4 遭遇
スペクタル?
新世歴216年6月、王都に迫るシュルト軍二万を殺戮の戦鬼が壊滅させたことによりトーア王国は亡国の危機を脱した。
これにより疲弊したシュルト、トーアの二国は国力の立て直しに迫られ暫しの間、大陸から戦乱の嵐が遠退いたように思われた。
しかし新たな暗雲が誰も思いもよらぬところで蠢き始めていた。
夜空に無数の光の球が現れては尾を引きながら消えていく。
俺は暫し流星雨に目を奪われていた。
トーアとシュナの国境を最短で越えるため大回りとなる平地の街道を避け山岳地帯の細い山道を進んでいたが今日中に着くはずだった村が崖下に見えてきたところで日が暮れてしまっていた。
そんな時に夜空の一大イベントが始まったのだ。
元の世界では流星雨の話題を知っていても夜道は街灯で明るく照らされ夜空に注意することもなかったが手にした松明が照らし出す範囲以外は闇の帳に包まれた状況では嫌でも目が引き付けられる。
しかしいつまでも見ている訳にもいかない。
目を山道に戻そうとしてふと夜空の一画の流星の一つが消えずに大きくなっているのに気付いた。
それは見る見るうちにこちらに近きどんどん大きくなっていきやがて頭上を通り山の頂上に吸い込まれるように激突した。
ドーンという轟音の後に激しい振動が襲い掛かってきて危うく山道を踏み外しかけたがなんとか堪え踏み留まった。
しかし今度はザーと砂の流れるような音とゴゴゴーという圧迫感を伴った地響きが山の上の方から聞こえてきた。
俺は上空に特大の 火弾を撃ち上げてみた。
そこには山の斜面を津波のように滑り落ちてくる大量の土砂が見えた。
隕石が原因の土砂崩れに遭遇するなんてどんだけ天文学的確率の運の悪さだ。
まあ俺自身はどうとでもなるが土砂崩れがこのまま進めば崖下の村は壊滅である。
「チッ、止むを得ない」
俺は意を決して山側の斜面に手を当て土魔法を使い村の範囲をカバーするよう横長に伸ばし厚みと高さを十分に取った土壁を隆起させた。
そして魔力を流し込み続けて強度を強化しながら土砂を待った。
土砂崩れが土壁に到達しもの凄い負荷が掛かってきて強度を維持するためにドンドン魔力が吸い上げられていく。
はっきり言って無茶苦茶辛い。
魔力と一緒に気力も根こそぎ吸い取られていくようだ。
「うおぉー!」
俺は気力を振り絞り続けた。
やがて負荷が減っていき消えていった。
俺は両手と膝を地につけて肩で荒い息をしていた。
自分の都合で兵士とはいえ数万人の人間を殺した自分が数百人の見ず知らずの村人を助けるために命を掛ける。
まったく合理的ではない。
そのどこか滑稽さに俺は自嘲するように笑っていた。
「・・・不敵にも“殺戮の戦鬼”に挑んだ旧ラード国国境付近のトーア軍 一万はあっさり返り討ちに合い王城まで攻め込まれたそうだ」
「それで?」
「ところが“殺戮の戦鬼”は王女を見初め手籠めにした挙句、王に王女との婚姻を迫ったと」
「ふん、ふん」
「丁度その時、護りが手薄になった旧ラード国境からシュルト軍三万がトーア軍二万を撃破し王都目指して攻め上ってきていた。窮地に立たされていたトーア王は一計を案じ“殺戮の戦鬼”に王都に迫る国境での戦いで残り二万となったシュルト軍を討ち果たしたら王女との婚姻を認めると持ち掛けたそうだ」
「ほー、ほー」
「見事、シュルト軍二万を討ち果たした“殺戮の戦鬼”が褒美を受け取りに王城に戻ってくると婚姻を嫌がった王女が国を出奔したことを聞かされた」
「なるほど」
「それで“殺戮の戦鬼”は愛する王女を探して大陸中を流離っているそうだ」
「マジで?」
「ああ、“殺戮の戦鬼”がここシュナでも王女を探しているのを見たっていう話しもある。王女は黒髪、黒目の美しい姫らしい」
「アハハハッ、あたしと同じ特徴だね」
黒髪、黒目の女が酒場のカウンターで酔っ払い客とバカ話しに興じていた。
自己申告しているように確かに美しい女だ。
歳の頃は二十歳前後で俺が探している女と特徴は一致しているが魔力探知では普通の人間と変わったところは見られない。
相変わらず巷ではデタラメな噂話しが広まっていた。
酷いのになるとシュルト軍二万を目から怪光線を出して大地に穴を穿ちその中に蹴落として口から火を噴いて焼き殺したり足で騎馬数百を踏み潰したとか無茶苦茶な話しになっている。
俺はどこぞの怪獣かなにかか。
まあこの世界の土魔法は一度に人ひとりが入れる程度の穴を大地に穿つのが精々だし手で掘った方が速い。
俺の場合は隷奴時代に常人を越えた自分自身のスピードを制御するために身につけた思考加速と大きな魔力があるが故に使いものになっている訳だ。
もっともシュルト軍二万をほぼ全滅させる前までは山岳地帯の村を助けたような天災規模の猛威に抗するような強力な土魔法は使えず土木建築的な大きくて長いだけの溝掘りしかできなかった。
やはり敵を倒せば倒すほど確実に魔力が上がっているようだ。
火裂弾、 風台風なども厖大な魔力に任せた俺のオリジナル魔法だが以前に実験した時と違って数万の軍を僅かな間に壊滅させるほどのバカげた威力になっているのもその所為だろう。
しかし大魔導師シオンを探しているのがトーアの王女とすり替わっているのはなんでだ?
