変身してましたけど、あれは?」
「あれが、種族進化ってやつだよ」
先輩は、いたずらが成功した子供みたいな顔で、ニカッと白い歯を見せた。
「最初は『金剛羅刹』とかいう鬼みたいな種族だったんだが、レベルが1000超えたら、今度は『不可侵武神』だとさ。……本当は口に出す必要なんてないんだが、観客がいるから格好つけてみたんだ」
言ってから、「どうだ? かっこよかったろ?」と少年のように胸を張る。
その問いに、張り詰めていた肩の力がふっと抜けた。
天鋼級だの神に近いだの言われても、中身は変わっていない。俺が知る、ちょっと厨二臭い先輩のまま。
「えぇ、めっちゃ格好よかったですよ。痺れました」
「だろ? やっぱり男なら変身だよなぁ」
満足げに頷く先輩の横で、エレオノーラの視線だけが冷たい。
俺を射抜くような、鋭い眼光。
「弱い癖に、殺気を向けてくるなんて生意気ね?」
心臓を素手で握り潰されたような錯覚。
肺が収縮し、吸った息が喉に張り付く。
――殺気?
指摘されて、初めて気づいた。
俺はずっと、あの戦場に自分を置いていた。先輩の動きを追い、エレオノーラの魔法を解析し、「自分ならどう殺すか」を脳内で回し続けていたのだ。
その思考の残滓が、彼女の肌を逆撫でしたらしい。
「……先輩に勝てないから、格下相手にお口直しですか。やはり皇帝様ともなると違いますね」
口をついて出たのは、謝罪ではなく挑発だった。
自分でも驚くほど、好戦的な響き。
「あら」
エレオノーラの赤い瞳が、すっと細まる。
途端に、肌を刺す空気の質が変わった。
前回対峙したときは、ただの重圧だった。虫を見るような、無機質な質量。
けれど今は、明確に熱がある。「生意気な敵」として認識された、剣呑な刃だ。
「ヴィクターの友人だからといって、手加減してもらえるとでも? 前は指一本も動かせなかった坊やが?」
「やっぱ覚えてたんじゃねぇか。……それに坊やって、あなたよりも年上だと思いますが?」
「あー、湊。高レベル探索者になってくると見た目とか関係ないからな?」
先輩が横から口を挟む。
「そうなんですか? そういえば、先輩もちょっと痩せた外見にしたりしてます? 色気づいちゃって」
「してねぇよ! 探索してたら痩せただけだ!」
そんなコントのようなやり取りを見て、エレオノーラが呆れたように息を吐いた。
ふわり、と白銀の髪が揺れる。その隙間から、赤い瞳が俺を射抜く。
「あなたたち、余裕ね。……で、結局どうするの? 消耗した私でも、あなたくらいなら瞬殺よ?」
背後で浮遊していた六基の兵装が、ゆっくりと首をもたげた。
赤い砲口が、俺へ向く。
全身の毛穴が収縮し、冷や汗が噴き出す。
ここでやるのは不味い。ダンジョン内では「レベル差補正」が露骨に出る。今の俺と彼女では、ステータスの桁が違いすぎて勝負にならない。即死だ。
――場所を変えるしかない。
乾いた喉を鳴らし、提案する。
「手合わせは受けます。……ですが、場所を変えませんか」
視線だけで、崩壊した岩山を示す。
「ここはもうボロボロだ。これ以上壊すと、ダンジョンの修復が追いつかない。……外の廃棄地域なら、誰も巻き込まずに存分にやれるはずです」
「そうだな。これ以上エリアを壊しても仕方ねぇし」
先輩が、すかさず横から口を挟んでくれた。
「外なら互いに出力も落ちるし、被害も小さくて済むだろ。エレンだって、遠慮なく撃てる方がいいんじゃねぇか?」
ナイス援護だ。先輩の言葉に、心の中で親指を立てる。
「……なんでもいいわ」
エレオノーラは興味なさげに顎をしゃくった。
背後の兵装が、ふわりと高度を下げる。肌を焼くような圧力が、わずかに緩んだ。
彼女の唇が艶然と歪み、赤い瞳の奥で光が揺れる。
「いいでしょう。“格”の違いというものを教えてあげる」
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(血を吐いて倒れる)




