第一王子との謁見・2
「――無礼がすぎますよ、ハートン秘書官」
冷たい声が部屋に響く。
「特権の後継について言及する資格まであなたにないでしょう?」
先ほどまで流暢に喋っていたジェルマンは途端に口を止める。
ライカの言う通りだったからだ。
ライカはジェルマンの顔を逸らすことなく見つめた。
「<王国の天秤>はクラシェイド伯爵に属する特権です」
「それが――……」
ジェルマンは訝しそうに顔を顰めたが、ライカは構わず続けた。
「この伯爵位は国王より与えられたものです。
それを譲れということは、王命により授与された地位を放棄させることに等しく、国王への背反行為にあたります」
賢いジェルマンならば、ライカが何を言いたいのかすでに理解しただろう。
それでも、彼女は不敬ともとれる言葉を口にする。
「いかにユイレン第一王子殿下であらせようとも、ナザリウス国王陛下の王命までは取り消せません」
ジェルマンの顔は引き攣っていた。
国王への背反行為と言われたからか。それとも、ユイレンへの侮辱と捉えたからか。
けれど反論することはできない。
ライカが言ったことに間違いはなく、そして、それを言わせたのは彼なのだから。
「――コンザール伯爵令嬢の件は、私が未熟でした。
相応しい対応を思いつかなかった私の」
ライカは練習会の時のことを思い出す。
気が利いた言葉を思いつくことができれば、あの場を和ませつつ問題を回避できたかもしれない。
それが<王国の天秤>の目指す立ち回りだ。
「けれど、私は<王国の天秤>である前に一人の貴族です。
貴族の紳士としてアレシオン公女を見捨てることはできませんでした」
あの場の均衡をライカは崩した。
けれど、リリーシアの意に沿ったその均衡は、果たして最初から守るべきものだったのか。
ライカは暗にそう尋ねた。
ジェルマンは沈黙する。
肯定でも否定でも、返答をすれば瑕疵があるからだ。
日が雲に隠れ、光が差し込んでいた部屋は急に薄暗くなる。
ライカは細めていた目を開き、じっとジェルマンを見据えた。
彼は静かに佇んでいたが、目だけは焦ったように宙を彷徨っていた。
「――すまなかった」
重い沈黙を破ったのはユイレンだった。
王族でありながら、ライカたちに向かってその高貴なる頭を下げた。
息を飲む音が部屋に響く。
けれど、ライカ一人は毅然としていた。
そうなることは予想できていたからだ。
ジェルマンはユイレンの代理人だ。
彼はクラシェイドと王室の関係が崩れないよう、間に立ってライカを追求してきたに過ぎない。
そんなジェルマンを黙らせれば、ユイレン自身が前に出ざるを得ないのだ。
その場合、考えられる行動は二つ。
怒るか謝るか。
だから、ライカは王子の謝罪を前にしても、当然のことのように受け止めた。
「頭を上げてください、ユイレン第一王子殿下」
酷く落ち着いた態度でライカは椅子に座っていた。
背筋は伸び、視線はまっすぐユイレンに向いている。
「均衡は大事です。
けれどそれよりも大事なものはいくらでもあると思うのです」
均衡を守るあまり、他の大切なことを見失ってはならない。
少なくともライカはそう考えた。
「本当にすまなかった。
均衡のために、君が犠牲になって良いわけじゃないからね」
ユイレンはライカを見つめ返した。
彼女の目はこれまで見たこともないほど澄んでおり、ユイレンの顔をくっきりと映している。
「矢面に立ってもらっただけでジェルマンは悪くない。どうか……」
ユイレンの言葉にジェルマンが頭を下げる。
ライカは小さく頷いて返した。
「ええ、わかってます」
だからこそ、ライカは怒っていたのかもしれない。
けれど頭を下げられ、少しも罪悪感がないと言えば嘘になる。
この場の均衡を保つために動いたのは、クラシェイドである自分ではなくユイレンの方なのだから。
「こちらこそ、申し訳ありませんでした」
ライカは深く謝罪をした。
そんなライカをユイレンは穏やかな目で見つめる。