聞き込みやっている俺と怪獣の如きと噂される“殺戮の戦鬼”がどうして結びつくのかも分からない。
噂の無責任さに呆れるばかりであった。
「しかし不思議な話しもあってな。王女を探し歩いている“殺戮の戦鬼”はトーアとの国境の山岳地帯から来たそうなんだ。一ケ月前の流星雨の日に山頂に流星が落ちて山道の中間地点にある村の上の崖が土砂崩れを起こしたんだがいつの間にか出来ていた土壁がそれを防いだとのことだ。“殺戮の戦鬼”がやったんじゃないかって話しもあってな。血も涙もない人食い鬼がなんでそんなことをしたのか謎だよなぁ」
「ハハハッ、鬼の目にも涙ってヤツじゃあないのかい」
女が適当な相槌を打っている。
放っとけ。
俺はムスッとした表情で目の前の夕飯を食っていた。
夕飯自体は焼いた魚の干物に野菜が添えてあり醤油もどきが掛かっていて結構いける。
この辺では米が収穫されておりご飯があるのがグッドだ。
後は焼き魚が干物でなく生魚を焼いた方がよかったのだがここ二週間ばかり不漁で水揚げがないそうだ。
ここはシュナの王都で海に面した港湾都市である。
トーアとシュルトとの貿易の中継地点として海運で栄えている国であり、元ラード国とも大河で繋がっており大陸の流通の要でもあった。
それ故に国家間の貿易を阻害する大陸の動乱を望まぬ土地柄でもあるのだが。
トーアとの同盟もシュルトの軍事的圧力に対抗する止むを得ない処置であり大陸に覇権を求める野望はなさそうである。
俺は国境の山岳地帯から一ケ月、各地の魔導師に大魔導師シオンの消息を尋ね歩きながら王都に辿りついていた。
これまでのところ成果はなしだ。
余計な噂が広がったぐらいである。
しかも王都に入ってからは監視の目も感じていた。
トーアかシュナの手の者だろう。
トーア王は俺がシュナに向かっているのを知っているし同盟国であるシュナに伝わっていてもおかしくはない。
殺気がないところからシュルトではないとみている。
見られているだけなら害はないので放っているが手を出してきたら締める予定である。
食い終わって果実酒で喉を潤していると酒場の戸が開いてフードを頭から被った女の二人組が入ってきた。
二人ともこんな場末の酒場には相応しくない優雅な物腰であったが一人は周囲に油断なく目を巡らしているところをみると護衛のようである。
そして二人は俺の前で立ち止まった。
「戦鬼様・・・」
護衛されている方の女が小さく声を掛けてきた。
「?」
俺にこの国で知り合いはいない。
ましてや女の知り合いなんて・・・。
女はフードを外して顔を見せた。
「お漏らしひ・・・」
姫と続けようとした俺の口をトーアの王女が慌てて両手で塞いだ。
雑用などしたことのなさそうな白く嫋やかな手の平の感触に俺は少し戸惑った。
因みに護衛はお付きの侍女のようでフードの間から覗く殺気の籠った目が俺を鋭く睨みつけていた。
俺に短剣で斬り掛かってきた侍女だろう。
そういえばお漏らしの件はこいつに擦り付けたっけ。
俺の噂には出てこないが城内では広まっているのことだろう。
それを指摘されかけたと勘違いしているようだ。
「黙りなさい!黙りなさい!」
王女は顔を真っ赤にして俺の口を塞ぎ続ける。
相変わらず弄りやすそうだ。
俺は箸を置き王女の手を優しく退けて言った。
「じゃあなんて呼べばいい?」
「名前で呼んでください」
「俺、お前の名前なんて知らないぞ」
「エッ!」
王女は呆気に取られた表情をした。
そりゃあトーア王城内では王女の名を知らない者はいなかったろうが王城の下調べさえ碌にしなかった俺が王女の名なんて知る訳がない。
「・・・ライザです。ライザと呼んでください」
何故かはにかみながら王女が名乗った。
「で?そのライザ姫が態々シュナまで来て俺になんの用だい?トーアの仇をシュナで討つとか?」
「そんなことしません!」
「じゃあなんで?噂では姫さん、婚姻を迫る俺から逃げていることになっているぞ」
「それが・・・、つまり・・・」
モジモジする王女。
話しが進まぬことこの上ない。
「簡潔に20文字までに十秒以内に答えること。それが出来なければ話しはここで終わりだ。1、2、3、・・・・」
