ヒラトとジンの周り
ヒラトとジンが双子の兄弟であること。
それを知っている人間は殆んどいない。少なからず学園の生徒の中には一人として。
そもそも二人は言われれば気づく程度には似ているが、持っている色彩がまずもって違う。
ヒラトは漆黒の髪と黒がかった緑の瞳。対するジンは月光を思わせる銀髪と銀がかった碧眼。それぞれ違う色を見て、咄嗟に血の繋がりを察することのできる人間はなかなかいないものだろう。
言われれば気づく程度とはつまり、言われなければほぼ気づかないことと同義である。
さて、そんな双子はよく学食にて目撃される。
この学園には寮があるが、だからといって全寮制ではない。地方や他国から来た生徒と希望した生徒に限り寮室は提供される。
寮生ではない生徒たちは各々で朝食と夕食を取ることになる。昼食は自由で、家から持ってくるも良し学食で購入するも良し、である。
ちなみに二人はまちまちで、ヒラトは持参でジンは購入、または逆もありだったり両方とも持参や購入の場合もある。つまりは好き勝手にしている。その日の気分と言ってしまえば簡単だ。
その二人が学食で目撃者多数であるのは、主にヒラトの提案でよくよく学食を訪れるからである。
ヒラトとしてはジンとの食事が当たり前で、別に特別関係性を隠すつもりも必要もないと捉えている。それらを否定する気のないジンは殆んどヒラトが望むのならと頷くし、止める素振りも気もない。へらりと笑いながら隣を歩いている。
学食に行ってまずやることと言えば、ヒラトは席取り、ジンは昼食や飲料を購入しに行く。最初は日替わりであったり週替わりだったりいっそのこと月替わりを試してみたりしていたのだが、気づけば綺麗に二手に別れるようになっていた。特に問題があるでもなし、今のところはこの割り当てを続けていくつもりである。
「……また、ジンのやつと……」
「王子、そのような目であの方を見るのはお止めになってください」
「どんな目だ」
「あら、分かっておりますでしょうに。ヒラトさんが減りますわ」
「いや、減りはしないだろう。しないよな?」
「しないだろ。なんで不安になってんだ」
「あら、減りますわ。ぱっと見だけで判るほど減りますわ」
「そうですわ、減りますのよ」
「アホか」
アホの極みである。
こちらはヒラトを気に入っている上位階級、二学年Aクラスに所属する生徒たちである。第二王子と婚約者、それぞれの親友で計四名。いそいそと席を取って無表情で行儀正しく座っているヒラトを観察している。
ヒラトは無表情で、その上無感動な質であるのか発するその声に感情が籠ったことはない。
そんな様子であるから、元々クラスメイトでもあるまいし王子の興味は欠片も向けられてはいなかった。そのまま卒業まで、と思っていられたのは第一回目の結果が貼り出される式のテストの結果発表の折りであった。
「ぜってぇヒラトが一番」
今日も今日とてヒラトと学食に来たジンの一言。耳にした当時は当然、そんなわけがあるかと思ったものである。王子という生まれ、立場から幼少の頃より英才教育を施され勉学は日々の友だった自分を超える人間なんて、己が親友に少しばかりの確率があったとしてその他の人間にあるはずがないだろう、とも。
今思えばほどほどに傲慢である。何時思い出しても赤面もので今も顔を覆ってしまいたいくらい内心で悶えている。勿論顔に出すようなヘマはしない。それほど不様ではない。
そして貼り出された結果を見て絶句した。
あの、へらりへらりと笑っていた銀髪男の言っていた通り、首席として載っていた名は「ヒラト」。
「ほらー、やっぱ言った通りじゃん」
へらっと笑いながら隣の男へと言う銀髪。
そこにいたのは黒髪の男。涼しげな目元にどこまでも無い、表情や感情。銀髪男がどれほど話し掛けていても黒髪男は相槌の一つも打たず、無言で聞き流している。そのくせ歩幅は合わせたままで、時々銀髪男を見遣る視線だけがほんのり優しさを含んでいるような気がした。
それが、なんだか無性に悔しかったのだったか。
