第91話 先陣を征く者たち
「……やったかな?」
「――左胸、命中。目標……ペガサスより落馬。敵陣中央に落下」
特注品の長射程ライフルを手にしたオリヴィアの問いに、観測用のスコープを手にしていたユイが冷静な答えを返した。標的を中佐――大隊指揮官と視認したオリヴィアは、瞬時にそれを撃ち落とした。その判断に一切の迷いはない。
心臓へと必殺の一射を送り込んだ彼女は銃口に漂う硝煙を吹き飛ばすと、素早く弾丸の再装填にかかる。馬上という不安定な状況にありながらも、彼女は並のマスケット射手よりも早くライフルへの再装填を終え、次の目標に狙いを定めた。
「目標は……あのペガサス騎兵を狙おう」
「了解。目標捕捉――いつでもいい、撃って」
観測手をユイに任せながら、オリヴィアは静かにライフルを構えた。「卒業式」の後に手渡されたトップシューターの証――本来ならば狙撃兵団にのみ支給される最新鋭装備を受領した彼女は、その銃だけで尉官四人と佐官一人を討ち取っていた。第七分隊は迅速な目標の捕捉と、階級順の排除によってアルタヴァ軍の指揮系統を破断させ、他の分隊による機動攻撃の威力を格段に引き上げていた。
(……僕の前に出てきたのが、運の尽きだ。恨みはないけれども)
オリヴィア自身は優れた狙撃手の才覚とは裏腹に、決して好戦的な性格ではない。むしろ平時は穏やかで自然と文学を愛する平和主義者である。またその射撃技能の高さも戦争のために磨いたものではなく、山奥での自活のために必要最低限の獲物を狩るための技術でしかない。
だが、そのような彼女をして戦場で縦横無尽の活躍を為さしめるものは、仲間を守らなければならないという義務感、そして可能な限り殺すことなく勝利へと近づきたいという強い意志であった。
流れるように再装填を完了――再び狙いを定め、オリヴィアは上空へと退避を試みるペガサス騎兵を見据えた。緩やかに遠ざかる背中を圧倒的な射程を誇るライフルで狙いながら、彼女は自らの放つ一矢が戦争の集結に繋がることを願ってトリガーを引いた。
鋭い反動と衝撃――燃焼の大部分が余剰となって噴出するマスケット銃とはまるで違うシャープなリコイルが右肩を突き抜ける。装薬量も弾丸の重量もマスケット銃より少ないが、その精度と射程は旧来型の小銃を凌駕し一切の追随を許さない。
一直線に飛来した弾丸が騎兵の背中を貫き、主を失ったペガサスは混乱の中天の彼方へと飛び去る。空中から射殺死体が落ちてきたことで混乱がさらに拡大し、当初は秩序だった作戦行動についていたアルタヴァ軍前衛は烏合の衆へと転じていく。
「撃墜。敵部隊、上空観測能力を喪失と推定……オリヴィア、これで士官6人目だよ」
ユイの報告は冷静であった。無論のこと恐怖に耐えながらではある――が、彼女は自らの心の軋みを決して表には出さない。軍医の家系に生まれてきた彼女は、負傷者の前で動揺を見せることは敵前逃亡にも等しいと刷り込まれてきた。感情は揺らいでも判断だけは揺るがない――そうあることを自らに刻んだ彼女は、単なる衛生兵の役割を超えて、参謀にも近い潜在能力を発揮しつつあった。
「崩れてきたわね。この勢いだと、相手は作戦を放棄して離脱を優先するはずよ」
隊長を務めるエリカは馬上から状況を確認する。彼女の手にした槍には血が滴り、手甲や兜の面覆いにさえ血糊が飛んでいた。最前衛を任されたカレンとテレサほどではないにしろ、彼女の槍は多くを貫いてきた。それを悔いることもなく、必要な判断を下しうるという点において、エリカ・シュタイナーは天性の指揮官であった。
「そうなると、出てくるのは……」
ナイフのような鋭い輝きを帯びた瞳が空を見据える。その先には、鉤爪で樽を掴んだグリフォンの群れが一個飛行隊――すなわち十二騎あった。斥候の排除や地上攻撃のような用途で用いられるそれらは、ヴェーザーとアルタヴァの両国で一般的な航空戦力であった。