「エッ!!そんな!えーと、一、二、あわわ、分からなくなった。だからその・・・」
王女は混乱を極めた。
俺はそんな様子を暖かく見守る。
相変わらずからかい甲斐のあるヤツだ。
「冗談だ。落ち着け」
「貴方という人は・・・!」
からかわれたと気付き怒りの表情を見せる。
「姫様・・・」
侍女から制止の声が掛かり王女はグッと抑えた表情になった。
目を瞑り深呼吸をしている。
お、立て直した。
「お父様から書簡と大魔導師シオンの手掛かりを預かって参りました」
「ほう」
俺は表情を引き締めた。
「まずは書簡をお読みください」
俺は差し出された書簡を受け取った。
「しかしこんなところでいいのか?酒場中の注目を集めているようだが」
「構いません。お父様より衆目を気にする必要はないと聞いております」
俺は書簡を読み始めた。
玉璽の押された正式な書簡である。
「・・・これはいいのか?」
「はい、旧ラード国境周辺を領地とした辺境伯の叙爵の宣です。先のシュルトとの国境付近での戦いで前辺境伯は後嗣を含む一族郎党と共に討ち死にされ空席となっています」
「しかし俺がトーア軍一万を壊滅させその原因を作った訳だし王城では近衛兵を大分斬ったぞ」
「問題ありません。シュルト軍二万を殲滅しトーアの亡国の危機を救った戦功に較べたら目を瞑らざるおえません。それに私との釣り合いを考えると・・・」
ゴニョゴニョと尻切れトンボになった。
「釣り合い?」
「は、はい!先の戦いの報奨には私とのこ、婚姻も含まれます・・・」
顔を真っ赤にしている。
旧ラード国境に領地を与えて国軍再建までシュルトに睨みを効かせ同時に俺をトーアに引き込む枷とし更に王族を降嫁させ血で縛る。
騎士二万を殲滅出来る個人戦力を王家の元に置くことが出来れば王家の権威を高めることにもなる。
しかし王族や貴族の娘にとって政略結婚は普通のことだろうに本気で恥ずかしがっている。
それに前回と違って脅されている訳でもないのにシュルト軍二万を殲滅した俺に怖れを抱く風もなく特権階級特有の選民意識に凝り固まった蔑みも感じさせない反応だ。
俺がラードで見てきた王族や貴族は人を人とは思わない外道ばかりだった。
それはトーア軍の将軍も変わらなかった。
この王女はよっぽど大事に育てられた箱入り娘で他人に対して先入観が少ないのだろう。
人の善意を信じられる甘い性格ともいえる。
「・・・要らない」
俺は暫し黙考し拒否した。
「エッ!私のどこが気にいらないのです」
領地や叙爵じゃなくそっちかよ。
「主に顔」
「城の皆は私の美しさを褒め称えてくれています」
「城の皆?具体的には誰と誰?」
「お父様、お母様、兄上、大臣達、侍従長、侍女達、近衛達、社交会で顔を合わす貴族達だって」
「両親は親の欲目、兄はシスコン故、後は立場が上の者に対するお世辞。本当はそれほどでもなくても周囲が褒めそやせば本人は錯覚するものだぞ」
「そ、そんな・・・」
揺らいでる、揺らいでる(笑)
実際にはどんな美貌の持ち主でも自分の顔にどこかしら不満がある訳で意外と自信を揺さぶるのは容易い。
そのウブさからみるとこんな悪戯を仕掛けてくる人間もいなかったのだろう。
「冗談だ」
俺は笑って先の言葉を虚言とした。
「あ、貴方という人は・・・」
「ライザ姫、君はとっても美しくて魅力的だ」
王女の握り締めている手をそっと優しく両手で包み込み顔を近づけ両目を見つめながら真面目な表情で言った。
「あッ・・・」
王女は顔を真っ赤にして俯き加減に目を逸らしはにかむ。
しかしこちらの手を払う様子もない。
落として上げる。
男に免疫がないとどうなるか面白がって弄ってみたが思ったより良好な反応である。
「冗談だ」
又も笑って手を離した。
「本当に貴方って人は・・・」
今度は怒りで顔を真っ赤にしながらわなわなと震えている。
「姫様・・・」
侍女から又制止が入った。
「・・・とにかく私との婚姻のためには身分の釣り合いを取らねばなりません。拒否は認められません」
「なんで?本末転倒じゃない?」
「私に不埒を働いたのだから責任を取ってもらいます」
「不埒って、お漏・・・」
王女から殺気の籠った目で睨まれてぼやかして続ける。
