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『炎天渇奪』 ②


 『炎天渇奪』アドラメレクは一人の少年を地獄に堕とす準備をし終えた後、そのまま人混みのない路地裏の奥に向かう。その先には本来存在しない扉があり、疑問に思うこともなく彼女はその扉を開き潜り抜ける。



「おや?もう戻ってこられたのですね、アドラメレク」


「ええ、色々と仕込みもして来たし疲れたわ。『斬念死極(ざんねんしごく)』、一杯いつものを頂戴」


「お待ちください、只今ご用意します」



 潜り終えた扉は消え、目の前に広がるのは『鬼死海生』の中に用意された一室。バーを模した空間に一人、その場に合わせたバーテンダーの服を着た上級悪魔がいた。

 その名を『斬念死極』テスパレット。天使達からはある意味『病孤涙苦』以上に恐れ疎まれ、その上で敵対することを出来る限り避けるよう伝えられている最悪の存在だった。



「しかし、流石に日本全土に仕込みをするのは貴女にとっても辛い作業のようですね。そこまであの国にこだわる理由は何でしょうか?」


「……ここで他の上級悪魔と関りを多く持ち、情報も集めている貴方が知らないはずがないでしょう?私の求めている存在がここにいるかもしれないのよ」


「影法師ドッペル、ですか」


「そうよ」



 このバーには多くの酒が用意されている。それはテスパレットが正規の手段で人間から買い取ってきた物だった。その性質上悪魔は“欲望”を求め続ける。だがその欲の方向性とは全く違う娯楽というのも求めることがあった。酒はその中の一つ、嗜好品として悪魔に人気のある品物だった。



「そのような意図はないのですが。ただお酒を飲めば皆様の口が軽くなってしまうだけですよ。悪魔と言えどアルコールは効くのでしょう」


「私達がそんなものに惑わされるわけないでしょ。ただ単に場の空気に酔っているだけよ。とはいえ、そのおかげでここの繋がりなんて殆どない悪魔同士の情報共有が出来ている面もあるけどね」


「皆様、他所のことは他所のこととして放置したがりますから。とはいえ彼の千年生存の悪魔、『病孤涙苦』が敗れ死んだということに関しては流石に驚愕しておりましたが」


「生存力及び人間を苦しめることに特化した『病孤涙苦』よ。どんなへまをやらかしたのかは知らないけど、あれが死んだってだけで“負の感情”の集め方に違いが出てくるから気にするに決まっているでしょう」



 『病孤涙苦』がつい二か月ほど前に死んだ。最初はそんなものただの噂か、あるいは『病孤涙苦』本人が流した偽情報だと思っていた。アドラメレクだけではなく、ほぼ全ての上級悪魔がそう判断した。それだけあの悪魔は生存力という一点において他を圧倒していたのだ。



「だけど、『強欲』のあの方が断言したのであれば間違いはないのでしょう。あの方は自分の物が自分の掌から零れ落ちたことに対して決して嘘はつかない方だから」


「ええ、私も驚きましたよ。我が王が「『病孤涙苦』が死んだ」と零したあの瞬間の表情。笑みを浮かべながらもその存在を惜しがり、彼女への献杯ということで珍しく朝まで飲み明かしていましたから」


「ここに朝なんてないでしょう。年がら年中、外は暗いのだから」


「言葉の綾、という奴ですよ。『鬼死海生』が海底にいるということでずっと暗いというのは否定できませんが」



 テスパレットがそこで言葉を区切り、作っていたカクテルをアドラメレクに差し出す。それを静かに、見る者を全て魅了するかのような艶やかさで彼女は飲む。全てを飲み切り、お代わりを求めるようにグラスを差し出す彼女に苦笑しながらテスパレットはいつものように次を用意し始めた。