「地上への阻止攻撃。航空隊が爆撃と地上への強襲で前線を乱して、その間に短期間の大火力投射攻撃でこちらを足止め――あとは一目散に逃げるだけ……」
アイリスの言葉にエリカは小さく頷いて、空を静かに見つめた。ユニコーンの打撃力は大きいが、グリフォンの鉤爪は並の地上部隊ではどうすることもできない。同じグリフォンをぶつけて空中白兵戦を挑むか、密集して一斉射撃を行う、あるいは極めて高密度の方陣を形成して銃剣あるいは長槍による防御を組立てる以外の方法はない。
「見えてないわけがない――追撃すれば相手に打撃を与えられるかもしれないけれど、多分うまくはいかないと思うわ。アイリス、貴方がアルタヴァの将官なら、どう戦う?」
「私なら……」
手にしていた槍をランスレストに預けながら、アイリスは思考を巡らせた。脳裏にはいくつかの古典的な戦法――その中から現状に最も近いものを選び、同時に自らの判断も加えた上で、彼女は答えを導き出した。
「私なら、後方に決死隊――遅滞戦闘のための拘束部隊を用意して乱戦に持ち込み、そのまま味方の上に爆撃する」
紛れもない外道――されど、この状況ではそれが正解であった。エリカは頷き、さらに問いを投げた。
「……敵の能力は?」
「士気が高い精鋭だと思う。それも……多分、思想的に共和主義に傾倒した部隊。生きて帰るつもりがない精鋭部隊は、簡単には崩せない。時間を稼いで頭の上から叩いて、本隊は撤退して後方の陣地から反撃するつもりなんだ、多分」
「……分かった、十分よ。」
大きな誤りはない――それに納得したエリカは、真っ直ぐに駆けていって部隊長であるベアトリクスのもとへと向かい、並走しながら報告を上げた。彼女の脳裏には、既に現状を打破する方策が練り上げられている。
「アルタヴァ領内より、敵の航空隊が接近――恐らく、こちらの前衛を決死部隊で拘束し、その間に航空攻撃で追撃を阻止するものと推定されます。そのため――自分は、敵決死隊への制圧攻撃を進言します!」
「……なるほど」
ベアトリクスの瞳が冷たさを帯びる。そのまま彼女はエリカを見つめていたが、すぐに表情を和らげた。
「実はな、私も同じことを考えていた。というわけで、これから全員に命令を伝える。我々は敵と正面から――それも、こちらの前衛かま到着するより早く接触し、これを叩き潰す。撃破後は即時離脱、爆撃を回避して進軍を再開する……以上だ。貴様らは第一より前に出て、全力で敵を潰すのが仕事だ。穴は第八と第六の連携でカバーする――貴様らは先に前に出て、部隊の突破口を開け!」
「マム・イエス・マム!」
エリカは愛馬を駆けさせ、全ての分隊へと情報を伝えて回りながら一人思索を巡らせた。恐らく、これから自分たちが対峙するのはある種の信仰者の軍隊にも似た集団となるであろう、と。
共和主義という一つの理想は、神という曖昧な存在以上に戦士に対して明確な目標を示す。人間の理性によって建つ巨塔が拠り所となるならば、トリガーを引く指は迷わない。それが王族全員を処刑する惨劇を招きさえした。
(私はそれを前に……いや、やるしかないんだ。ここまで来たら、もうどこにも戻れない)
自らの頭上に爆弾が降り注ぐと知ってなお戦う軍勢がいかなるものか、エリカはある程度理解している。それは概ね過去の歴史――かつて隆盛を誇った宗教権力が強大な武力を振るい、異国の征服を目指して宗教戦争に明け暮れた時代を参考にすれば明白なことであった。死を恐れず、なおかつ戦争目的を深く理解する戦士は何よりも恐ろしい。
敗北が眼前にあれども決して撤退することなく攻撃を続け、肉弾散るとも前進をやめない集団がどれほど強力な打撃力を備えているか――歴史書においても恐怖とともに語られるその威力は、断じて誇張されたものではない。エリカは一目散に駆け戻ると、第七分隊の仲間に命令を伝えた。
「……全員、聞いて。これから敵の前衛に突っ込む。先頭は私たちよ。第一分隊よりも前に出て、私たちが騎兵隊の切っ先になる。総員――騎兵槍突撃用意!」