「・・・助けてやって王さんのところに案内してもらっただけだぞ。ライザの身体には一切手を出していない」
「周囲の者はそう思いません。貴方と二人きりであった時間と衣服の乱れがあれば誰でも何かあったと思います」
「城で別れた時にライザが『あれだけのことした』って叫んだのが止めになっていないか?」
「それは・・・」
「あれがなければ侍女の 身を呈した献身的な働きによって姫の貞操は守られたと美談をオチ込みで流せば風評なんて面白い方に流れるのだから丸く収まったかもしれないのに」
侍女の視線が俺を射殺さんばかりに険悪になっている。
オチの部分が何か察したのだろう。
「とにかくこの話しは断る。俺にメリットがない」
「そうはまいりません。絶対に受けていただきます。それまで御傍を離れません」
「いや、受けたら結婚することになってどっち道離れないだろ」
「それでもです。このままでは私も国に帰れません」
意志は固いようだ。
残りの情報を貰ったらとっとと逃げることにしよう。
「この話しは取り敢えず棚上げだ。大魔導師シオンの手掛かりについて聞かせてくれ」
「はい、後でじっくりと話し合いましょう。それと大魔導師シオンの手掛かりをお渡しする前に話し合いが終わるまで逃げないと約束してください」
釘を刺されてしまった。
「分かった。約束しよう」
とにかく今は大魔導師シオンの手掛かりの方が重要性が高い。
婚姻やらの話しは少し面倒だがトーア王にねじ込んでやろう。
俺が王女との婚姻を迫ったとかのデマの発信元はおそらくトーア王だ。
俺と王女の婚姻の噂だけでもシュルトに対する牽制になるのだから。
「それではこれを見てください」
王女は一枚の人物画をテーブルの上に広げた。
黒髪に黒い瞳の美しい女性が指に小鳥をとまらせ微笑んでいた。
「これはトーアで召し抱えようと特使に送った者に絵画の才があり大魔導師シオンの人物画を私的に描いていたので王命で提出させました」
「フーン、この絵を見て一つ分かることがある」
「なにが分かりますの?」
「大魔導師シオンは魔力感知を誤魔化す術を持っていることがな」
「エッ!どこを見ればそんなことが分かりますの」
俺は人物画をそのままにして立ち上がるとカウンター席に向かった。
「なあ、大魔導師シオン様よ」
俺は先程バカ話しに興じていた女に声を掛けた。
その女は人物画と瓜二つであった。
「エッ!エッ!」
王女が慌てて人物画と女を見比べている。
「アハハッ、いかにも、私が伝説の大魔導師シオンだ。しかし少年、人生は予想外の出来事の連続だね」
「嘘を吐くな。探している当人が偶然同じ酒場にいるなんてある訳ないだろう。俺と接触する機会を伺っていたのか?人物画が届くのも知っていた?」
「いや、いや、直に噂の“殺戮の戦鬼”殿を見定めていただけだよ。あの特使に絵画の才があるなんて知らなかったし私の人物画がこのタイミングで届くなんて予想外だった」
大魔導師シオンがにこやかに応じる。
薄手のシャツが豊かな胸を強調しキュっと引き締まった腰から下はパンツルックになっている。
「まあ、この出会い自体は運命でもあり必然ではあるけどね。それはともかくこれ以上の話しは宿の個室でしないかい?お望みならお相手してやってもいいよ」
しな垂れ掛かってくる。
豊かな双丘が身体に当たっている。
俺は理性を総動員して平静を装う。
「私もついていきます!」
王女が慌てて寄ってきて俺の腕を引っ張ってシオンから引き剥がす。
「おや?姫様も混ざるのかい?いいよ、いいよ、来る者は拒まずだ。ついでに侍女さんも一緒にどうだい?」
「見境なしだな」
俺が呆れ顔で言った。
「人間永く生きていると新しい刺激を求めるようになるのさ。でも無理強いはしないよ」
「その方向で頼む」
俺達はぞろぞろ連れ立って俺が泊まっている宿の個室に移動した。
「さて、用件を聞こうか」
シオンは宿のイスに座り単刀直入に聞いてきた。
俺はベットの上に座りその横には腕を掴んで離さないライザ王女が座っていた。
侍女は立ったままである。
「こいつの解読を頼みたい」
俺は持ち歩いていたリックの中からラード王城で手に入れた古い魔導書を出し手渡した。
