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水面の月  作者: 霞シンイ
第一部
27/41

十三夜月の宴 1

 月が満ちていくにつれ、伊月の機嫌は目に見えて良くなっていった。心配していた満尋も、再び顔を合わせた時にはいつも通りである。あの時は、ちょっと仕事が大変でひどく疲れていただけだ、と本人も苦笑していた。冗談めかして「事故起こしたって家族に電話しているみたいだったよ」と言うと、激しく狼狽えていたような気がするが。嘘をつくのが上手いのか、下手なのか。ただ、聞かないでほしい、と雰囲気で訴えるのは得意なのだろう。伊月は見なかったことにして、「それくらい酷いテンションだったってこと!」と、笑い飛ばした。せっかく元気になったのだ。わざわざ掘り返すこともない。ただ、笑ってこうして話していれば、それでいいのだ。

 それから、決意表明もした。

「満尋、私やっぱり諦めないよ。元の世界へ帰る方法、絶対見つけてみせるから」

「……そうか。分かった。そこまで言うなら、やってみろ。俺も、もうあんな悲観的なことは言わないさ」

 伊月の意志の強さが伝わったのか、満尋は微苦笑を浮かべていた。満尋の緩く三日月形をつくった口元が、伊月の心を躍らせる。

「だからね。もし、私が帰る方法見つけたら、その時は一緒に帰ろうね」

 きっと、自分の顔は嬉しさで笑顔全開だったろう。言葉まで弾んでいたかもしれない。満尋は「まぁ、頑張れよ」と言った。もちろん、そのつもりだ。


 とはいえ、どこから手を付けたものかさっぱり見当がつかない。何から始めたらいいだろう。

「いーつき。今日は行商行かないだろ? 一緒に山行こうぜ」

 共同の井戸で長屋の人たちと洗濯をしていると、後ろから吾郎太が声をかけてきた。洗剤代わりに灰を溶かした灰汁を使って洗濯をする。これを使うと汚れが良く落ちるのだ。ごしごしと動かす手は止めずに、「山?」と聞き返す。

「そう、またきのこ採りに行こうって、みんなと話してたんだ。今日は彩にぃ居ないから、伊月が来てくれないと困るんだよ。母ちゃんには言ってあるからさ」

 肩口を掴まれ、行こう、行こうとせがまれる。なんだか今日の吾郎太は、いつもよりかなり子どもっぽい。伊月以上にしっかりしているというのに、そんなに茸狩りがしたいのだろうか。しかし、紅葉狩りならまだしも、茸狩りだなんて絶対汚れるじゃないか。お美代さんから貰った、大事な小袖を汚してしまいたくはないと思っていると、新たに洗濯物を抱えた長屋の小母さんが話しに入ってきた。

「あらあら、吾郎坊ったら。伊月ちゃん、行ってあげたら?」

「最近行商でお店にいないから、きっと寂しいのね」

 一緒に洗濯をしていた小母さんたちが、行ってらっしゃいと口を揃える。寂しいなんてことあるだろうか、と吾郎太を見れば、大きな目をきらきらさせてじっとこちらを見つめてくる。手に力を込めて布の水気を絞ると、「しょうがないなぁ」と、溜息をついた。滅多に伊月を頼らない吾郎太に、甘えられては断れない。「やったー」と、飛び跳ねる吾郎太に、「これが終わったらね」と釘を刺す。すると、結婚して何年と夫を転がしてきた小母さんたちが、

「吾郎太が手伝えば、早く山に遊びに行けるわよ」

と微笑んだ。お陰で朝の重労働である洗濯もいつもより早く終わったのだが、ちゃっかり自分たちの分まで、吾郎太にさせる主婦の強かさには恐れ入る。縄に全ての衣を通して木の枝に引っ掛けると、襷掛けを解いて茸狩りの準備に懸かった。

 

 せっかくの小袖を汚したくない、と言ったらお美代は「そんなのいくらでも汚していいわよ」と、笑って言った。それでも渋る伊月にお美代は丁子色の袴を貸してくれた。茶色っぽいこの袴なら、あまり汚れも気にしなくていいだろう。足を保護するために脚絆(きゃはん)を脛に着けて、邪魔にならないよう吾郎太と同じように、高い位置で髪をポニーテールに結ぶ。長屋の小母さんに借りた籠を背負って、吾郎太と共に町の北側にある山へ向かった。

 町を歩いている途中、ふと空き地の前で立ち止まる。

 巴はつい先日嫁いでいった。相手方が迎えに来たので見送りはできなかったが、落ち着いたら山本屋宛に文をくれるのだそうだ。初めは巴の結婚には反対だった伊月も、巴が納得しているなら、とそれ以上は何も言えなかった。彼女は明るい顔でこの町を離れたのだ。後は巴にとってこれが良い縁談であったことを願うばかりだ。

 田んぼが続く町の北側を進むと、小さな北門が見えてくる。そこに子どもが三人集まっていた。一人は伊月も何度か顔を合わせている吾郎太の親友佐助。そして、その弟分の栄吉。もう一人は初めて会う子だ。佐助は吾郎太と同い年で、栄吉は二人より二つ年下。初めて会う子は、その栄吉よりももっと幼い。

「ごめん、遅くなった。伊月の準備が遅くってさ」

「え? 私の所為だけじゃないでしょ」

 可愛らしく甘えてきた吾郎太はどこへやら。あれは気の無い伊月を誘い出すための演技だったらしい。そして、吾郎太がそんな態度で接するものだから、友達の佐助や、時に栄吉にまで伊月は妹扱いされるのだ。

「え? 伊月だったのか。男の格好してるから分からなかった」

 袴姿で髷をしているからだろうか。佐助が伊月の姿を見て驚嘆した。流石に格好を変えただけでは男に見えないだろう。「そんな冗談にはのりませんよー」と返したら、目を背けられた。

「そうだ、こいつ。俺ん家の向かいんとこの宗兵衛」

 佐助がぽんと宗兵衛の肩を叩いた。前に出された彼は、おどおどしながら栄吉の後ろに隠れてしまった。人見知りが激しいのだろう。伊月とは初対面だし、自分も子どもの頃に年上のお兄さんと会った時は、緊張して母親の側を離れなかったから気にしない。

「伊月です。よろしく」

と、しゃがんで微笑むと、少しだけ顔を出して「……宗兵衛」と言った。可愛らしいなぁ、と和んだところでそろそろ行くようだ。五人は北門を出て山へ向かった。

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