王子である自分のことは一秒たりとも視界に組み込まない、それなのに何故かこちらの脳裏に刻まれた一人の男。横に流している髪より短い後ろ髪に、ところどころぴょこんぴょこんと跳ねていた髪質。
ゆっくりと観察するように、写し込むように上下する長く生え揃った睫毛。
袖が長かったのか半分程度が隠れた男のわりには白そうな手。ちらりとしか見えなかったが切り揃えられた爪は必要最低限で、もしかしたら深爪をしていそうなほど短かった。
おそらくは自分で流しているくせに横髪を邪魔そうに耳へ掻き上げる動作。考えるように口元へ指先を持っていく仕草はいとけなく。
気づけば、いいや気づく前から。
どうしようもなく気になった。気になって、目で追っていた。
視界の隅にでも映ろうものなら思わず見てしまったし、どんなに遠い位置からでも居場所を把握できるくらいにはその存在に惹かれた。目や心が惹き付けられた。
それはいつしか自分だけでなくなり、側にいる婚約者や彼女の親友、また自分の親友もまた黒髪男──ヒラトを気にするようになった。
顔立ちは綺麗だがそういう種の興味ではない。言動に時おり艶やかさが混ざるがそれは求めていない。
『あ、王子様、』
決して親しいとは言い難い相手。
それでも無視されるよりはマシで、こちらにきちんと目を向けてくれるだけマシで。
そんな他よりマシマシの関係性。それとはまるで違う銀髪男との関係。
ヒラトは銀髪男──ジンに対してはよく口を開くようだった。すぐに口が閉じるところを見るからにして、短い返答なのだろうと思いはしても。
『───ジン』
呼ぶ声、出せない感情を敷き詰めたような声。
ジン、と鈴の鳴るような響きで。もしも幻覚の見える瞳だったのならばきっと今ごろ花がぽぽんっも咲いているくらいの喜びが声の最奥に在る。
羨ましくて、妬ましい。
そもそもそれにすら気づいているのは自分だけであるようだ。
連鎖的に考えて、今までヒラトの隣を陣取っていたジンが羨ましくて吐いた彼を下に見る言葉は、ひどく自身の株を下げていたのではないかと思っている。確信はないが、それが当然の感情だろう。
気づいた瞬間首を吊ってやろうかと思った。
それ以降、どうにもヒラトに話し掛けられずにいる。今までのことをどう思っていたかなんて回答が想像出来そうで出来ないものだから余計に怖い。
ヒラトに言葉を以て拒絶されることが、何より怖い。
そんな王子らに対して、こちらはジンに友愛を注がずにはいられない学友たちである。計三名。
それぞれに適当な昼食へ手を伸ばしたりナイフとフォーク、またはスプーンを伸ばしたりしている。好みではない上に扱いにくいナイフは早々に置き捨て、多少行儀の悪いことは承知の上で口を開く。
「やっぱ来たね、あの二人」
「まぁ、目の前で連れていかれたしな」
「今日こそジンと一緒に食いたかったのにー」
あからさまにふて腐れている一人に、二人は苦笑する。
二年目に突入してもジンの隣席を譲らずにいる彼は、銀髪を揺らしたクラスメイトに危ない賭け事から救われて以来、どうあってもジンに近づきたがっている。かといってジンを困らせるのは不本意であるし、何も期待せずに友愛を注ぐことに不満はない。
つまるところ、現状に満足しているのである。
しかしだからといって諦めたわけではない。むしろより一層虎視眈々と狙いを定めている。
狙って、それで。
きっとその先はない。ないとわかっているから続きのない想定が許される。ついつい考えて、それでも結果は何も変動しない。
「……ジン、は……ヒラトといるときが一番楽そうで、……そのくせあの綺麗な緑は銀じゃない色で翳ってるんだ」
それが不満なのだと、彼は言う。
時々、どうしようもなく苦しそうに見えるから。
そうは言っても彼に出来ることはないし、それはジンの望むところではないことも重々承知している。だからこそ歯痒いと思うし、やはり少しでもいいから近づきたいとは思ってしまうのだけど。
ジンは、他人に無関心なところがある。いいや、ヒラト以外の相手には事実、無関心なのだろう。