「フーム、これは・・・」
シオンは数ページをパラパラ捲った。
「処分だな」
止めるいとまもなくいきなり魔導書が発火し瞬時に消し炭と化した。
「貴様!なにをする!」
俺はシオンの襟元を掴み引き寄せる。
「アハハッ、怒るな少年。大丈夫だよ」
シオンはどこかふざけた感じで俺を宥める。
「これは写本だよ。原本は別にある」
「なんだと!」
「そして原本の作者は私だから解読する必要もないのさ」
「すると異世界人召喚の元凶は・・・」
「私ということになるね」
俺は溢れ出る怒りを押し殺すのに必死になった。
少しでも感情に押し流されれば瞬時にこの女の首をねじ切っていただろう。
やがて俺は息を整えるとシオンの襟元を放しベットに座り直した。
「・・・それで送還魔法はあるのか」
「あるというか元々召喚魔法とセットで送還魔法は術式に組み込まれていて役目が終われば自動的に送還されることになっているよ」
「俺はシュルトとの戦争のためにラードに召喚された。ラード王城を壊滅させる前に一旦はシュルトとの戦争には勝っていたはずだ。何故あの時点で送還されなかった」
「ウーン、そもそもラードの連中もこの召喚魔法の本当の意味も危険性も理解していなかったのだろうけど、これはラード一国の利益や私欲のために使える魔法ではない。理解していたら誰も使おうとはしないだろうね」
「どういうことだ」
「この魔法は呪いのようなものでね。召喚魔法を使った魔導師とそれを命令した者の命を贄にして召喚を行っているのさ」
「しかし召喚を行った時点でラード王も王城の魔導師達も生きていたぞ」
「時系列はそれほど問題じゃない。この召喚魔法の正式名称は勇者召喚魔法と言ってね、世界の危機に応じて適正のある者を召喚する。贄達は必要な間は生かされているがそれが終わったら容赦なく命を刈り取られるのさ」
「しかし、ラード王や魔導師を殺したのは俺の意志だぞ」
「全てはこの魔法による予定調和に組み込まれていてね。どのような経過を辿っても結果は同じさ。これまでこの魔法を使った者達は大概勇者に討たれている。どいつもこいつも私利私欲でこの魔法の内容も理解しないで使って勇者を酷使してその結果力をつけた勇者に殺されている」
「じゃあ俺が殺しまくった王や魔導師以外のラード城内の連中やシュルトやトーアの人間はどうなんだ」
「世界の危機に対抗出来る力を勇者に注ぎ込むために必要な犠牲だな。殺せば殺すほど力が増していたのに気付いていただろう?」
「しかし元凶であるお前は生きているじゃないか」
「私の場合は事情が少々特殊でね。最初の世界の危機に対応するためこの魔法の術式を組み上げ魔導書を書き上げた直後に名誉欲に狂った弟子の一人に殺されてね。未熟なヤツだったからこの魔法の内容の理解が不十分だったのだろう。著者名を自分に書き換えた写本を作って当時の野心が強かった王の一人の元に持ち込んでね。その召喚魔法が発動したと同時に私は復活したのさ。術式の中に組み込まれていた勇者の水先案内人として一番適正のある者を必要な時期に呼び寄せるってところに引っ掛かったようだ。まさか死人を復活させて呼び寄せるとは思わなかったけど。それ以降、世界の脅威が去るまで生かされ続け終わると同時に塵と化し再び世界の危機が訪れた時呼び戻されるのを繰り返しているのさ。少年と出会ったのも運命であり必然だと言っていただろう」
「・・・じゃあ世界の危機ってのはなんなんだ?今のところそんな話しは聞かないぞ」
「水先案内人である私と出会った以上直ぐに明らかになるよ」
「順序が逆じゃないのか?世界の危機が明確になってから勇者が召喚されるのが筋だろ」
「最初の時はそうだったけどね。それ以降は世界の危機が潜在している状態でも顕在化が確定した時点で召喚が可能になった。というかその時点で無数に書き写された写本が欲に塗れた人間の手に渡り召喚魔法が使われてきた。私も写本が手に入る度に抹消しているのだが写本が次々に写本を生んで私の活動期間中に抹消しきることが出来ない。全ての元になった原本の場所が分かればどうにかなるのだが私を殺した弟子は結界魔法だけは天才的でね。未だにあやつの隠した原本を見つけることが出来ない。本来、後世の世界の危機はその時を生きている人間がどうにかするべきでいつまでも過去の遺物に頼るべきではないと思うのだがね」
