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『炎天渇奪』


 誰もいない路地裏、一人の少年が壁に拳を叩きつけて苛立っていた。リョウによって恥をかかされたと本人が思っている竜崎勝だ。

 捻られた腕に痛みはない。だが屈辱感は決して消えない。何故、どうしてこうなったと自問自答し、結論として他者に責任を求める。



「クソが……!!なんであんなカスがライトガーデンに好かれてんだ……!!」



 エルに対して一目惚れだった。初めて見た時に自分のモノにしたいと思った。今までナンパし、失敗したことのない彼にとって初めての本気。美しい銀髪を撫で、その無表情を溶かし赤くして、冷たさすら感じる口調に熱を灯らせ自分の名を呼ばせたかった。



「ふざけんな……!!認められるかよ……!!あんな奴を!!!!」



 だが彼女はもう既に誰かのモノだった。見ていればいやでも分かる。明らかに自分と、いや他者とリョウの扱いの差、二人の間には絶対に越えられない壁があるのだと。リョウと話している時のエルと、それ以外と話している時のエルは最早別人のそれだと観察眼に優れた彼には分かる。

 それを認めることが出来なかった。だってそうだろう?成績も自分の方が上、体格も上、友人の数だって上だというのは決して自惚れではない。顔面偏差値だけは、リョウの方が上なのかもしれないが。だがそれだってエルの美貌に比べれば団栗の背比べに違いはないはずだ。

 なのに何故あの表情を向けられるのが自分ではないのか、まるで分からない。超のつく美少女に好かれただけの運がいい奴。それが竜崎の持つリョウへの評価だった。



「チクショウ……!!チクショウッ……!!!!」



 だから少しでもその自尊心を回復させたくてこんな事をした。それでエルに好かれる訳がないと本人にも分かっていて、それでもやってしまった。かつて柔道をやっていた勢いのまま掴み取ろうとして、逆に抑え込まれた。

 それが彼に残っていたプライドを圧し潰す。力なら勝てると思っていたものが全く通用しなかった。なにより苛立ったのが、抑え込んだ時のリョウの表情だ。



「俺を、憐れみやがった……!!」



 腕を捻られ、一瞬で抑え込まれた瞬間に見えたリョウの表情は罪悪感に塗れていた。自分を襲ってきた相手に対して歯牙にもかけない。そして最後に脅しをかけてきた時の目、リョウの目に竜崎は怯え竦んでしまった。プライドが高い彼にはその事実を受け入れる余裕がなかった。



「――――あら、なぜ人間がこんな所に?」


「ッ!!!」



 その瞬間、全てを支配されたような感覚を竜崎は覚えた。その美しい声を聞くだけで魂が冷え、背筋が凍り、蛇に睨まれた蛙のように身体が動かなくなる。

 それでも声のした方に首を無理矢理向ける。ギシギシという錆びた鉄同士をこするような音が聞こえそうなほどゆっくりと、だが確実に。



「初めまして、負け犬君?私の名はアドラメレクよ」


「な、ぁ……」



 そこにいたのは一種の美の完成形だった。エルが触れれば壊れてしまいそうなほど儚い氷像だとすれば彼女はその逆。触れるもの全てを焼き尽くしてしまいそうな妖艶な美。炎で出来たような赤いドレスに、腰まで伸びた金髪は一切の乱れがない。

 完璧なプロポーションは男はおろか女さえ目を逸らすことが出来なくなるだろう。そして何より異常なのはこれだけの美を持っていながら、彼女の存在感が希薄過ぎるという事。

 そこにいるはずなのに、目を逸らしたら消えてしまいそうな感覚を覚える。脳に突き刺さり、魂に刻み込まれそうなほどの美でありながら視線を向けていなければ次の瞬間忘れてしまいそうだ。



「あら、貴方……天使の残滓があるわね。どこかで関わりを持ったのかしら?」


「てん、し……?」



 天使と言われて思い浮かべるのはエルと、その親友であるシルフィだ。他にも何人かいるが、あの二人の神秘性は群を抜いている。惚れた贔屓目なしで特にエルに対しては天使だと言われても違和感を覚えない程にしっくりくる。



「そう、天使。私達悪魔と争い、そして貴方達人間を守ってくれているありがたーい存在」


「そんなものが、そんざいしてるわけ……」



 捨てきれない常識の元竜崎が否定しようとすればアドラメレクと名乗った女の背から黒い翼が現われた。それは人間が空想した悪魔の翼そのもので、それを見た瞬間本物だと分かるほどに生命力が宿っていた。