「少し、二人で話そうか」
そう言って、彼は冷えた紅茶を入れ直させた。
◇
日が雲から顔を出し、部屋は明るさを取り戻した。
対面に座ったユイレンは、来た時に比べて笑みが大きくなっている。
「君がこんなことを言うなんてね」
ユイレンは紅茶の注がれたティーカップに口を付けた。
誰が見ても美しく完璧な所作。やはり見惚れずにはいられなかった。
「少し言い過ぎました……」
先ほどとは打って変わり、ライカは膝の上で指と指を絡め合わせ、俯いていた。
しおらしくなった彼女を見て、ユイレンはくすりと笑う。
「いいんだ。僕の方が悪かったから。
――思えば君と二人きりで話すことはなかったね」
ユイレンの側にはいつもジェルマンが控え、刺々しい口調で年若き伯爵に向かって言い募っていた。
それを咎めもせずに静観していたのは事実だ。
「今日はね、わざと怒らせるようなことを言ったんだよ」
「わざと、ですか……?」
ティーカップを持つライカの手がびくりと震える。
なんとなくわかってはいたが、それを口にされるとは思わなかったのだ。
「ジェルマンが言った通り、役目を下りるかどうか決めて欲しかったから」
ユイレンは申し訳なさそうな顔をした。
ジェルマンをけしかけたのは、王子としての判断だったのだろう。
その言葉に怒りは湧いてこなかった。
「もしかして、ネイゼン第二王子殿下の生誕祭の件が問題でしたか?」
ユイレンはこくりと頷いた。
ライカはようやく合点した。
この天使のような青年が、年下であるライカを追い詰めるようなことをしたわけを。
「君がずいぶん変わったそうだからね」
<王国の天秤>として仲裁を行い、ネイゼンの生誕祭を無事に終結させた。
その際、以前の伯爵とはずいぶんと様子が変わったという噂。
「思ったよりは大丈夫そうかな」
そう言って彼は悪戯っぽくウィンクをした。
あまりにも様になっていたため、ライカは心臓が止まりそうになる。
「それなら……良かったです……」
高鳴る心臓を落ち着かせるために、ライカは紅茶を一口飲んだ。
しっとりとした香りにほのかな甘み。彼女はほっと一息吐く。
「焼き菓子はいいのかい?」
「では、いただきます」
ビスケットに手を伸ばし、口に含んだ。
蜂蜜とドライフルーツの味わいが口いっぱいに広がる。
専門の菓子職人でもいるのだろうか。
今まで食べたどのビスケットよりも美味しく感じた。
「ふふっ」
彼女の様子を見てユイレンはおかしそうに息をもらす。
目をぱちくりさせるライカに向かって彼は説明した。
「変わったというのは本当のようだね。
以前の君ならお菓子にまでは手を付けなかったよ」
どうやらまた試されたらしい。
その周到さにライカは呆れる一方、どこか感心していた。
王子ともなると、これくらい手を回せなければやっていけないのかもしれない。
「――公女を選んだのは正解だったと思う。貴族としては」
声を落としユイレンは目を伏せた。
急に雰囲気が変わったので、ライカも思わず背筋が伸びる。
「コンザール伯爵家の未来は暗いだろうね。
あの、アレシオン公爵家を敵に回したのだから」
「まさか……」
子ども同士の諍いだろう。
大人が口を出すほどのことではない。
けれど、ユイレンの顔には陰がある。
「アレシオン公爵は徹底的な人だ。
どんな小さな棘も見逃さない」
ライカの背中に汗が浮かぶ。
――確かにお母様もそう言っていた。
冷たく人を見下す目をし、敵も味方も邪魔とあらば排除する。
公国を作ることすら可能な財と権力を持ち、どんな相手にも不遜な態度を貫く。
それが例え国王であっても。
<王国の車輪>ウェンセム・アレシオン公爵とは、そういう男らしい。
ユイレンはその美しい顔をライカに近付け、耳元で囁いた。
「彼のことは気を付けた方がいい。
――君に友好的ではないから」
それだけ言うと、ユイレンは姿勢を戻し、何事もなかったかのようにいつもの微笑を浮かべた。




