隠れにし望月 2
およそ二ヶ月振りに会う満尋は、どこか精悍さが増して逞しくなったように思う。
「二ヶ月ぶりに見せる顔がそれか?……酷い顔だな」
満尋と目が合うと、開口一番でそんなことを言った。その少し意地悪な所が懐かしくて、また伊月の涙腺が決壊する。
「う……ぐ、だ、だって。もうっ、会えないかも、って」
「でも、会おうとしなかったのは伊月だろ? 突然返事が無くなった、俺の気持ちが少しは分かったか?」
「わか、った。……も、しな、い。絶対、絶対、し、ない」
嗚咽の混じった声で伊月がそう言うと、満尋は満足そうに頷いた。
一頻り泣いた後で興奮した感情が治まれば、水面に映った満尋の姿がはっきりと見えてくる。ぼろぼろと零れる涙を乱暴に袖で拭えば、冷えた空気が容赦なく瞼を襲った。押さえた指の隙間から垣間見れば、満尋の鼻の頭が真っ赤になっている。これは、彼も随分長いこと外に出ていたのではないだろうか。ずず、と鼻を啜ると、満尋は苦笑して「寒くないか?」と聞いた。
「だ、いじょうぶ。そっちも、ずっと、外に居た?」
「ん? ああ。押して駄目なら引いてみろ。効果抜群だったなぁ」
うんうん、と芝居がかった仕草で満尋は大仰に言うと、くすりと笑って伊月を見た。まさか、それなら全部聞かれていたのか。散々満尋の名を呼んで泣き喚いていたのを。伊月は寒さで赤くなった顔が、一気に真っ青になっていくのを感じた。恥ずかしいなんてものではない。一生の恥では無いだろうか。満尋はそんな伊月を見て溜息をついた。ちらり、と満尋に視線をやれば、真顔で伊月の瞳を覗く。
「それで、二ヶ月も『影映り』に答えなかった理由はなんだ?」
伊月は二ヶ月前におキヨに言われたことを全て話した。満尋は誤魔化しを許さないといった態度で向かってきたし、伊月ももうこれ以上『影映り』から距離を置くつもりはなかった。こちらでは『月下辺』のことをよく思っていないこと。『月下辺』と関わる人間を影憑きと呼んで蔑んでいる事。おキヨに『影映り』をしている所を見られて、止めるように言われたこと。全てを話した。
「そうか。こっちは影憑きなんて呼ばれることは無いけどな。この間も宇木衛門が……っと、ヤベ」
「え? 浮世絵?」
ずっと神妙な顔をして伊月の話を聞いていた満尋は、急に何事かを言った後口元を押さえた。まずい事を言ったという表情に、伊月は怪訝な目を向ける。
「いや。……まぁ、そういう事情なら仕方ないが、一言相談してくれても良かったんじゃないか? 急に反応が無くなって、こっちは本当に焦ったんだぞ」
「それは……ごめん。私も、やっぱり話せないのは寂しかったよ」
満尋の存在を無かったことにはできない。それはこの二ヶ月でよく身に沁みた事。彼だけが、伊月が現代人であることを証明するただ一人なのだ。そして、それは満尋にとっても同じことだろう。知らなければ、お互いに何の寄る辺もなく、この二つの世界で過ごしていた。そして、何時の日か現代での記憶が思い出となって、夢の中に消えていったかもしれない。しかし、伊月と満尋は出会ったのだ。この『影映り』を通して、お互いの存在を知ってしまった。そうして結ばれた絆は、簡単には断ち切れるものではなかったのだ。
「もう、二度と御免だぞ。次は無いからな」
険しい表情で念を押す満尋に、伊月は「はい」と答えた。こうして顔を見て、言葉を交わせる。今はそれだけで幸せである。この『影映り』を続ける限り、あの身の切れるような苦しみは感じないはずだ。
そうだ、と言って満尋は懐から何かを取り出した。満尋の方は灯明皿でも置いているのか、仄明るい中に紅い花が照らし出された。
「ちょっと形が崩れたけど……」
そう言って、ぽとりと花を落とす。あっと思ったら池の中から花が浮かび上がってきた。氷を退けてそっと手に取ると、水に濡れた所為でひんやりとしている。これは椿だろうか。
「庭に咲いてたんだ。この間の紅葉のお礼」
満尋を見れば、くるくると紅葉を片手に照れくさそうにしている。もしかして、あれはこの間伊月が拾ってきた紅葉なのだろうか。確かに失くした記憶はあるが、それが何故満尋の手に渡っているのだろう。
「どうして……?」
「『影移り』の応用かな? 小さなものに限るらしいけど」
知らなかった。しかし、『影移り』の方は満月の日に強制的に起きるのだから、意図的に起こせたことも当然のように思えた。手の中の椿は本人が言う様に、確かに花びらが少し縒れている。だが、伊月の人生の中でこれ以上の贈り物はあっただろうか。
「嬉しい。凄く嬉しい……。ありがとう」
微笑んで精一杯のありがとうを伝えれば、ぶっきら棒な「どう致しまして」が返ってきた。柄じゃないと決まりが悪そうに言うが、そんなことは無いと伊月は思う。
「大事にするね」
「……枯れたら捨てろよ」
そんな情緒の無い台詞も伊月には嬉しく思えた。どうせ照れ隠しなのだ。お見通しである。くすくすと笑えば満尋の眉間の皴が深くなった。それさえも、頬を緩める一因になるのだから、なんて幸せなひと時だろう。はらはらと灰雪が舞い降りても、伊月の心はほっこりと温かかった。