へらりと笑う顔を知っている。それが、一番浮かぶジンの表情だから。
瞳の奥が冷え切る瞬間を知っている。興味なさげに、ジンを貶める発言をしてくるAクラスのやつらの言葉をへらへらと受け止めているとき。
瞳が翳る一瞬を知っている。ヒラトがジンを呼ぶとき。嬉しそうに煌めくのに、翳る、よくわからないその一瞬に気づいたのは、二年目が始まってすぐのこと。あれって思って前よりもっと注意深く観察していたら気づけたその一瞬の翳り。
ジンは、よく笑っている。へらり、へらへら。
そんなジンを軽視しがちなAクラスの、ヒラトを気に入っているらしい貴族たちは気づかない。
いや、第二王子は気づいたようだと彼は思う。
お陰で最近はジンが呼び出されることが減った。王子自らヒラトへ会いに来てはジンに子どものような言い分で突っかかっていたせいでヒラトだけではなくジンまでも貴族に目をつけられていたが、王子が足を運ばなくなった途端にコレだ。ヒラトはお気に入りから外されたなんて噂があるくらいだが、そんなことはまず有り得ないだろう。
王子という立場上、手に入らないものなんてなかなかなかったのではと一平民な彼は安易に想像する。というか、お気に入りから外されたのであれば王子がヒラトを見るその目はどうして自分たちと同じ色をしているんだろう。
近づきたくて、でも、近づけない。
そんな、ジンに対する自分たちみたいな。
繰り返すが、王子は気づいたのだろう。つい先日の、ヒラトがやたらと怒っていたその理由がジンのためだという事実を目にして。
ジンにとってそうであるように、ヒラトにとってのジンは他の誰よりも優先すべき相手で大切な相手。ヒラトにとってジンを傷つけたり貶める相手がいい印象を残すはずがない───ということに。
今更な気がするが、気づけたのなら変わっていくかもしれない。
……それにしても、あの二人は何だか似ている。似通っていて、そうしてそれぞれに惹き付けられる自分たちがいる。
返されなくていい。ただ、注いでいたい。
一方的に注ぎ、それはきっと自己満足なのだろうけど少しでもいいから側にいたい。
なんだろう、この友愛は。
不可思議なもので、きっと一生解らないもの。
そしてきっと、ジンには届かない。
王子のそれもまた、ヒラトには届かない。
───それでもいい、なんて。
「俺らって、結構アイツに執着してるよねー」
ジンの隣席の彼がこぼせば、ジンと彼の前の席に二年目も座っている二人は呆れたように笑って。
「何をいまさら」
「してなかったから無償の友愛なんてないって」
「ま、だよねー」
ジンは、きっと知らないのだ。いやもしかしたら知っているのかもしれないけど。
「俺ら、結構な生まれなのにねー。まんまとジンに執着しちゃったー」
ジンは知らない。知らない、かもしれない。
彼ら三人は元々モルモットで、王が欲しがりながらも彼らの意思を尊重して放たれた力の塊だということ、を。
普通ではないし、普通にはなれない。
だけど自分の主は自分たちで決める。そのために後々の世で主力となるだろう人間が集まる学園に入れてもらった。そこで見つけたのがジンだった。
力の塊ではあるが、意思は平凡な人間のそれに基づいている。モルモットの下地となったのは地下で生きていた子どもや捨てられた子ども。知識はほぼない。悪知恵もほとんど働かない、ある意味で未発達だった純粋な小さなこころ。
それを変えたのがジンで、純粋さに執着を加えた結果が見返りを求めない友愛となった。
「ねー、ジン、欲しい?」
一人が訊ねた。
二人はきょとんと顔を見合わせて。
「いや、むしろ欲しがってほしい」
「うんオレも。所有されたいって感じだ」
「うわっ変な趣味してるみたーい」
「そーいうお前は?」
決まってる、と彼は笑った。
「アイツのために何かを出来る、それが許される存在になりたいよ。それがアイツの所有物になることが条件ってなら喜んで」
同じ穴の狢。
ケラケラと笑って、三人は食事を終えた。
どうしてこうなる