生誕祭の客
王都には至る所に灯火がともされていた。
それは、ユイレンの誕生の日を祝う証だ。
ついに、この国の第一王子の生誕祭がやってきたのである。ライカは夜になると礼服に身を固め、密やかに王宮へと向かった。
踊る相手のいない彼女は、いつものように裏口からの入場だ。王宮の広間にはすでに多くの貴族が集まり、賑やかな声を上げていた。
それは今まで見たどの宴よりも豪華だった。床には赤い絨毯が敷かれ、異国を思わせる珍しい花が壁や机を彩った。貴族たちは質の高いワインが入ったグラスを互いに重ね、乾杯を交わしている。
「いたいた、ライカネル」
さっそく声をかけてきたのはレーネだった。シルヴィスを表す真っ赤なドレスを纏っている。
「こんばんは、レーネ。よく似合っていますよ」
「いいのよ、そんなことは」
レーネは少し照れたように頬を赤らめた。彼女はまだ十四歳なので、公式の場に出るのは少し早いが、侯爵令嬢ともなるとそうは言っておれない。
けれど、本人の顔に緊張はなく、いつものように腰に手を当て、きりりと立っていた。
「ご挨拶申し上げます、ネイゼン第二王子殿下」
ライカはレーネの隣に並び立つ青年に向かって頭を下げる。彼はいつものように冷ややかな目をして、彼女を見下ろした。
「相変わらず一人か」
その口調には、非難の色が混じっていた。
ライカがダンスの相手を頼まないのは、<王国の天秤>として〝均衡〟を守るためというのも理由のひとつだ。
だが、本当のところは性別だった。女であることを隠し、誰かと踊るのは不誠実な行為だと思った。カティスの時のように理由がなければ、手を取るような真似はしないだろう。
ライカは誤魔化すように笑う。
「私はネイゼン第二王子殿下のように相手がいるわけではありませんので」
「伯爵だろう? 誰もいないのか?」
「いませんね……」
あてになりそうなレーネとカティスは王子たちと組むことになったのだ。ライカは性別以前に、交友関係が少なすぎた。
「ネイゼン第二王子殿下よ……」
「シルヴィス侯爵令嬢も素敵ですこと」
ひそひそともれ聞こえる二人への称賛の声。それは、ライカには無縁の言葉だ。現に彼女を目に留める貴族たちは、歪んだ表情をしていた。
「それにしても遅いわね」
レーネがわざとらしく大袈裟にため息を吐いた。まるで澱んだ空気を変えるように。
「そろそろユイが出てこないとおかしいのだが……」
ネイゼンも訝しげな顔をして首を捻る。彼はフレンダル騎士団の最高指揮官として、ある程度は予定を把握しているのだろう。
「何か問題があったのでしょうか?」
心配になったライカが、壇上に目を向けたその時だった。反対側――外へと繋がる出口から、騒めく声が巻き起こる。
しかし、それはすぐに止み、一瞬にして周囲は静寂に包まれた。
そのただならぬ雰囲気に、ライカは何かが起きたのだと察する。
貴族たちの視線は一点を見つめ、追うように動く。
ライカの目の前で人垣が割れた。
「ごきげんよう、クラシェイド伯爵」
広間の灯りが、その人物の光沢のある金髪をきらきらと輝かせた。
「ルーカディアス王弟……殿下……」
ライカは途切れるような声で呟いた。
「はじめまして、だね」
彼は――彼女は、白々しくそう言って微笑んだ。
その目は金に朱が差し込んだように複雑な色をしており、以前と変わらず歪なままだった。
――こんなに堂々と出てくるなんて……。
予想外の行動にライカは言葉を失った。リドガー・バレックのような刺客を送り込むのではないのかと予想していたからだ。
背後にはフードを目深に被った男たちの他に、アドルグ・タキアスをはじめ、何人かの貴族たちが従っている。
けれど、何よりライカを驚かせたのは、ルーカディアスの手に握られた銀色の杯だった。
「そう、これが噂の〝銀杯〟というものさ」
彼がその杯を高く掲げると、貴族たちから悲鳴のような短い叫び声がもれた。彼らにとって、それはただの死よりも恐ろしいものだからだ。
「なぜ貴様がこんな所にいる。呼んだ覚えはない」
怒りを湛えたネイゼンの言葉に、ルーカディアスは余裕の顔で返す。
「可愛い甥の誕生日を祝いに来ただけだ」
「台無しにするの間違いじゃないの?」
レーネが突っかかるように言った。