「ほら、これで分かるでしょう?私の言っていることが本当なんだと。そして私達悪魔は契約に関して決して嘘を吐かない。これから話すことも全て本当よ?」



 そしてアドラメレクが語りだすのは天使と悪魔の歴史。異世界からこの世界に“欲望”を求めて来た悪魔を追って、人間を守る為に“愛”を持って戦っている天使の話。

 その被害規模などそうそう信じられるはずもない。だが話を聞いているうちに竜崎の頭に今まで何故疑問に思わなかったと不思議になるほどの違和感が現われる。



「認識改変、それが貴方達人間を騙す為に使われている力よ。天使だけが使用できる悪魔対策の為に作られた物」


「……なんの、ために」


「だって、私達悪魔が暴れれば貴方達人間なんて簡単に死ぬもの。死ねば、傷つけば必ず“負の感情”を吐き出す。そうなれば悪魔はより強化され、手が付けられなくなる。だから隠すのよ。自分達の為にね」


「じゃあ、お前らが悪いんじゃねぇか」


「ええその通り。でもそれが私達の生態で本能なんだから仕方ないわよね」



 何の罪悪感もなく言いきるその姿はそれだけで人外だと思い知らされる。竜崎には分かった、今こうしてこちらに話しているのも相手がどうでもいい存在だからだ。自分という存在は相手に何も出来ないと分かっているからこその余裕なのだと。



「で、貴方は結局こんな所で何を燻っているのかしら?」


「テメェには、関係ないだろうが」


「ダーメ。逃がさないわ」



 一刻も早くここから逃げるべきだと本能が警鐘を鳴らす。アドラメレクの言葉に返事も返さず背を向けてその場を離れようとする竜崎を黒い翼が覆う。視界が黒になりパニックになって暴れそうになり、その身体が抱きしめられていることにようやく気付く。

 暴れようにも一切身体を動かすことが出来ない。力で負け、恐怖により精神が負けを認めている。決して勝てない存在なのだと刻み込まれる。



「――――貴方の想い人は天使ね。間違いないわ」


「ッ!!!!」


「貴方を振ったのはそれが原因なのかもしれないわね。それが貴方の“愛”を拒んだ理由なのかも」


「り、ゆう」


「大事だからこそ遠ざけたいと思うものでしょう?特に、自分が傍にいれば壊れてしまう程儚い存在なんて」


「それなら、あいつの方が……!!」



 頭に直接流し込まれるような甘い声。脳をドロドロに溶かし、理性というものを消し去り“欲望”を掻き立てさせる声が竜崎に、竜崎だけに流し込まれる。

 それに一瞬でも反論することが出来たのは一種の奇跡だったのだろう。だが彼の奇跡はそこで終わりを迎える。



「いいえ、いいえ。そのアイツというのはきっとその娘にとって恐らくはただのエネルギータンクのような物。私達悪魔と戦うための“愛”を手に入れる為だけの駒」


「アイツが、こま……」


「ええ、きっとそう。本命は別にいるんじゃないかしら?」


「ほん、めい……」


「――――貴方が望むのであれば力を与えましょう。奪い手に入れ、貴方の“欲望”を満たす為の力を。どうかしら、欲しくない?」



 甘く囁かれる言葉という名の毒。理性も現実感も吹き飛ばし、ただ相手の“欲望”を描き立てさせる音の羅列。これに抗える人間などそういない。そして竜崎という少年は例外足りえなかった。



「…………しい」


「聞こえないわ」


「ほしい、欲しい、欲しいッ!!!!アイツが、エルが欲しいッ!!!俺の物にしたいッ!!!初めてなんだこんな気持ちッ!!!だから、だから絶対に!!!!!」


「ええ、いいでしょう。その為の力をあげる。馴染むまでは大人しくしておくことね」



 黒い翼が赤黒く燃える。中にいる竜崎も共に燃やされ悲鳴を上げる。やがてその炎がやんだ後、残されていたのは悪魔との契約を受け入れてしまった少年が一人。

 狂ったように嚙み殺した笑みを浮かべた彼はそのまま去っていた。



「はぁ……。下らない。あんなもの、私が欲しい物じゃないわね」



 竜崎を誑かしていた時の熱っぽい表情を消して無感情に吐き捨てるアドラメレク。

 いや、それは他者の命も願望も執着も、その全てを燃やし奪いつくす悪魔の姿。


 その名を『炎天渇奪』と言った。

評価&感想オネシャス


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