第一王子との謁見・1
石畳の道を揺れながら馬車は進む。
ライカの目の前には、恰幅の良い男が馬車の中で狭そうに体を縮めている。
彼はロウザ。ライカの父親だった。
「もう少ししたら着くからね」
ロウザは人の良さそうな、おっとりとした表情を浮かべていた。
昔からずっとそうだ。怒った顔を見たことがない。
「緊張しますね」
ライカは少し不安な面持ちを見せる。
何せこれから会うのは、エルドガール王国の第一王子・ユイレンなのだ。
彼女は今日、王宮に呼び出され、王子と謁見することになっていた。
「第一王子殿下は優しい方だよ」
「――わかっています」
ロウザは目を細めてライカを見た。
座高が高く、頭が天井に届きそうだ。
厳つい見た目と温厚な性格がちぐはぐな、変わった人だとライカは思っている。
そんな人に、つい冷たい口調になってしまうのは、彼女が彼の娘だからだ。
「呼ばれたのは、コンザール伯爵令嬢の件ですよね?」
コンザール伯爵が催したデビュタントの練習会。
そこで<王国の天秤>が伯爵の娘・リリーシアではなく、アレシオン公爵の養女・カティスの手を取り踊った――
という話は、貴族の間であっという間に広がったそうだ。
どうやらその話は国王の政務を手伝う第一王子の耳にも入り、見過ごすことができなかったらしい。
今日は事実の確認とその是非を問われるに違いない。
「なんとか僕も頑張ってみるよ」
口にこそしないが、ロウザも一緒に呼ばれたのは心強かった。
一人だと王子の前で頓珍漢な言動をしてしまいそうだったからだ。
ライカは高鳴る心臓を宥めるように、窓の外の景色を眺めた。
◇
「いらっしゃい、ライカネル」
そう言ってライカたちを出迎えたのは、あまりにも容姿が整った青年だった。
白金の髪に黄金の瞳、柔らかな曲線を描く眉に、調和の取れた鼻。
潤いのある唇は優しい微笑を湛えている。
天使がいたとしたら、こんな人なのだろうか。
心づもりはしていたものの、ライカは思わず呼吸を止めてしまいそうになった。
「……お招きいただきありがとうございます、ユイレン第一王子殿下」
ライカはなんとか震える声で返した。
そんな彼女は、いつもの俯きがちなライカネルと雰囲気が似ており、ユイレンはあまり気に留めなかった。
「どうぞ座って。君の好きな甘いお菓子も用意したんだ」
テーブルの上には様々な焼き菓子が並んでおり、ティーカップには香りの良い紅茶が注がれた。
けれど、王子の前で手をつけることは躊躇われ、ライカは品よく姿勢を伸ばすことだけに専念した。
部屋はテラスに繋がっており、外から差し込む日の光で少女の青白い顔が余す所なく照らし出される。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。コンザール伯爵の件は聞いているから。
――アレシオン公女のためだったんだよね?」
「あ、はい」
ユイレンは噂話とは別のルートで情報を仕入れたのかもしれない。
彼が詳しい経緯を知っていることに、ライカは心の底から安堵した。
「コンザール伯爵令嬢が公女を侮辱しようとしたのです」
だから仕方がなかったのだ、とそう告げようとしてライカは口を止める。
ユイレンの目が笑っていなかったからだ。
「結果としてコンザール伯爵令嬢に恥をかかせた――……」
冷たくそう告げたのはユイレンではなく、彼の背後に控えていた眼鏡の青年だった。
長い髪をきっちりと後ろでまとめ、眉を真一文字に引いている。
ユイレンの秘書官であるジェルマン・ハートンだ。
「それは均衡を保つ<王国の天秤>がすることでしょうか?」
鋭い眼差しが責めるようにライカに向けられる。
ユイレンとは異なり、あからさまに嫌悪の感情が浮かんでいた。
「ですが……」
「――ただでさえ」
ジェルマンはライカの言葉を遮る。
「ただでさえ、〝選王会議〟の許可が下りないことに対する不安が広がっているのに、これ以上、均衡を崩さないでいただけますか?」
選王会議とは、次期国王を決めるための会議だ。
その進行と調節を担うのがクラシェイド伯爵の役目の一つだった。
けれどその会議は国王の合意がなければ開催できない。
そして、ライカネルが<王国の天秤>を継いで以降、一度たりとも許可は下りていない。
そのことでライカネルはずっと責められてきたのだ。
「特権は血統を重視しません。
他に素養のある方に譲るなりなんなり決めてはいかがでしょうか?」
ジェルマンはユイレンの秘書官だが、身分ではライカネルの方が圧倒的に上だ。
けれど、あまりの不甲斐なさにこのような強気な態度がとれるのだろう。
「リンカー子爵もそう思いませんか?」
隣に座ったロウザに矛先が向く。
彼はセイランと婚姻を結ぶことでクラシェイドの一員となった。
しかし、伯爵位は彼を飛び越え、ライカネルが継承している。
決定したのは祖父であるケオニール・クラシェイド。
ロウザが継いだのは、ケオニールが兼任していたリンカー子爵である。
そのことで世間が向けるロウザへの視線は冷たい。
彼らは身分の差を乗り越え、セイランと結婚したにも関わらず、クラシェイド伯爵になれなかったロウザに、無能の烙印を押した。
それは目の前にいるこの男も同じだった。
ロウザを見るジェルマンの目は侮蔑的で、見下す態度を隠しもしない。
――何か言わないと。
けれど、なかなか言葉にならない。
それほどまでにライカは怒っていた。
机の下で強く手を握り、俯き耐えることしかできなかった。
肝心の本人はこんな時でもぺこぺこと頭を下げている。
「至らぬ父で申し訳ありません。しかし、息子はまだ子どもです。
もう少し様子を見ていただけませんか?」
たどたどしい口調でロウザは謝る。
その態度はやはり温厚そのもので、ジェルマンは一笑に付した。
「何をのん気な。王国の未来がかかっているのですよ。
優秀な従兄弟殿に代わっていただければよろしいでしょう?」
優秀な従兄弟、ラッカス・バンデル。
その存在はライカもよく理解していた。
セイランの姉、レティアの息子のことである。
アイシアン王立大学卒業後、わずか数年で裁判官を勤めることとなった、誰が見ても立派な青年だった。
幼い頃は一緒に勉強もした幼馴染。
その優秀さは誰よりも知っていた。
一度はセイランとロウザの養子にと望まれたほどだったが、彼の強い意志で断られている。
そんな優秀な青年を引き合いにして、ライカとロウザを馬鹿にしているのだ。
ライカの顔から血の気が引き、蒼い顔がさらに蒼くなる。
ほてった体がすっと冷えていった。
――王子の前で騒ぐべきではないのかもしれない。
けれど、隣に座ったロウザのことを思った。
彼が温厚なのは周囲と軋轢を生まないため。
それは均衡を第一義とするクラシェイドの家門を考えてのことだ。
その姿を恨めしく思い、あたってしまったこともあった。
けれど、いざジェルマンに馬鹿にされると耐えきれなかった。
ライカはユイレンを見た。
優しい微笑を湛えたまま、表情を崩さない彼を。
不思議と冷静な気持ちでライカは口を開く。
「――無礼がすぎますよ、ハートン秘書官」
抑揚のない声が部屋に響いた。
それは、明るい日差しとは真逆の暗く冷たい声だった。




