第十二話 忍び寄る影
西方連合諸国とアーランド王国の国境付近。時は夜。城砦の内部。
「ファイアドレイクとデーモンがやられたようだな」と黒の魔王は静かに言った。
「なあに、まだヴァンパイアの私がいる」
「まだここに、人狼の俺がいる」
「ではまずはヴァンパイアに先陣を任せよう。アーランド王国の丘の上の古城に移り、そこからアーランド王国の王都を襲撃すべく出陣せよ。見敵必殺、一木一草根絶やしにせよ」
「御意」
「万一ヴァンパイアが敗れるようなことがあれば、人狼はアーランド王国の傭兵たちに紛れ、勇者コータを討て」
「御意」
ヴァンパイアと人狼の二人はそれぞれ別方向に去った。住処が分かれているのが半分、互いに嫌いあっているのが半分だった。
「さあ、どう出る勇者コータ」黒の魔王は呟いた。
「人間の盾となって果てるか、人間の剣となって果てるか。いずれにせよそれは生半可な覚悟で捌ける話ではないぞ?」
いつも通りの酒場の奥の席で、俺たちは作戦会議を開いていた。二人から話を聞くに、羊皮紙とペンとインクはとんでもなく高価で、しかも貴族にしか入手できないらしい。紙が無いのなら、ゲームが流行っていないのも道理である。しかたがないので、俺は口頭で対魔物の傾向と対策を練る。
「ファイアドレイク、デーモンと来たからには、次はまた別の魔物が来るに違いない」と俺は言った。
フラーウムは困った。
ヴォルフガングも困った。
二人とも、何を準備すれば撃退できるか、皆目分からないようだった。
しかし俺はだいたいの目星がついていた。
「できれば太陽の代わりになるもの、白木の杭、それと銀弾を準備して欲しい」
「太陽の代わりになるものならあるわ。『希望』よ」
「『希望』?」俺は訊ねた。
「古い型の魔法のランプよ。籠の中に太陽の欠片が入っていて、夜になると強く輝くの。貴族の必需品よ」フラーウムは勝ち誇って言った。
「じゃあそれを準備しよう」
「まったく……簡単に言わないでよ。実家まで戻って取ってこなきゃいけないんだから。それに骨董品はすごく高価なのよ」フラーウムは途端に不機嫌になった。きっとそのランプは、貴族としてとても大切なものなのだろう。あるいは家族と上手くいっていないのかもしれない。
「白木の杭は何に使う?」ヴォルフガングが安酒を飲みながら訊ねた。
「不死者の心臓を貫く為に使う」ヴォルフガングが酒を吹いた。
俺の言葉に、ヴォルフガングの顔色が青ざめる。これから不死者と戦うと聞かされて、怯えぬものはいないだろう。ノーライフキング。不死身の化け物。しかしそのくらいは想定しておく必要がある。
「まあ白木は安く手に入る。白木の杭なら、斧を借りて、半日もあれば用意できんこともない」
「だが銀弾は? そんな高価な銃弾、見たことも聞いたことも無いが。まさか『豪華絢爛の飾り銃』の伝説を真に受けているのか?」
「俺が知る限り、悪魔の類は総じて銀に弱いとされている。銀貨を溶かして、銀弾を精製してもらう必要があるだろう」俺は言った。
「なら、鉱夫どもに会って頼まにゃならん。知り合いに鉱夫がいるが、いまはずいぶん偉くなったようで、会ってくれるかどうか……」ヴォルフガングが弱気になった。
「頼む。前みたいにみすみす一本取られるわけにはいかないんだ」
「コータは何をするの?」フラーウムが訊いた。
「俺か……俺は剣の練習をしておくよ。あの剣は羽のように軽くて練習にならないけど、たまには振ってやらなきゃ可哀想だからな」
「それじゃあいつもと同じじゃないの。まったく、コータばっかり休むんだから」フラーウムに文句を言われながらも、俺は「祝福と呪いの剣」の柄を握った。
キャキャキャキャキャキャキャキャ。
魔法使いが住むといわれる丘の上の古城に、空を埋め尽くすほどの、無数の蝙蝠が飛来していた。
「今夜はなんだか五月蠅いのう」白い魔法使いは、蝙蝠に追い出されるように古城を出て、明かりを持って街に降りていく。白い魔法使いは害獣駆除業者ではない。あいにく、蝙蝠だけを綺麗に追い払えるような都合の良い魔法は持ち合わせていなかった。
古城の天井という天井に、逆さに蝙蝠がぶら下がり、集まった。一匹一匹の顔は、黒い豚鼻、耳長のネズミのようである。実際、蝙蝠はネズミに次ぐ、れっきとした哺乳類であったから、空飛ぶ黒ネズミという比喩もあながち間違いではない。
月明かりを浴びて、黒い影が、古城の床についと伸びる。ノーライフキングこと、ヴァンパイアである。長い黒髪の、背の高い、貴族の格好をした男であった。あのデーモンのように、人の形すら取れぬ愚か者とは比べて欲しくないと、その男は暗に言っているようだった。
「コータ。勇者コータ。新月の晩を首を洗って待つがいい。月明かりの消えた、星明りの消えた、漆黒の夜空を見るがいい。全ての光が潰えたあとで、お前の首を噛み千切ってやる。そして魔王様に献上してやる」
誇り高きヴァンパイアはその古城が誰の所有物なのか知らなかった。もし知っていたら、その者に敬意を払って、何か別の方法でアーランド王国に侵入していたかもしれない。
だが、そうはならなかった。
彼は丘の上の古城を借りた。そしてしばらくの間、下僕である蝙蝠たちに囲まれ、持参した棺桶の中で眠りについた。