「それじゃあ俺が世界の危機とやらに対処しないと言ったらどうする?」
「どうもしないよ。こっちの都合で無理矢理呼び出した勇者様だ。その勇者様がこの世界を救うに値しないというならば滅びるのも道理。但し勇者自身は滅びを潜り抜け生き残ったとしてもその場合送還魔法は起動しないから滅びた世界に一人島流しになるのは覚悟してくれ」
「つまり元の世界に帰りたければこの世界を救うしかないということか」
「そういうことになるね。実際過去の勇者達も召喚魔法を使った魔導師とそれを命令した者の命を奪った後は不承不承ながらも世界を救ってくれたしね。元の世界への郷愁の思いは一つの世界を救うほどに大きいということだね」
「・・・」
俺は瞑目して少し考えていた。
「シオン様、世界の危機とはどの様なものなのでしょう?」
ライザ王女が質問を挟んでくる。
「さあねぇ、少しは伝承でも残っているだろうが私が『伝説の魔導師』と呼ばれる原因となった最初の危機は魔界から瘴気をまき散らしながら強大な魔力を持った魔王率いる魔族の侵攻だったな。こっちの世界の人間は瘴気を吸い込んだだけで倒れていったが勇者は『光化学スモッグ』とやらで耐性があるって言っていた。よっぽど異世界の空気は汚れているのだろうな。目に見えないガス状生命体があらゆる生物を喰らって増殖し世界を覆いかけたこともあった。こっちの世界の人間は気付くことすら出来なかったが勇者は『SFオタを舐めるな』とか言っていたな。一番酷かったのは異次元の外神と名乗るモノが現れ世界そのものを丸ごと変質させようとしたことだったか。こっちの世界の人間は浸食され変質した領域に入るだけで火脹れを起こして死んでいった。この時ばかりはどうにもならないと思ったが某大学の教授であった勇者があちらの秘儀を使ってこっちの世界から切り離してくれた」
「それは・・・、凄い危機だったのですね。私はお伽噺ではこの世界に現れた魔王を勇者様と大魔導師シオン様が倒された話ししか知りませんが」
「大概の危機がこの世界の人間には認識すら難しい危機だったからね。まともに伝承が残っている方が少ないよ。それ故に召喚された異世界人が勇者であるという事実も忘れ去られやすく私利私欲のために異世界人召喚を行う者が絶えない訳だが」
「それで今度の危機はどの様なものなのでしょう?」
「世界中に使い魔を放って調べているが今のところは定かではないね。それも私と勇者が出会った以上、直ぐに分かるだろうが・・・」
そのシオンの言葉を合図にしたかのように街中に半鐘の音が鳴り響き始めた。
「そら来た!」
シオンは宿を飛び出していった。
俺達もそれに続く。
海岸の方で火の手が上がっており遠く人の叫び声が聞こえた。
迷わずシオンはそちらに向かって走り出す。
当然俺の全速よりは遅いが脅威の内容が掴み難い可能性があったのでその後を追随する。
ライザ達も遅れてついてきていた。
俺は避難するように声を掛けようとしたが思い止まった。
この世界の危機だというならこの世界の王族の一人に直接脅威を確認してもらった方がいいと判断したためである。
暫らく進むと叫び声の内容がはっきりしてきた。
『化け物だ!化け物が出たぞ!皆逃げろ!』
そしてこちらに逃げてくる人々が見えてきた。
その顔は一様に恐怖に歪んでおり時々後ろを振り返りながら走って逃げてくる。
シオンの肩を掴んで制止し、懸命に走ってきた水夫を一人掴まえて問い質した。
「何があった?何から逃げている?」
「は、離してくれ!奴らが来ちまう!そしたら喰われちまうんだ!」
俺の強い力を振り放せない男はパニックを起こしながら叫んだ。
俺は男に二、三回ビンタを喰わせ再度尋ねた。
「落ち着け、何があったか教えてくれたら直ぐに放してやる。だからとっとと話せ」
「う、海から真っ黒な人と魚の合いの子のような化け物がいっぱい出てきて人を襲い始めたんだ。襲われた奴は化け物の腹にある口からバリバリと喰われちまった。は、早く放してくれ。俺は死にたくない!」
