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風天使の思い出

 草木が無造作に生い茂る光景。天界組織の訓練場の近くにあるその場所はほとんど誰も来ない。エルはその場所が好きだった。他の天使達によって思考を妨げられることのないその場所が。だけどその日はいつもとは違った。エルの前に来ていた少女が一人、膝を抱えて肩を震わせていたからだ。

 自分の場所をとられたと思うよりも先にエルは少女の心配をして声を掛けようとする。その前にこちらに気付いた少女が涙が流れた跡を隠すこともなく顔を上げる。その目は何かを欲しがって仕方がないように見えた。



「ねぇ、なんでアンタそんなに頑張れるの?」


「えっ?」



 十年近い昔の記憶、一瞬でそうだとシルフィが判断できたのは身体が自由にならず勝手に動くからだけではなかった。何度も見たことのある光景だから。初めて親友に出会った時の頃の夢だったからだ。

 お互いの身体が小さく、今はある身長差が殆どなく同じ目線に立っている。だけどそれは物理的な面でだけだった。精神的には今の方が遥かに同じ目線だと断言出来る。



「期待されてそれに応えたいとか思ってるわけ?だったらやめといた方が良いわよ。期待されてる分、それを裏切った時酷い目にあうから」



 我ながらなんとも酷い言い草だと回顧する。出会い頭にこんな事を言われて素直に聞く奴などいるはずがないだろうと今なら苦笑しながら言うだろう。

 だけど過去のシルフィは止まらない。ずっと溜め込んでいた誰にも言わないことを、言えなかったことを100年に一度の天才と呼ばれる同期の天才にぶつけ続ける。



「それともこの程度は一番さんには何の苦労もないの?だとしたら余計な心配しちゃったわ。虫けらの言う事なんて忘れていいから」


「…………別に、一番になりたいわけじゃないです」



 どれだけ頑張っても、努力しても注目されるのは一番だけでその下は見られない。いや、見られたとしても落ちこぼれの自分を見てくれる存在などいない。誰かに認められるものは能力がある者だけだと既に諦め始めている。

 多くの天使はそうなのだ。人と違う超常の力を使えるが、その扱い方も許容できる“愛”の量も才能がある。能力の内容だって大切だ。エルの使う光とシルフィの使う風では希少性も重要性も前者の方が上。全てにおいてシルフィはエルに劣っている。だから二人きりになった時、偶然とはいえそうなった時に溜め込んでいたものを吐き出してしまう。



「一番になりたいと思わないのに頑張れるのはやっぱり才能があるから?それなら無駄なこと言って悪かったわn」


「会いたい人がいるんです。どうしても、少しでも早く会いたい人が」



 才能がある存在が考えることは落ちこぼれとは絶対に違うとこの時のシルフィは無根拠にそう考えていた。根本が違うから、だから追いつけなくても仕方ないのだと諦めたかったのかもしれない。諦める為の体のいい言い訳を求めていた。

 だから、エルのその言葉は予想外で言葉をなくす。



「ちょっと前に天界から抜け出してあちらの世界に行ったんです。私達が守っているという世界を見たくて。とてもごみごみとしてて、色んな物があって、凄かったんです。てれびって物で世界中を見られるんですよ?本当に、凄かった」


「……抜け出すとか、規定違反じゃない」


「そうですよ。でも、どうしても見たかったんですもん。ただ完全に迷子になってお腹も空いて思わず泣いちゃって」


「天才でも、泣くんだ」


「はい、今の貴女みたいに泣いちゃいました。その時、手を繋いでくれた人がいたんです。自分の分のおにぎりを分けてくれた人がいるんです。私のことを何も知らなかったのに、私の力とか、優秀さとか、そういうのじゃなく私自身を見てくれた人がいたんです」



 エルは空を見て何かを噛みしめるように思い出している。それはここ最近彼女が良く見せる仕草だと、エルの訓練からなんでもいいから得ようとずっと見ていたシルフィには分かった。それまでは義務感でしかやっていなかったはずの訓練を積極的に受けるようになったころから見た姿。



「ボールを使った遊びも教えてくれたんです。キャッチボールって言って、これくらいの小さいボールを互いにずっと投げ合う遊びで、持っていた道具も貸してくれて」


「それ、なにが楽しいの?」


「ボールを投げてる間はずっとお喋り出来て楽しかったですよ?彼は話し上手で、色々と話しちゃいました。あっ、もちろん天界とか天使については言ってないですよ!!」


「当たり前でしょ!!そんなの、ルール違反じゃない!!!『ツガイ』以外には許されてないんだから!!!」



 天才であり優等生だと思っていた彼女は、思ってた以上にハチャメチャだった。その行動力がどこから来たのかが本気で気になる。いつの間にか隣に座っていたエルは身振り手振りで人間達の世界で出会った一人の少年について話し続ける。



