第92話 我らは前衛なり
国民軍の台頭に伴い、諸侯の有する騎士団が縮小を続けた今日においてもなお、アイリス・フォン・ブレイザーは騎士の名をその身に背負っている。女の身であれども軍馬に親しみ、剣を手にして戦うことをよしとするブレイザー男爵家――かつては一介の王国騎士であり、勲功によって爵位を手にした家門において彼女が学び取った中で最も重要な教えは、常に最前線に立つことであった。
抱える騎士団において、彼女は騎士の後ろを歩むことは許されない。どの騎士よりも前へと突出し、旗印を掲げて突き進む――その先に待ち受ける剣林弾雨は盾と槍で打ち払い、ヴェーザー王国に仇なす夷狄を殲滅することによってのみ、男爵家の誇りは守られる。
その意味合いにおいて、この戦場――後に「夏戦争」と呼ばれる激しい戦いは、ブレイザー男爵家の誇りを示す絶好の機会であった。第十三幻獣騎兵独立部隊において基幹部隊として位置づけられた第七分隊の副隊長として、彼女は王国の掲げる剣の切っ先となることを宿命付けられ、自身もそれをある種の喜びとさえ捉えていた。
「私が前に行く。エリカは後衛に回って、後ろの部隊と連携を徹底して」
「分かったわ。行って」
槍を水平に構えたまま、彼女は隣を征くエリカに一言伝えた。同じく宿命を背負って戦場に立つ者の間に、多くの言葉は決して必要ではない。エリカとアイリスの戦闘技能は拮抗しており、指揮官としての適性も持っているが、その性質は全く異なる。
烈しく感情を燃やして剣を振るい、前線において戦士たちに範を示すアイリスと、冷徹な判断と明晰な頭脳によって一人でも多くの味方を救うと同時に、可能な限り多くの敵を殺すための計算結果を弾き出すエリカ――互いがその力を自覚すると同時に、相手に備わっている力も深く理解している。それ故、彼女たちは互いを最高の将として信頼しあい、多くの言葉を交わさずとも思いを伝えることができた。
「前衛はテレサとカレン――ついてきて!」
「よっしゃあ!」
「行くぜお嬢ッ!」
第七分隊が誇る荒くれ二人――「土方」のテレサと「チンピラ」のカレンが槍を手に突出する。強靭な肉体と十代の少女の枠を超えた腕力を発揮するテレサと、卓絶した格闘術のセンスを発揮するカレンが前衛となり、アイリスの両脇を固める。彼女らの武器は屈強な肉体だけではない。むしろ、彼女らの強さは炎のような戦意にこそある。苦境にあれども決して屈せず、刃を手に戦い続ける不屈の闘魂こそ、彼女らの真の強さを支える骨格であった。
「――敵前衛接近! 行くわよ雌犬ども!」
「おうとも!」
「ハラワタブチ抜くぜ、クソったれ共がァ!」
既に血に濡れた槍を水平に構え、前衛を務める三人は一直線に加速――迎え撃つは戦列歩兵一個中隊と騎兵二個小隊。幾百もの銃口がユニコーン隊へと指向された瞬間、最前線を任されていたエリカはさらに前へと抜け出して突っ込んでいった。
(まだだ、まだ――)
その場に居並ぶ兵士たちにとって、それは格好の的であった。部隊を半壊させて作戦を頓挫させた仇敵――その中でも一際目立つ駿馬の騎士を討ち取れば比類のない勲功となる。それ故、戦列歩兵を預かる指揮官は致命的な判断ミスを犯した。銃剣で応戦し槍衾を組んで押し包めばそれでことは足りるところを、一斉射撃によって打ち取れという命令を下した――その瞬間、彼らの敗北は必定となった。
「――放てェ!」
無数のマズルフラッシュ――流星のように降りかかる弾丸の雨。それらが到達する直前、アイリスは全力で《ブリッツ》を跳躍させた。凄まじい加速度に殴りつけられて体が軋む。暴力的な打撃を受けたに等しい衝撃に耐えながら、彼女は敵兵が驚愕に双眸を見開くのをしっかりと見据えていた。
「敵騎、上方へ占位――ふざけるな、飛んだだと!?」
叫び声とともに第二列が斉射、紅蓮の煌きが視界に散る刹那のうちに、アイリスは槍を手に敵中へと降下していた。鋼のような蹄が数人の歩兵を踏み潰したかと思うと、銀の残像を残して歩兵の隊列を一直線に両断する。