俺が手を放すと男は脱兎のごとく逃げていった。
「何か分かるか?」
「あれだけでは何とも。とにかく現物を確認しよう」
シオンは再度駆け出し俺も続く。
やがて海岸沿いに近づいた俺達は焼け落ちる家屋の間を這いずるようにこちらに向かってくる数百体の化け物に遭遇した。
水夫が言っていたように人形で腹の中央に大きな口を持つ鱗をびっしり生やした黒い真っ黒な半漁人がこちらに近づいてくる。
「やっぱいたのかファンタジー生物。こっちの世界に来て初めて見た」
俺は呟き更に距離を詰める。
何体かは犠牲者と思しき者を身体全体で包み込むようにして喰らっているようだ。
海から長く続いている尻尾が時折何かが通過するように膨らんでいる。
「キャー、助けて!」
逃げ遅れた子供が一人、俺達を見つけこちらに駆けてこようとして転んだ。
半漁人の一体が腹の口を大きく開いて子供に覆い被さろうとする。
俺はシオンを追い越し瞬時に半漁人と子供の間に割り込むと剣を抜きざまに首を刎ねた。
しかし動作は鈍ったが胴体はそのまま進んでくる。
俺は子供を小脇に抱え後ろに跳んで躱した。
「シオン、奴はなんだ?」
俺はシオンに子供を押し付けながら聞く。
「おそらくクラーケンの分体だな。深海を住処としこんな浅瀬に出てくるようなことも人を襲うようなこともしないはずだし体色は白いはずなのだけど。頭部に目と小脳があるが尻尾で本体と繋がっているのでそこを断たないと動きを止められないよ」
「分かった」
俺は目の前の半漁人達の尻尾を片っ端から斬り裂いていった。
半漁人達は尻尾を斬り裂かれた途端糸が切れたように倒れて動かなくなる。
尻尾の方は暫らくどす黒い血を吹き出しながら跳ねた後、ズルズルとのたうつように海に戻っていった。
俺は尻尾を斬り裂いて斬り裂いて斬り裂きまくった。
動きの鈍い奴らは俺の動きにまったくついてこれず瞬く間に数を減らしていく。
その頃になって市街警備の騎士達が到着し始め参戦してくる。
最初は俺と同じように正面から斬り掛かり押し倒された騎士も出ていたがシオンの指示を聞き俺の立ち回りを見て尻尾狙いに的を絞ってからは犠牲もなく仕留めていった。
目につく限りの半魚人を全て仕留めたところで取り敢えず戦闘は終了した。
騎士達と一緒になって奮戦していた隊長が走りよって問い掛けてきた。
「貴公、かなりの使い手のようだが名のある剣士か何処かに仕える騎士であるのか?」
「殺戮の戦鬼」
俺は簡単に返しシオンの方に向かう。
「ま、待ってくだされ!」
隊長がついてくるがやや引き気味で怖れが見られる。
悪名が轟いているなぁ。
俺は心の中で溜息を洩らした。
「シオン、これで終わりか?」
「いや、この調子では本体が襲ってくる可能性が高い」
「なんだと!」
隊長がシオンの方に詰め寄る。
「あれは何だ!いや、それより本体とやらがまだ襲ってくるのか?」
「あれはクラーケンだ。数百の分体を持つが本当に恐ろしいのはそこではない。本体は大型船の何十倍もの大きさを持ちその太い主触手は鯨を軽く絞め殺すと云われている。とても人の手に負えるものではないな」
「そ、そんな・・・」
「あれだな」
ライザが指差す方向に話しを聞いていた騎士達も一斉に目を向けた。
夜の暗い海の沖合で泡立ち渦を巻いて巨大な黒いなにかが浮かび上がってくる。
この距離からでもこちらの火の手の照り返しで分かる巨体は全長数kmはあるだろうか。
見た目は黒いクラゲの頭部だがスケールが半端ない。
「おい、アレを俺にどうにかしろと」
「ああ、勇者様なら出来るさ」
「無茶を言う」
俺は呆れながらクラーケンの攻略方法を考えていた。
「あれが世界の危機・・・」
いつの間にか追いついてきたライザ王女と侍女が息を飲んでいた。
俺達が見守る中、クラーケンの姿が更に大きくなってくる。
陸に近づいているのだ。
突然、港の周辺から巨大な蛸の触手のようなものが伸び上がり数隻の大型船を海中に引き摺り込んでいった。
どうやらやる気満々である。
俺は覚悟を決めた。
「大技を使う!全員海岸線から離れろ!」
俺は魔力で海から海水を引き出し頭の上で数mの細長い槍状に成形する。
水槍 発射!