「――――ドッペル、奴が全国各地に現れているのは知っているわね」


「ええ。上級悪魔の出現の情報をどうやって知っているのかは知りませんが我々の活動を抑制しようとしているのは見て取れます」


「『病孤涙苦』が死に、その原因がアレにあると聞けば無暗に敵対しようとする者は少なくなるわ。力で『病孤涙苦』に勝る奴はそれなりにいるけど生命力はアイツが一番だったから。滅ぼされる危険性をわざわざ犯したがる者はいない」


「前回はアフリカ、その前はイギリス、更にその前はオーストラリア。どうやって移動しているのか気になる所ですね。悪魔と契約したとしても得られる能力は一つだけのはずですが。そして彼は影の能力を使うことは分かっていますのでそこが謎です」



 彼の天使に恐れられる『斬念死極』でさえ理解できない移動速度に移動範囲、悪魔の常識を悉く覆す存在に首を傾げざるをえない。

 だがアドラメレクにとっては常識など考慮に値しない。それが出来るということは出来る要因があると仮定に仮定を重ねることで暫定的な答えを既に彼女は出していた。



「恐らく中級以上の悪魔、それも複数がドッペルの下についているわ。じゃなければ説明出来ない事が多すぎる。上級悪魔がバックに複数いる可能性もあるわね」


「それは……僭越ながらアドラメレク。ありえないと思いますが。我々悪魔が、魔王以外の下につくなど聞いたことがありません」


「だけどそう考えれば納得のいく点もあるんじゃない?というより、それ以外で納得できる答えが出ないのよ。天使達でさえ個々人で動く悪魔の行動を全て把握することは不可能なのよ?出来ることと言えば的中率の低い予知系能力によって動くことだけ。それでも後手に回り、徐々に優位性はこちらに傾いてきた」



 敵ながら天使達の動きは常に最適解を出しているとアドラメレクは評価する。必ず後手に回らざるをえない天使を馬鹿にする悪魔は多いが、逆に後手に回りながらも被害を確実に抑制するその手腕は尋常のモノではない。


 一言でいえば損切が上手いのだ。それも異常なまでに。

 人間も、天使も、その被害を許容範囲内に収めることが上手く、影響をその土地以外で出さないことに特化していると言っても過言ではない。


 そこに来てドッペルの存在がアドラメレクの頭痛の種になる。悪魔が大きく動けばドッペルが動き、その戦いの余波を天使達がフォローして人的被害も最小限に収める。そのサイクルが出来始めている。使えるのであれば将来敵対する可能性がある者でさえ使い切る恐ろしい合理性があった。



「しかしそれで何故日本で罠を?それに途中で邪魔をされる可能性もあるのでは?」


「私がやっているのはただの仕込みよ。奴は異常に速いけれどあくまでその動きはことが起きてから。その前準備の段階でドッペルが襲い掛かってくることは今までなかったわ。もっとも、だからと言って油断するつもりはないけどね」


「ふむ……。しかしそれならば最初の質問をもう一度。なぜ日本に種を仕込み続けるのですか?」


「それは」





「――――ドッペルの本拠地が日本にあるから。そう考えたんだろ、アドラメレク」






「「ッ!!?」」



 その声は唐突に聞こえ、二人の歴戦の上級悪魔の背筋を凍らせた。聞き覚えがある、どころではない。一度聞けば永遠に忘れられなくなるほどの威圧感と、「この存在の物である」という安心感という同時に感じるには相反し過ぎる感情を湧き上がらせる声を持つ者などこの世あの世を探してみても一人しかいない。


 咄嗟に『炎天渇奪』アドラメレクも、『斬念死極』テスパレットもその場に跪く。上級悪魔がプライドも投げ捨ててこうする相手など彼らの王しかいない。



(オレ)も会話に入れてくれよ。俺の可愛い手駒達」



 それ即ち『強欲』。悪魔にとって“欲望”という求め続けるモノ全般を彼ら以上の熱量で追い続ける怪物の中の怪物。

 現在生存する三人の魔王の中で最もその手を大きく広げ、悪魔達の王であり続ける存在。



「随分面白そうな話、していたみたいだからな」



 『強欲の魔王』マモンがそこにはいた。


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