本来ならば自殺行為に等しい正面からの突撃――それを前に、アルタヴァの将兵は状況を軽視した。ユニコーンの持つ圧倒的な機動力を忘れ、目の前に獲物が飛び出してきたことにのみ目を向けた結果、彼らの敗北は必然となった。
敵が着剣して密集する暇も与えないままに、アイリスは一個小隊を即座に蹂躙、敵の隊形を内側から崩す。混乱した歩兵が後詰の部隊と衝突して身動きが取れなくなった直後、一切の容赦を投げ捨てたカレンとテレサの二人が側面から敵陣に突入した。力任せで乱暴な突撃であったが、その衝撃力は敵の前衛を破断させ、連鎖的に後列にまで混乱をもたらしていった。
「――ッらあ!」
銃剣を振り上げて突進してきた一人をカレンは馬上から串刺しにし、続けて迎撃のため向かってきた騎兵に睨みを利かせた。三騎の敵は拳銃を放って前方へ突出――弾丸はカレンの頬を掠めたが、彼女はそのようなことを一切気に留めなかった。
「来るなら来いよ、殺っちまうぜ――」
騎兵槍をレストに預けて正面から三騎を相手に突撃、すれ違いざまに槍を柄がめり込むまで深々と敵の腹に突き入れて落馬させる。甲冑に埋まりこんで抜けなくなったと見るや、カレンは槍を捨てて手甲で固めた拳を握りしめた。
「カレンっ!」
武器を失ったのを見たテレサが駆け寄ろうとしたが、彼女はすぐにその必要がないことを悟った。カレンの顔には好戦的な笑み――それは、自慢の格闘術でもって敵を打ちのめすことが十分に可能であることを何よりもよく示していた。
「女相手に三人がかりってのはよォ――」
武器を帯びずに吶喊してくるカレンを前に、生き残った二人の騎兵は残忍な笑みを浮かべた。彼らはそれをやぶれかぶれの突撃と見た――が、その実は全くもって異なる。敏捷な野獣が牙を剥いているに等しい。
「――だせェって思わねえのか、この××××どもが!」
至近距離に入った敵は槍を捨てて抜刀――サーベルが銀の弧を描いてカレンの首を刎ねんと迫る。だが、その軌道を彼女は完全に見切っていた。身を反らして寸前で回避――そのまま相手と激突するように馬上で組み付くと、サーベルを握っていた右手を瞬時に捻り上げ、突進の勢いのままにねじ折った。
馬上組討――古風をもってよしとする騎士の技にはそのようなものも残されている。だが、それらはあくまで形式的なものであり、闘魂を養うための訓練の一つとして扱われることが多い。もちろん騎士階級でないカレンにそのような心得があるわけではない。
ただ、彼女はストリートファイトにおいて磨き上げた格闘術――それを軍事訓練において叩き込まれた軍隊格闘術とミックスしてアレンジし、馬上という不安定な状況下で確実に相手に叩き込んだというだけのことである。古流の格式も何もない、対人殺傷に特化した馬上格闘であったが、それは敵兵の右腕を破壊するには十分な威力を有していた。
「痩せ腕だ、こんなものでアタシをファックしようなんざ――」
腕をねじ折っても手を離すことはない。そのまま強烈な頭突きを見舞って相手を崩し、続けざまに左手を伸ばして相手の面覆いを剥ぎ取ると、手甲に覆われた左の拳を固く握りしめて容赦なく顔面を殴り砕いて敵を昏倒させ、奪い取ったサーベルを突き刺して止めを刺した。
「百年早ェんだよ、アルタヴァの童貞兵士が。よう坊っちゃん、ファックは初めてか?」
「――っ!」
最後に残った一人にも容赦なく突撃――肘のプロテクターを叩きつけ、兜を奪い取って猛烈な拳打を浴びせかけた。手甲の鋲が血に染まって弾け飛び、最後の敵がぐったりと動かなくなったそのとき、上空からグリフォンの甲高い鳴き声が響き渡った。既にユニコーン部隊の大部分が突入、敵陣を散々に蹂躙しつつある中、カレンは敵の亡骸を放り捨てて空を見上げ、アイリスとテレサを側に呼んだ。
「……すげェのが来るぜ、お嬢。どうするよ?」
聞かなくとも分かってはいる――だが、彼女は自分の信じる副隊長の口から、はっきりと言葉を聞きたかった。それを察したようにアイリスも好戦的に笑みを浮かべ、後方へと押しやられていく敵を指さした。
「追撃する。地獄の果てまで叩き込むわよ!」