「お前は黙っていろ」
ネイゼンはレーネの肩を持つと、そのまま後ろに押し下げた。
ルーカディアスは杯を持っていないもう片方の手を広げ、広間に声を響かせた。
「王国の秩序を蔑ろにし、貴族の権威を脅かす伯爵、ライカネル・クラシェイド。
彼を排除し、この国を浄化する。
これほどの祝福があるだろうか?」
名指しされ、ライカの元に視線が集中する。凍てつくような目がこちらを見ている。ライカの足がかすかに震える。
「元から頼りない子どもだったが……」
「二人の令嬢から一人を優遇したという醜聞がありましたね」
「あれはバーマン・セングという平民を庇い、貴族の権威を失墜させようとしたんだ」
「収穫祭では<王国の天秤>なのに場を損ねたな」
「コンザール伯爵を死に追いやったという話は本当か?」
それはもう、囁きという声ではなかった。ライカに聞かせるための罵声だった。
その声を聞き、様子見をしていた貴族たちの目も次第に冷めていく。広間の空気は着実にライカを追い詰める。
「どうやら皆、君のことを問題に思っているようだ」
ルーカディアスは持っていた銀杯をライカに向けた。
「どうかな?」
その目はやはり歪んだまま。
「今夜は月の綺麗な夜だから」
◇
「今夜は月の綺麗な夜だから」
その言葉に、その声に、ライカは弾かれたように記憶を蘇らせた。
ネイゼンの生誕祭の夜に失った記憶を。
あの夜、ライカは宴で呼び止められた。
細身の給仕に。
「今夜は月が綺麗な夜でございますね、クラシェイド伯爵」
給仕にそのような声かけをされるのは珍しいと思った。不思議な顔をするライカ――ライカネルに、給仕は続ける。
「礼拝堂でお待ちしております」
誰が、とは言わなかった。ただ、給仕の言葉に主催者からだと思ったライカネルは、疑問に思うことなく広間の近くにある小部屋へと向かった。
礼拝堂の机。
そこに置かれた〝銀杯〟。
それを見て、ライカネルは直感した。中に入っているのが毒であると。飲めば死に至ると。
――私はあの時、絶望した。
ライカは胸を押さえる。服には皺が寄り、顔は引き攣るように青ざめていた。
――それでも飲もうとした。
それが、王国の意思なのだと思ったから。
バーマン・セングに襲われたのは、その直後だった。彼に襲われたせいで銀杯は手からこぼれ、床に転がり落ちた。
――でも、私はすぐに変わった。
助けに来たゼナイを見て、ライカは生きる希望を取り戻したのだ。
「これを飲むことはできません」
ライカはルーカディアスの目を見て断った。その声に震えはない。それを飲まされる程の罪が自分にあるとは思えなかった。
――<王国の薬杯>の許可は得ているの?
遠くにいるロゼスタが無言でこちらを見ている。彼は止めることもせず、静かに佇む。
視線に気がついたのか、ルーカディアスがちらりとロゼスタに目をやる。しかし、すぐに視線を戻すと、ライカをその歪んだ目で捉え直す。
「<王国の薬杯>は関係ないよ。
王国にとって〝王国に仇なす者〟を〝銀杯〟にて粛清することが慣習なんだから」
ルーカディアスの言う通りだった。<王国の薬杯>に誰かを粛清する義務はない。あくまでその義務は、王や王族の健康維持だ。〝銀杯〟自体は王国の無能な有力者を排除するための自浄作用にすぎない。――その目的故、使用者を定義しない慣習なのだ。
彼女はせせら笑うように続ける。
「すでに多くの者が君の存在に不安を抱いている。
それだけ重要な場面で判断を誤ってきたということだ。
これ以上は、どんな影響を王国に及ぼすかわからない」
ルーカディアスは杯の中身を見せつけるように傾けた。
透明な液体。
その中に、何かが沈んでいた。
――指輪……?
透き通るような新緑の宝石。
それは、見覚えのあるデザインだった。
――カティスと……交換した……。
胸ポケットに入れた指輪のことを思い出す。お守りのように入れたその存在を。
――カティスが……人質に……。
いつも彼女が着けている蝶の髪飾りではなく、準備祭の時に交換した指輪なのが腹立たしく感じられた。まるでそんな些細なことまで隅々と知っているのだと言っているかのようだった。
ライカは震える手を宥めながら、銀杯に手を伸ばす。
冷ややかな感触が指に伝わった。