水の槍は超高速で突き進みクラーケンの巨体の中心に吸い込まれるように消えていく。
クラーケン側に何の反応もない。
あの巨体では蚊に刺されたほどでもないのだろう。
さて、ここからが本番だ。
俺はクラーケンに突き刺さった水の槍の周囲を覆う魔力の膜に更に全力の魔力を流し込んで急速に吸熱させていく。
暫らくは何の変化もなかったがやがてクラーケンの巨体の中心が光始め、それとともに黒い巨体の中心部が白く染まっていった。
俺は額に汗を浮かべて魔力を注ぎ込み続ける。
巨体の中心部は更に強い閃光を放ち白が急速に広がっていき全身を覆い暗い海まで広がっていく。
海側から寒風が吹きつけてきた。
周囲の温度が急激に下がる。
急激に吸熱されたクラーケンが周辺ごと凍結しているのだ。
解放
俺は魔力の膜を解いた。
急激に熱を貯め込みプラズマ化し膨張した体積を圧縮していた海水のエネルギーが瞬時に解放されクラーケンの巨体が弾け飛ぶ。
巨大な津波が海岸線に迫ってくるが俺は大地に手をつけて土魔法で長大な防波堤を造成し津波を押し留めた。
クラーケンを爆散させた魔法で疲弊していたが残った魔力を振り絞って長大な防波堤を維持し続ける。
山岳地帯で土砂崩れを押し留めた時よりはマシだった。
津波が収まり防ぎきった俺は肩で息をしながら立ち上がりそのままになっている防波堤に上った。
海上からクラーケンの巨体は消えており海岸線付近からは巨大な触手と半魚人を繋いでいた無数の管のような触手が浮かび上がっていた。
シオンとライザ王女達が一緒に俺の傍まで上ってくる。
騎士達は隊長も含めてクラーケンを葬り一瞬の内に長大な防波堤を築いた俺に怖れをなして遠巻きにしている。
「今度こそ終わりか?」
俺はシオンに問い掛けた。
「このクラーケンについてはね。ただしこれで打ち止めか、次々と新手が来るのか、クラーケンが黒化して凶暴になった理由が判明しないと分からないね。どちらにせよ本体が巨大過ぎて陸に上がってくることが出来ないクラーケンの類いだけじゃいくら押し寄せてこようと世界の危機とは言えないだろう。今回はその一部ってところだね」
「つまりこれからもっと厄介な化け物が現れるってことか」
「多分ね」
「今回は成り行きでクラーケンを倒したが更にもっと厄介な化け物を相手にしなければならない義理が俺にないのは分かっているよな」
「ああ」
「俺に敵対する人間の相手をするだけでも面倒なのに更に厄介な化け物の相手もしなければならないとなるとかなり生存率が低下することになる。自分一人だけが生き抜くことだけ考えれば化け物との戦闘を回避するのも手だ。俺に敵対する人間は化け物どもが勝手に始末してくれる。この世界の人間丸ごとになるだろうが。しかし俺達がこの世界の理不尽に苦しんでいた時に助けてくれなかった連中を助ける義理もない」
「分かっているよ」
とはいえ無辜の民を助けられる力があるのにみすみす見殺しにするのは大分壊れてはいるけど良心が痛まない訳ではない。
世界の危機を救えば元の世界に帰還出来るというシオンの話しを鵜呑みにしていいのかも問題だ。
一見選択の自由をこちらに与えているかのように見えるが元の世界に帰還したい俺に選択の余地などないように誘導しているのかもしれない。
俺は言葉に出さずに続けて考える。
さてどうするか。
「戦鬼・・・、いえ勇者様」
ライザ王女が呼称を昇格させて呼び掛けてくる。
「この世界に責任を持つ王族の一人として申し上げます。この世界の者が異世界人の方々にしでかした非道な行いの数々、私もこの世界の者として謝罪致します。今後いかなる国も貴方様に干渉も手出しもしないよう微力ながら私の出来うる限りを以て各国を説得致します。だからこの世界を見限らないでください。人と共に生きることを諦めないでください。お願いします」
王女は深々と頭を下げた。
この世界を助けてくれではなく見限るな、人と共に生きることを諦めるな、か。
やっぱ甘ちゃんだな。
「・・・春日勇気だ」
「エッ?」
「俺の名だよ。勇気と呼べばいい。俺が元の世界に戻るまでの間だけどな」
「それでは・・・」
「ああ、世界の危機とやらが俺の手に負えるかどうかは分からないが元の世界に戻るためなら仕方ない。やるだけやってみるさ」
俺は夜明け前の薄明かりに照らし出される水平線の彼方を見ながら言った。
大魔導師S「あれが最後の一体とは思えない。いつの日か第二、第三のクラーケンが・・・」
勇者Y「そのネタ、誰に聞いた?」
大魔導師S「SFオタと名乗っていた勇者」
勇者Y「・・・」