「おにぎりを一緒に食べたらすっごい酸っぱくて顔がこう、変な風になっちゃうんです。梅干しは怖いです。でも美味しかったです」


「そ、そんなに酸っぱかったの?オレントの実とどっちが酸っぱかった?」


「断然梅干しです!!でもでも全部食べた後梅干しの種をペッと吐き出したのは楽しかったです」


「は、はしたないじゃないそんなの!!淑女、天使としてどうかと思うわ!!」



 持っていた敵愾心はなくなっていた。いや、もとよりそんなものは大してなかったのかもしれない。誰にも見てもらえない中で頑張る理由付けだった。今ならそうだったとシルフィは言える。エルに対して抱いていたのは、どちらかと言えば憧れだったのだから。ああなりたいとずっと見続けていたから。



「おやつに持ってきたって言うドーナツって言うお菓子も分けてくれたんですよ。ちょこれーと、って言うのが甘くて凄かったです。美味しかったです」


「そんなに美味しかった?天界のエフェラテよりも?」


「断然ちょこれーとの方が上です!!すっごい上でした!!!」


「そ、そうなんだ」



 だけどこうして話しているとエルと自分は何も変わらないんじゃないかと思えてくる。それは嬉しくとも辛い事実だった。もちろん才能が違うというのは分かっている。だから精神性も全然違うと思っていた、いや期待していた。それだったら諦められたから、追いかけ続けるなんて辛いことをやめることが出来たから。



「かくれんぼしたらすぐに見つけられちゃうんですよ。木の裏に隠れたり椅子の下に隠れたりしてもすぐに見つかっちゃって。銀色の髪が綺麗で目立つからだって言われました。えへへへ……」


「それは誉められてるのかしら?でもそのまま負けっぱなしじゃないわよね?天使として人間に負けるなんて悔しくないの?」


「誰が相手でも負けっぱなしは悔しかったですよ。だから次はおいかけっこをしました!!今度は私が勝ちましたよ!!速くて凄いって褒められました!!!」


「そっかぁ……。そんなに楽しいんだ……」



 本当に嬉しそうに笑うエルの笑顔など天界では見たことなどなかった。彼女はいつも無表情で、何を考えているのか子供はおろか大人ですら理解するのは難しいからだ。だけど今のエルはそんなこと忘れたように笑って、それがとても幸せそうで、シルフィは嫉妬している自分を醜く思った。



「……でも、帰る時に全部、全部忘れさせられちゃいました。こんな事覚えていたら、彼の為にならないって言われて、教官に」


「…………」


「でもその時に約束したんです。また会おうって。約束の証だって言ってうさぎさんのぬいぐるみもくれて」


「…………」


「だから、私は頑張らないと。もう一度会いに行くために少しでも頑張らないと。じゃないと、いつ会いに行けるか分からないから」


「…………羨ましいなぁ」



 心の底からそう思う。頑張る理由があることが。誰かから認められている事実が、とてつもなく羨ましかった。だって自分は誰にも見られてない。自分に期待している存在などいない。無視されているわけではないけれど、いつだって相手の心の中には自分の限界を見透かされていた。それがシルフィには辛くて、苦しかった。



「でも、■■■■■■■■■■■■■」



 その言葉は聞き取れず、シルフィの夢は終わった。意識が急浮上して現実に戻ってくる。暗い部屋の中で目を開けて、右手に違和感があり見てみれば後輩がその手を握っていた。

 アリナは長い間手を握っていてくれたのかベッドの上に顎を乗せて眠っていた。口元からよだれが垂れているのを気のせいだと見逃す優しさがシルフィにはあった。


 悪夢を見なかった理由はこれだったのかと納得する。どこまで言っても一人では駄目なのだと苦笑する。それが自分なのだと今なら認めることが出来ているけど、昔はそれを認めずにもがいていたことも同時に思い出す。



「あの時、なんて言われたんだっけ……?」



 夢の中でエルに何を言われたのか、もう思い出せない。とても大切な事だった。それこそ今の自分を形作る決定的な一言だったはずだ。だけど泥のような今の思考ではそれを考え続けることも難しかった。



「喉、乾いたわね……」



 寝ているアリナを起こさないように手を離してリビングに向かう。カーテンの向こう側からは光がなく、もう太陽も沈んでいることが分かる。具体的な時間を確認することもせずにドアを開いて。



「あっ、起きたんだ。うん、顔色も悪くないみたいでよかった。お腹空いているんだったらおにぎりかおろしりんごでも用意するけどどうする?」


「…………なんでまだいるの?」



 夢の中のエルが、現実のエルが熱く語っている少年がそこにいることに思わず酷いことを言ってしまった。


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